ハートキャッチなスペロマ
あいつがウインクをする度に、ハートが1つ飛んでくる。
「ロマーノ!」という呼び掛けの後に続く言葉は「愛しとるで!」とか「後で俺の部屋来てな」だったりするのだが、あいつがそういう風にウインクを飛ばすのは、会議の前などで俺達が落ち着いて話せない時である。前者の場合は周囲と一緒にげんなりした顔をしながら「…分かったから騒ぐな」と釘を差し、…後者の場合は俺がばっと顔を上げた時にはすでにスペインは歩き去っているという寸法だ。もうすぐに始まる会議、1人取り残される俺。
…ころん。転がるハートを、今日も俺は持て余す。
訂正しよう。あいつが愛を表す度に、ハートが1つ飛んでくる。
正面からぎゅっぎゅっと抱き締められた時、ふと目をやるとスペインからいくつもハートが飛んでいた。俺に受け取られないハートはころんころんとそこら中に飛び散って、鳥がそれを食んでいた。何故俺がスペインのハートを持てなかったって、俺の腕は目の前の男でいっぱいになっていたからだった。それでも俺は悔しさを感じ、そのハートは俺宛てなんだ俺のなんだお前らの餌じゃねえんだよバーカバーカ!という思いを込めてスペインの背中に回した腕に更に力を込めた。「嬉しいわあ」と、俺にとっては微妙にズレた言葉の端からまた1つ、綺麗なハートが転がった。
癪なことだが何かを飛ばしているのはスペインだけではない。愛の国を自称するフランスなんて、流石というか何というか、ウインクどころか挨拶のキスの度に飛ばしている。しかしあいつが飛ばすのはハートではなく、薔薇である。美しい赤色をして上等な香水がほのかに香るそれは、しかし俺の好みではない。そして、愛という感情を俺達が持っている以上は仕方の無いことなのかもしれないが、フランスの「愛」が俺の視界に入るのはいい気分ではなかった。俺はフランスの薔薇を見る度にもやもやとした気持ちになるのであって、ある時ついに耐え切れなくなった俺は隣にいたスペインに言った。
「スペイン」
「何?」
「キスしろ」
唇が離れて行く瞬間、ちらりと目を開けた先でスペインのハートが転がり落ちるのを見て、俺はようやく胸がすく。
そして何と驚いたことに、あのマッチョジャガイモまでもが愛という名のハートを飛ばしている。それは大抵ヴェネチアーノがあいつの傍にいる時に起こる。しかもあいつのハートには、はじらいだのかわいいだの、文字まで刻まれているからたまったものじゃない。帰宅して玄関に転がる「いとしい」のハートを発見した時の気持ちを考えてみろ。それが「ごめんな、急な仕事が入ってもうて」と言われてスペインと別れた直後だったら尚更だ。人差し指と親指でそいつを摘み上げ、…最後の慈悲でそれを外に放ることはせず、足元に落としたそれを爪先で蹴り飛ばしながら俺はハート置き場になっているであろうリビングのドアを開ける。
「てめーマッチョジャガイモ何してんだこのやろー!!」
「続きは、夜な」
そう言ってさっさと議場に入って行ったスペインの後ろで俺は呆けて突っ立っていた。いつもの世界会議の直前、久し振りに会ったと思ったら公の場で、しかも会議の直前に交わすとはとても思えないキスをかまされ、俺は固まってしまっていた。誰もいなかったからいいものの、もし誰かに見られたらどうすんだ。現実を差し置いて気持ち良いとか思ってしまった俺の馬鹿。残された言葉も相まって、顔に集まる熱が止まらない。
「お盛んなのはいいけどお前らほどほどにしときなさいよー」
…見られてた。死にたい。フランスの馬鹿も去り、今度こそ俺は広い廊下に1人取り残される。スーツが皺になるのも構わずに、俺はたまらずしゃがみ込んで膝に顔を埋めた。恥ずかしい。見られた俺。恥ずかしい野郎。あんな声を出すスペイン。
ようやく顔の熱が引いてきたかと思って顔を上げると、すぐ目の前に見慣れたハートが転がっていた。建物の中だというのに何故だか寄って来ていた鳥をしっしと追い払い、俺は初めてそのハートを手に取った。少し高めの温度が心地良い。両方の手を合わせたよりちょっと小さいぐらいの大きさ。俺はハートに顔を寄せた。俺の記憶にふわりと寄り添うような、優しい香り。トマトの青さ、揚げたてのチュロス、俺とお前を隔てる海、戦場の土埃と鉄、滴る汗。そして、スペインという大地。不思議に矛盾無く混ざり合ったそれらの匂いが、俺の胸を締め付ける。
気が付くと俺はそのハートに口付けていた。俺が我に帰ったのは唇をハートから離してからだった。はっと顔を上げて辺りを見回す。な、にをしているんだ俺は!!ぶわっと熱が戻ってくる。あーとかうーとか唸って1人で悶々としながらも、手にしたハートを離す気にはならず。
「兄ちゃん何で入らないの!?会議始まっちゃうよ!?」
「ううううるせー馬鹿弟!!」
焦れたヴェネチアーノが議場からひょっこり現れるまで俺の葛藤は続いた。急いで立ち上がりながら咄嗟に俺はハートを上着のポケットに突っ込んだ。
俺がそれを思い出したのは会議なんてとっくに終わり、あてがわれたホテルでスーツを脱いでいる時。少し膨らんだ上着のポケットにはてと首を捻り、そこでようやく会議前の出来事に行き着いた。ベッドに腰掛け、ハートを取り出してじっと見る。ハートはほんの少しだけ萎れていたようだったが、俺の手に触れるとまた元通りになった。色も匂いも全く変わっていないことに少しほっとした。
ふと思い出す、鳥がこいつを啄む姿。思わずごくりと唾を飲む。
…食える、のか?
思わず部屋の中をきょろきょろと見回した。ヴェネチアーノはとっとと着替えて遊びに行っている。やるなら今しかねえ!と妙な使命感に俺は燃え上がり、ついに俺はスペインのハートを一口、かじった。
その時の感じはうまく表現できない。ふわりと例の香りを漂わせ、それ以上に甘く胸を掻きむしるような切なさを舌に残し、スペインのハートは消えてしまったのだ。口の中の欠片だけではない、俺の手の中のハートまで一緒に消えてしまった。
俺はしばし呆然としていたが、ある瞬間にかっと湧き上がったのは怒りだった。まるで俺の想いをはぐらかされたような気分だった。鳥ですら食べることができていた。触れることもキスもできたのに、俺が食べることだけ叶わなかったスペインのハート。無性に腹立たしかった。いつの間にか滲んでいた涙をぐいっと拭って俺は立ち上がった。
明日の会議は午後からである。あいつもその辺を分かっていたに違いない。元より誘いを断る気は無かったが、今ならドアをノックする時の躊躇いすら無くせる気がする。
目指すは、同じホテルの中のスペインの部屋だった。
「ロマーノ!」という呼び掛けの後に続く言葉は「愛しとるで!」とか「後で俺の部屋来てな」だったりするのだが、あいつがそういう風にウインクを飛ばすのは、会議の前などで俺達が落ち着いて話せない時である。前者の場合は周囲と一緒にげんなりした顔をしながら「…分かったから騒ぐな」と釘を差し、…後者の場合は俺がばっと顔を上げた時にはすでにスペインは歩き去っているという寸法だ。もうすぐに始まる会議、1人取り残される俺。
…ころん。転がるハートを、今日も俺は持て余す。
訂正しよう。あいつが愛を表す度に、ハートが1つ飛んでくる。
正面からぎゅっぎゅっと抱き締められた時、ふと目をやるとスペインからいくつもハートが飛んでいた。俺に受け取られないハートはころんころんとそこら中に飛び散って、鳥がそれを食んでいた。何故俺がスペインのハートを持てなかったって、俺の腕は目の前の男でいっぱいになっていたからだった。それでも俺は悔しさを感じ、そのハートは俺宛てなんだ俺のなんだお前らの餌じゃねえんだよバーカバーカ!という思いを込めてスペインの背中に回した腕に更に力を込めた。「嬉しいわあ」と、俺にとっては微妙にズレた言葉の端からまた1つ、綺麗なハートが転がった。
癪なことだが何かを飛ばしているのはスペインだけではない。愛の国を自称するフランスなんて、流石というか何というか、ウインクどころか挨拶のキスの度に飛ばしている。しかしあいつが飛ばすのはハートではなく、薔薇である。美しい赤色をして上等な香水がほのかに香るそれは、しかし俺の好みではない。そして、愛という感情を俺達が持っている以上は仕方の無いことなのかもしれないが、フランスの「愛」が俺の視界に入るのはいい気分ではなかった。俺はフランスの薔薇を見る度にもやもやとした気持ちになるのであって、ある時ついに耐え切れなくなった俺は隣にいたスペインに言った。
「スペイン」
「何?」
「キスしろ」
唇が離れて行く瞬間、ちらりと目を開けた先でスペインのハートが転がり落ちるのを見て、俺はようやく胸がすく。
そして何と驚いたことに、あのマッチョジャガイモまでもが愛という名のハートを飛ばしている。それは大抵ヴェネチアーノがあいつの傍にいる時に起こる。しかもあいつのハートには、はじらいだのかわいいだの、文字まで刻まれているからたまったものじゃない。帰宅して玄関に転がる「いとしい」のハートを発見した時の気持ちを考えてみろ。それが「ごめんな、急な仕事が入ってもうて」と言われてスペインと別れた直後だったら尚更だ。人差し指と親指でそいつを摘み上げ、…最後の慈悲でそれを外に放ることはせず、足元に落としたそれを爪先で蹴り飛ばしながら俺はハート置き場になっているであろうリビングのドアを開ける。
「てめーマッチョジャガイモ何してんだこのやろー!!」
「続きは、夜な」
そう言ってさっさと議場に入って行ったスペインの後ろで俺は呆けて突っ立っていた。いつもの世界会議の直前、久し振りに会ったと思ったら公の場で、しかも会議の直前に交わすとはとても思えないキスをかまされ、俺は固まってしまっていた。誰もいなかったからいいものの、もし誰かに見られたらどうすんだ。現実を差し置いて気持ち良いとか思ってしまった俺の馬鹿。残された言葉も相まって、顔に集まる熱が止まらない。
「お盛んなのはいいけどお前らほどほどにしときなさいよー」
…見られてた。死にたい。フランスの馬鹿も去り、今度こそ俺は広い廊下に1人取り残される。スーツが皺になるのも構わずに、俺はたまらずしゃがみ込んで膝に顔を埋めた。恥ずかしい。見られた俺。恥ずかしい野郎。あんな声を出すスペイン。
ようやく顔の熱が引いてきたかと思って顔を上げると、すぐ目の前に見慣れたハートが転がっていた。建物の中だというのに何故だか寄って来ていた鳥をしっしと追い払い、俺は初めてそのハートを手に取った。少し高めの温度が心地良い。両方の手を合わせたよりちょっと小さいぐらいの大きさ。俺はハートに顔を寄せた。俺の記憶にふわりと寄り添うような、優しい香り。トマトの青さ、揚げたてのチュロス、俺とお前を隔てる海、戦場の土埃と鉄、滴る汗。そして、スペインという大地。不思議に矛盾無く混ざり合ったそれらの匂いが、俺の胸を締め付ける。
気が付くと俺はそのハートに口付けていた。俺が我に帰ったのは唇をハートから離してからだった。はっと顔を上げて辺りを見回す。な、にをしているんだ俺は!!ぶわっと熱が戻ってくる。あーとかうーとか唸って1人で悶々としながらも、手にしたハートを離す気にはならず。
「兄ちゃん何で入らないの!?会議始まっちゃうよ!?」
「ううううるせー馬鹿弟!!」
焦れたヴェネチアーノが議場からひょっこり現れるまで俺の葛藤は続いた。急いで立ち上がりながら咄嗟に俺はハートを上着のポケットに突っ込んだ。
俺がそれを思い出したのは会議なんてとっくに終わり、あてがわれたホテルでスーツを脱いでいる時。少し膨らんだ上着のポケットにはてと首を捻り、そこでようやく会議前の出来事に行き着いた。ベッドに腰掛け、ハートを取り出してじっと見る。ハートはほんの少しだけ萎れていたようだったが、俺の手に触れるとまた元通りになった。色も匂いも全く変わっていないことに少しほっとした。
ふと思い出す、鳥がこいつを啄む姿。思わずごくりと唾を飲む。
…食える、のか?
思わず部屋の中をきょろきょろと見回した。ヴェネチアーノはとっとと着替えて遊びに行っている。やるなら今しかねえ!と妙な使命感に俺は燃え上がり、ついに俺はスペインのハートを一口、かじった。
その時の感じはうまく表現できない。ふわりと例の香りを漂わせ、それ以上に甘く胸を掻きむしるような切なさを舌に残し、スペインのハートは消えてしまったのだ。口の中の欠片だけではない、俺の手の中のハートまで一緒に消えてしまった。
俺はしばし呆然としていたが、ある瞬間にかっと湧き上がったのは怒りだった。まるで俺の想いをはぐらかされたような気分だった。鳥ですら食べることができていた。触れることもキスもできたのに、俺が食べることだけ叶わなかったスペインのハート。無性に腹立たしかった。いつの間にか滲んでいた涙をぐいっと拭って俺は立ち上がった。
明日の会議は午後からである。あいつもその辺を分かっていたに違いない。元より誘いを断る気は無かったが、今ならドアをノックする時の躊躇いすら無くせる気がする。
目指すは、同じホテルの中のスペインの部屋だった。
作品名:ハートキャッチなスペロマ 作家名:あかり