人でなしの恋
落ち葉と土を踏む音、虫の泣き声、衣擦れの音、風に葉が擦れる音、水音―。
気配は一つだけで、対峙しても勝てると踏んだサルトビは、相手とコンタクトを取ることにした。
クナイを握り直し、声をあげる。
「誰かいるのか」
ぴたりと足音と衣擦れが止む。
草木の揺れる音と水音だけが二人の間に流れる。
「その声…」
気配が口を開いた。
「もしかして…サルトビか?」
聞き覚えのある声が森の奥から聞こえ、クナイを握った手が降りる。
「まさか…」
動揺を隠せないまま硬直していると、気配が動き出し足音が近づいてくる。サルトビがゆっくりと木の陰から出ると、痩躯の男が立っていた。
口元から上の顔は被ったマントに隠れて見えないが、忘れられない黒衣と背格好にサルトビは息を呑む。
「ガルデン…」
「…久しぶりだな」
お互いに、再び相まみえるとは思っていなかった。
かつての敵同志、どんな言葉を交わせばいいのか分からず水音だけが間に流れる。
「…アデューたちは一緒ではないのか」
「あ、ああ。別の仕事に行ってる」
「そうか」
「てめぇはこんなところで何してんだ?」
そう問うと口ごもった後に、ちょっとな、と歯切れの悪い回答が返ってきた。
その反応を奇妙に思いながら、サルトビは何気なくガルデンの背後の池の様子を窺った。
池の上には木が無いため、陽の光が水面に反射し輝いているのが見える。ふと気付いてサルトビは再びガルデンに問いかけた。
「なんでこんな晴れた日にマントなんて被ってんだ。暑苦しい」
「貴様に言われたくはないがな」
冗談めかしてそう言い返され、いつも覆面と鉄兜を身につけているサルトビは言葉に詰まりフン、と視線を外した。話題が無いのも居心地が悪いが、まるで友人のように会話するのもむず痒い。
「相変わらず口が減らねぇな」
「…相変わらず、か…」
反芻した声は、心なしか沈んでいてサルトビはその唇に目をやった。
僅かな沈黙の後、その端正な唇から溜め息のようなものを吐き、ガルデンはマントに手をかけた。
「どうだ、存外変わっただろう」
見慣れたはずの顔が陽の下に晒され、サルトビは本日二度目の絶句をした。
サルトビの見開いた目を見つめながらガルデンは小さく笑い、右頬の銀色の鱗がきら、と光った。
ガルデンは池の畔に仮住まいを構えていて、薪の燃え滓を中心に椅子替わりの丸太や小型鍋等、最小限の野宿の後が見える。
サルトビは、切り株の上に腰を下ろし、じっと目の前の男が手袋を脱ぐのを見つめた。
現れた手はもはや肌とは呼べぬほど、びっしりとトカゲのような鱗に覆われ、爪が異常に伸びていた。
「1年程に腕に出始めてな、皮膚病かと思い医者にもかかったが…どうやらそうではないらしい」
長い指を握り伸ばす動きもスムーズで、鱗は元からそこにあったようにふてぶてしく陽の光を返していた。
「医者が言うには、邪竜族の鱗に似ているらしい」
サルトビが顔をあげると自嘲の笑みを浮かべるガルデンと視線がぶつかった。
少年の戸惑った表情から、異形の青年は目を伏せ話を続ける。
「邪竜族の血は随分強いようだ。段々と侵されて行くのが分かる。最近進行が早まってな…ついに顔にまで出てきたので、人前には出れずここに留まっているという訳だ」
「なんで…200年以上生きてきたんだろ?今更そんなこと…」
ガルデンがゆっくりと首を横に振る。他に邪竜族と他の種族のハーフは知らない。どのような原因で姿が変わるのかなど、誰にも分からない。
「…体だけではない。最近、頭を通さずに言葉が口を吐いて出るのだ。…思慮の浅い、邪竜族兵士のようにな」
腕の鱗を撫でながら、そう自虐する。
見ていられない、そうサルトビは感じた。ガルデンの弱気な姿を目にすると、どう対すればいいのか分からなくなる。
「…姿が変わってきたから、混乱してるだけだろう。気にしなきゃあいいんだよ」言ってしまってから、かつての敵に何を、と気付き、サルトビは居心地悪く顔を背けた。
その様子にガルデンはくつ、と小さく笑う。
「そうか、…ああ、そうだな」
「…イズミに診せようぜ。何か解決の手掛かりを知ってるかもしれねぇ。ちょっとよく見せてみろ」
「お前が見てどうなる」
「うるせーな。どうにもなんねぇけどよ」
睨む目にまたガルデンは笑いながら腕を差し出す。
近くで見ようと身を乗り出す。異形の姿にかつての敵の肌という感覚は薄れ、サルトビはその腕を手に取る。予想外の行動だったのか、鱗がぴくりと跳ねた。
サルトビは気にせず、掌をひっくり返してみたり指で軽く押してみたりと、分からぬなりに観察してみた。だが改めてしっかりと鱗が根付いていることが分かっただけで、一介の少年忍者には手に負えない。
剥がして終わり、なんて単純なものだったら楽なのに、と乱暴なことを考えながら、手袋の下の爪で堅い鱗をカリ、と引っ掻いた。
僅かな振動が鱗の下の肉に伝わる。
たったそれだけのことで、ガルデンは頭の奥がぐらつく感覚を覚え、まともにものを考えれなくなる。
「…」
「? どうし…っ!?」
逆に腕を掴まれサルトビが顔を上げると、覆面越しにぶつかるような口付けをされた。
驚いて退くと、腰掛けていた切り株から転がり落ち、後ろの地面に仰向けに寝転がる形になった。
その上にガルデンが覆いかぶさり、再び口付けようと顔を寄せる。
「ちょ…ちょっと待て!落ち着けガルデン!」
ガルデンの体を押し返そうともがいた手はあっけなく捉えられ、頭上に両手首を纏めて押さえつけられる。
手を塞がれ腰の上に乗られ、動きを封じられたサルトビはせめてもの抵抗に足をバタつかせ身を捩るが、ガルデンは意に介さず鉄兜に手を掛ける。
「何すっ…、く」
呆気なく兜が脱がされ栗色の髪が外気に触れる。
短い髪を一撫でされ、サルトビはやっと自分が性の対象とされていると察し、さっと血の気が引いた。
ガルデンの長い指が、サルトビの露わになった耳の凹凸を撫で、びくりと肩を竦める。
反応があることを知ったガルデンが唇を寄せた。熱い息がかかり身を震わせると、それよりも熱く湿った舌が触れた。
「っやぁ…!」
思わず口を吐いた情けない声に赤面する。抵抗する隙も与えられず耳を攻められ、必死に声を殺し身を捩る。
ガルデンはサルトビを拘束していた手を離し、上半身の鎧を器用に外し始める。自由になった両手でガルデンの肩を押し返そうとするが、耳へ与えられる刺激と脳に響く水音に体の力が抜ける。
あっけなく鎧と襟巻が外され、服の上からガルデンの掌がサルトビの細い体を円を描くように撫でた後、尖った爪で薄い布を裂いた。
「く…」
爪では破けぬ鎖帷子の下に銀色の手が潜り込み、鱗の冷たい感触に肌が粟立つ。
撫でる手は薄くついた腹筋、あばら骨、平らな胸、鎖骨、と上に移動していき、胸元に鎖帷子をたくしあげられ、サルトビの白い上半身が露わになった。
「い…やだ、ガルデン…っ」
羞恥と、これから何をされるのか分からない恐怖に小さく震える。
耳からやっと舌が離れ、思わず大きく息を吐く。
しかし、頭を固定していたガルデンの手が覆面にかかったことに気付き、サルトビは血の気が引く。
「やめ…っ、顔は…!」
忍びは素顔を見せてはいけない。