Holy and Bright
◆6
すっかり暗くなった部屋で、アンジェリークは眠っているジュリアスを見つめていた。
ルヴァはたぶん、とても言葉を選んで伝えてくれたはずだ。だが、ジュリアスがクラヴィスに自分のサクリアを感じるかどうか尋ねたというくだりでは、たまらず泣いてしまった。また、そういうことで泣く自分がとても嫌だった。
ルヴァは言った。守護聖を務めている者は、そのサクリアと女王による聖地という庇護のもと、多少の病気や怪我にも対抗しうる体力を持っている。だから彼らは長い時を過ごすことができるのだと。
だが、そのサクリアが消えるとき−−只人に戻る前、抵抗力が著しく低下する。もっともそれは通常徐々に失せていくため、多少疲れやすくなるだけで、それほど問題にはならない。
しかし中には一挙にサクリアを失う守護聖もいる。
「前の鋼の守護聖がまさにそうだったのですよ」
そう言ったルヴァの表情は暗かった。
「苦しそうでした……。根こそぎ体力を奪われるような感覚だったそうです……私も直接聞いたわけではないのですが」
そして今回、ジュリアスはそれをたった一日で味わうはめに陥った。それでなくても自分の力を知らない民たちという事実と、アンジェリークから不要と断じられたことに精神的にダメージを受けていたことが拍車をかけた。そこへあの負傷。相当な衝撃を受けているはずです、とルヴァはアンジェリークに言った。
「まあもっとも……傷自体はそれほど重いものではありませんが、ちょっと出血し過ぎたのと、あとは土の多いところで横たわっていたことが気になります。消毒はかなり念を入れてやっておきましたがねぇ……気合いだけではどうにもならないこともあるかもしれません。そのときは」
アンジェリークはこくりと頷いた。
「……絶対に飛空都市に返します。どんなに恨まれても」
アンジェリークの言葉にルヴァはくすっと笑った。
「ジュリアスがあなたのことを恨んだりなどするものですか」道具類を鞄に戻しながらルヴァは続ける。「他人にも厳しい人ですが、それ以上に自分に対して厳しいですからね、あなたにそう決めさせた自分を責めるでしょうけれど」
「そんな……」
「そういう人なのですよ」そう言うとルヴァはふと手を止めてアンジェリークを見た。「あなたも相当疲れているでしょうけれど……」
アンジェリークはぶんぶんと首を横に振った。
「大丈夫ですっ、元気ですっ」
「今晩は徹夜ですよ?」
「“夜伽”は得意ですから」
「……え?」
「いいえ、こちらの話」
肩をすくめてアンジェリークは笑った。
そして今もまた、眠るジュリアスのベッド際でアンジェリークは思い出して笑った。
「“夜伽”では笑ってくれましたよねー」アンジェリークはジュリアスに囁いた。「ちょっと……というか、かなり意味が違うけど」
アンジェリークは、椅子から立ち上がって拳を握り、言った。
「がんばって看病しますからね!」
そう言ってからアンジェリークは、ジュリアスの寝顔を見た。そして黙ったまま腕をだらりと降ろすと、そのまますとんと椅子に座った。
(顔色……すごく悪い……)
何とか楽しいことを考えて自分を励まそうとした作戦は、どうやら失敗に終わったらしい。作った拳が震える。そしてそのまま突っ伏すように頭をベッドに突っ込んだ。もちろんジュリアスの邪魔にならぬようにしたので、ぽふん、と小さな音がしただけだった。
ジュリアスの体にかけられたシーツの端に突っ伏したままアンジェリークは呟いた。
「私って……最っ低……」
声に出して言ってみた。誰もが崇めるか労うばかりで罵ってくれないので、自分で自分を罵る。まるでさっきルヴァが言ったジュリアスのように。もっともジュリアスはこんな責め方はしないだろうけれど。
そのとき、そのベッドのシーツが動いた。
え、と思ったときにはもう、頭にそっと触れるものがあった。
「何が最低なのだ?」
その声に驚き、アンジェリークは顔を上げた。ジュリアスが手をシーツから出してアンジェリークの頭に手を置いていたが、するりと指が滑り降り、アンジェリークの頬から顎へと移動した。
少しだけ力をかけてジュリアスはアンジェリークを自分のほうへ向かせた。
「……無事戻ったようで何よりだ」
アンジェリークは呆然としてジュリアスを見た。
「……ああ……待っていたのだが、どうやら眠ってしまっていたようだな。おまえが苦労しているのに申し訳なか……」
ジュリアスの声が途切れる。それもそうだ、顎にかかった指が濡れていく。
「アンジェリーク……」
何故私が泣くの?
情けないのと悔しいのとで、アンジェリークは思わずシーツを掴んだ。
泣いたらジュリアスが困るのに。
「……泣くな」
顎にあった手が再び頬に触れ、親指が涙をすくっている。
……何故私はこの人を厳しいと思っていたのだろう? こんなにも……優しいのに……。
そう思うとますます涙は止まらなくなった。
もう片方の手もシーツから出た。そして体をにじるようにしたジュリアスは、少し顔をしかめた。はっとしてアンジェリークは立ち上がった。
「だめです!、傷に障ります!」
そう言った拍子にアンジェリークは、腕をジュリアスから引っ張られた。再び突っ伏すようにしてベッドに倒れ込んだアンジェリークをジュリアスは緩やかに抱き寄せた。
「ジュリ……」
今度はアンジェリークがジュリアスの胸の上にいた。耳から鼓動が聞こえる。だが真っ赤になったアンジェリークにはそれが、はたしてジュリアスのものなのか、自分の脈拍の速さによるものなのか区別がつかなかった。
「おまえは不思議だな」
頭上から声がする。
「先程は母のように私をなぐさめたのに、今は子どものように泣く」
そして、ぽんぽんとなだめるように頭を軽く叩かれた後、アンジェリークは肩を押された。
体が起こされる。目と目が合った。
「どうした……? 森は……どうであった?」
アンジェリークは目を伏せた。
「ほとんど燃えて……しまいました。でも人の被害が出なかっただけでも……」
「……そうか」
ぽつりと言うとジュリアスは、再度アンジェリークの涙を指で払うと微かに笑った。
「少し空腹になった」
とたんに、アンジェリークはぱっと顔を上げた。
「……何か作ってきます!」
「簡単なもので良い」
「はい!」
明るく返事をしてからアンジェリークは、はたと気付いてジュリアスを見た。
「何だ……?」
少し戸惑ったような様子でジュリアスが問う。
涙を押し止め、アンジェリークは微笑み返した。
「ジュリアス……ありがとう」
言われてジュリアスのほうが目を見開いた。何か言おうとするのをしり目に、アンジェリークはとん、とベッドから身を引くと、また拳を作って見せた。
「美味しいもの、作りますからね!」
「……ああ」
和んだ表情に戻ってジュリアスは応えた。
アンジェリークはドアを開き、台所へと向かう。
……絶対、明日は元気良く朝を迎えさせてみせる。
また涙をぽろぽろと流しつつもアンジェリークは、気合いを入れた。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月