end of the sorrow
憎らしいまでに晴れ渡った空の下に、剣戟の音と怒号が轟く。世の安寧を求める心に共鳴し結束を固める東軍と、徳川を打ち倒そうという意志の下に集った西軍。おそらく両軍の最後の衝突となるであろうこの戦で、全ての兵が己の信じる道のために命を賭して剣を振るう。東軍に属する政宗もまた、その中の一人である。
最前線からはやや離れているとはいえ、激戦が繰り広げられているのは同じこと。六の刀で敵を薙ぎ払って前進を続けながら、戦狂いの仮面の下で、政宗は思う。一体どれだけを奪い、奪われたのか、と。戦場に感傷は不要だと理解していながらも、背筋の寒くなるような思いがする。もっとも、そのような気分に浸っている余裕はあろうはずもない。死角から振り下ろされた刀をなんとか受け止め、弾き返す。足元に転がった男に狙いを定めて振り下ろそうとしたその瞬間、政宗の耳は遠くで上がる鬨の声を捉えた。それは波のように戦場に広がっていく。告げられたのは、東軍の勝利。
西軍の兵たちは混乱を極めた。ある者はその場に崩れ落ち、またある者は自棄を起こし敵兵に斬りかかる。政宗は一本を残して刀を鞘に納めると、視線を巡らし腹心の姿を探す。政宗よりやや後方で戦闘していた彼は、斬りかかってくる兵を往なしながらこちらへ向かってくる。
「撤退するぞ、小十郎!」
勝敗が決した以上、戦場での長居は無用という判断だ。この混乱した状況の中で戦功をたてることは容易いだろう。しかし、政宗は敗軍をさらに追いつめる事は好まなかった。何より、自軍からこれ以上犠牲を出さないことの方が、今の政宗にとっては重要だった。
その意を酌んだのかは定かでないが、御意、と短く返事をし、小十郎は自軍の兵たちに指示を飛ばす。殿を小十郎に任せ、政宗は自ら先頭に立って退路を確保して進む。それが奏功してか、撤退時には一人も欠けることなく戦線を離れる事に成功した。
さて、これからどうするべきか。そのような意味をこめて小十郎に目配せをしたところで、見計らったように徳川の使者が駆けてくる。彼が持って来た報せは、家康が石田三成を討ったというものだった。
「それで、石田は生きてるのか?」
「す、すみません。家康様が人払いをしていらっしゃる故、まだ確認できていないのです」
「hum……」
右手に提げたままだった最後の一本を納刀し、しばし逡巡する。仮にまだ三成が生きていたとして、家康は石田の命を奪うことができるだろうか。できるだろうな、と政宗は思う。家康は自身の行動の矛盾を抱え込んで生きる覚悟を固めている。家康が石田にやけに執着しているのは明らかだが、それでも家康は石田を殺めるだろう。二人の思想はどこまでいっても交わることはないだろうし、何より家康にとって優先されるべきは天下を纏めることなのだから。
結構なことだ。石田を生かしておけば、禍根が残るのは必至。しかし、それでは未だ燻る石田に対するこの怒りを、一体どうすればいいというのか。
やがて意を決したように、政宗は小十郎に言い放った。
「……石田の所に行く」
「政宗様!」
諌めようと声を荒げたが、続く言葉を飲み込んだ。小十郎が危惧していたのは、政宗がただ怒りに任せて石田へと突き進んでいくことだった。もっとも、徳川との同盟を決めた時点でそのような心配は以前に比べれば軽くなっていたのだが、今は状況が状況だ。このまま誰も口を出さずにいれば、石田は徳川の手によって殺められる。そうなれば、石田を倒すという目的こそ達せられるものの、政宗の胸中は永久に晴れることはないだろう。それならば、と焦った政宗が無謀を冒すことを小十郎は恐れていた。
しかし、こうして小十郎の前に立つ政宗は、怒りだけで事を起こそうとしているわけではなさそうだ。まっすぐに小十郎を見つめるその目は、自身の怒りを超えた先を貫いているようだった。
軽く溜息を吐いてから、小十郎は先を続ける。
「……後の事は小十郎にお任せください。どうか、遺恨なきよう」
当然反対されると思っていた政宗は、小十郎があっさりと引き下がったことにやや驚きながらも、短く礼を述べて、石田の陣を目指して駆け出した。
「誰だ、貴様は」
そう宣ったのは、上田城で再会した時だった。心底から、許せないと思った。敵軍の将である政宗を忘れるということは即ち、その戦いで生じた多くの犠牲を、この男は全く心に掛けていないということに等しい。
時代が大きく変容していくのに際して多くの犠牲が出るのは必定だということは、政宗とて理解している。だからこそ、将たる者にはその犠牲を背負う覚悟と、犠牲を最少数に抑えようとする強い意志が必要である。それが政宗の持論であり、今まで刃を交えてきた多くの敵将もまた、同じ気持ちで先の見えぬ乱世を生きていただろう。しかし、石田という男からは、消えゆく者への何らかの想いを感じ取ることはできなかった。他者を塵芥のように扱うその態度が、政宗には決して許すことができなかった。
何としても石田を倒さねばならない。しかし、先の戦で戦力を大幅に削られた伊達軍だけでは対抗できない。こうして徳川との同盟を決めたのだが、言うに事を欠いて家康は、石田を許してやれないかと尋ねてきた。家康の真意は掴めない。親交のあった長曾我部が西軍に付いた時にも、動揺を見せなかったと聞く。それでも自らの手で石田を討たねばならないという意志だけは非常に強固で、おそらくそこには石田の主を、生きる理由を奪ったことへの贖罪の意識が働いているのだろう。それを乗り越えた家康は、おそらく天下を統べるに十分すぎるほどの強さを手にすることができよう。この最後の戦いは、良きにせよ悪しにせよ、家康を成長させる。
では、この戦いを通して石田は変わったのだろうか。否、今でもあの男は一つの事しか考えられない。主を奪った家康への復讐で頭を満たし、それ以外の何物もその目に映さない。もっとも、それは政宗とて同じことなのかもしれない。それを理解していてもなお石田を追うのは、政宗を、今まで石田が無自覚に踏み躙ってきたものを、その心に留めさせようとする故なのだ。
最前線からはやや離れているとはいえ、激戦が繰り広げられているのは同じこと。六の刀で敵を薙ぎ払って前進を続けながら、戦狂いの仮面の下で、政宗は思う。一体どれだけを奪い、奪われたのか、と。戦場に感傷は不要だと理解していながらも、背筋の寒くなるような思いがする。もっとも、そのような気分に浸っている余裕はあろうはずもない。死角から振り下ろされた刀をなんとか受け止め、弾き返す。足元に転がった男に狙いを定めて振り下ろそうとしたその瞬間、政宗の耳は遠くで上がる鬨の声を捉えた。それは波のように戦場に広がっていく。告げられたのは、東軍の勝利。
西軍の兵たちは混乱を極めた。ある者はその場に崩れ落ち、またある者は自棄を起こし敵兵に斬りかかる。政宗は一本を残して刀を鞘に納めると、視線を巡らし腹心の姿を探す。政宗よりやや後方で戦闘していた彼は、斬りかかってくる兵を往なしながらこちらへ向かってくる。
「撤退するぞ、小十郎!」
勝敗が決した以上、戦場での長居は無用という判断だ。この混乱した状況の中で戦功をたてることは容易いだろう。しかし、政宗は敗軍をさらに追いつめる事は好まなかった。何より、自軍からこれ以上犠牲を出さないことの方が、今の政宗にとっては重要だった。
その意を酌んだのかは定かでないが、御意、と短く返事をし、小十郎は自軍の兵たちに指示を飛ばす。殿を小十郎に任せ、政宗は自ら先頭に立って退路を確保して進む。それが奏功してか、撤退時には一人も欠けることなく戦線を離れる事に成功した。
さて、これからどうするべきか。そのような意味をこめて小十郎に目配せをしたところで、見計らったように徳川の使者が駆けてくる。彼が持って来た報せは、家康が石田三成を討ったというものだった。
「それで、石田は生きてるのか?」
「す、すみません。家康様が人払いをしていらっしゃる故、まだ確認できていないのです」
「hum……」
右手に提げたままだった最後の一本を納刀し、しばし逡巡する。仮にまだ三成が生きていたとして、家康は石田の命を奪うことができるだろうか。できるだろうな、と政宗は思う。家康は自身の行動の矛盾を抱え込んで生きる覚悟を固めている。家康が石田にやけに執着しているのは明らかだが、それでも家康は石田を殺めるだろう。二人の思想はどこまでいっても交わることはないだろうし、何より家康にとって優先されるべきは天下を纏めることなのだから。
結構なことだ。石田を生かしておけば、禍根が残るのは必至。しかし、それでは未だ燻る石田に対するこの怒りを、一体どうすればいいというのか。
やがて意を決したように、政宗は小十郎に言い放った。
「……石田の所に行く」
「政宗様!」
諌めようと声を荒げたが、続く言葉を飲み込んだ。小十郎が危惧していたのは、政宗がただ怒りに任せて石田へと突き進んでいくことだった。もっとも、徳川との同盟を決めた時点でそのような心配は以前に比べれば軽くなっていたのだが、今は状況が状況だ。このまま誰も口を出さずにいれば、石田は徳川の手によって殺められる。そうなれば、石田を倒すという目的こそ達せられるものの、政宗の胸中は永久に晴れることはないだろう。それならば、と焦った政宗が無謀を冒すことを小十郎は恐れていた。
しかし、こうして小十郎の前に立つ政宗は、怒りだけで事を起こそうとしているわけではなさそうだ。まっすぐに小十郎を見つめるその目は、自身の怒りを超えた先を貫いているようだった。
軽く溜息を吐いてから、小十郎は先を続ける。
「……後の事は小十郎にお任せください。どうか、遺恨なきよう」
当然反対されると思っていた政宗は、小十郎があっさりと引き下がったことにやや驚きながらも、短く礼を述べて、石田の陣を目指して駆け出した。
「誰だ、貴様は」
そう宣ったのは、上田城で再会した時だった。心底から、許せないと思った。敵軍の将である政宗を忘れるということは即ち、その戦いで生じた多くの犠牲を、この男は全く心に掛けていないということに等しい。
時代が大きく変容していくのに際して多くの犠牲が出るのは必定だということは、政宗とて理解している。だからこそ、将たる者にはその犠牲を背負う覚悟と、犠牲を最少数に抑えようとする強い意志が必要である。それが政宗の持論であり、今まで刃を交えてきた多くの敵将もまた、同じ気持ちで先の見えぬ乱世を生きていただろう。しかし、石田という男からは、消えゆく者への何らかの想いを感じ取ることはできなかった。他者を塵芥のように扱うその態度が、政宗には決して許すことができなかった。
何としても石田を倒さねばならない。しかし、先の戦で戦力を大幅に削られた伊達軍だけでは対抗できない。こうして徳川との同盟を決めたのだが、言うに事を欠いて家康は、石田を許してやれないかと尋ねてきた。家康の真意は掴めない。親交のあった長曾我部が西軍に付いた時にも、動揺を見せなかったと聞く。それでも自らの手で石田を討たねばならないという意志だけは非常に強固で、おそらくそこには石田の主を、生きる理由を奪ったことへの贖罪の意識が働いているのだろう。それを乗り越えた家康は、おそらく天下を統べるに十分すぎるほどの強さを手にすることができよう。この最後の戦いは、良きにせよ悪しにせよ、家康を成長させる。
では、この戦いを通して石田は変わったのだろうか。否、今でもあの男は一つの事しか考えられない。主を奪った家康への復讐で頭を満たし、それ以外の何物もその目に映さない。もっとも、それは政宗とて同じことなのかもしれない。それを理解していてもなお石田を追うのは、政宗を、今まで石田が無自覚に踏み躙ってきたものを、その心に留めさせようとする故なのだ。
作品名:end of the sorrow 作家名:柳田吟