end of the sorrow
振り下ろした刀は、僅かに石田の首を掠めただけで、地面に突き刺さった。殺せなかった。情が湧いたわけではない。ただ目的が全て達せられたことで、自然冷静になったのかもしれない。石田の処遇については家康に任せるべきだろう。家康もきっとそれを望んでいる。もはや政宗には、石田を殺す理由がなかった。それだけだ。
刀を抜き取って鞘に戻す。石田は意識を失っているようだ。先の戦闘で負った傷のせいだろう。あるいは張りつめていた緊張の糸が切れてしまったのか。本陣へ連れ帰るべきか迷ったが、おそらく家康はここに戻ってくるだろうと、放っておくことにした。
その予感は的中した。石田に背を向けて、先程駆け登って来た道を戻っていると、坂道の少し先に家康の姿が見えた。自軍を回って檄でも飛ばしていたのだろう。息を切らせて駆けてきた家康は、政宗の姿を見つけて足を止めた。
「三成を殺したのか?」
息を整えてから、責めるような口ぶりで問う。こんなに余裕のない家康を見るのは久々だなどと思いつつ、政宗は静かに首を横に振った。
「そうか……」
家康は心底安堵したようであった。
「石田を殺すのか?」
問い返すと、家康は苦しげに眉を寄せて、ああ、と短く答えた。やはり自らの手で全てを終わらせ、そしてそれを背負って生きる決意は固いのだろう。その覚悟に今さら口出しをする気は、政宗にはない。それは誰かの夢や理想を破って生き残った者の当然の務めだ。
それでも一緒に背負うくらいはできるだろうと、政宗は思う。しかし、家康は頑なだ。そうやって孤独に生きていく心積もりなのだろう。
流れる沈黙を破ったのは家康だった。
「独眼竜、同盟を結んだ時に問うたことを、今一度問い直してもいいだろうか」
「……OK。言ってみな」
「三成を許すことはできないか」
家康がそれを問うのは当然と言えば当然だ。石田を許すかどうかを決めるのは生き残ってからだと言ったのは政宗自身だ。こうして生き残った以上、家康の問いに答える義務が、政宗にはあった。
目を細めて家康を見る。家康の視線はまっすぐで、誤魔化しが通用するようには思われなかった。とはいえ政宗も、まだ上手く心が整理できずにいる。それでも、答えを先延ばしにすることはできそうになかった。結局政宗は、整理のつかない思いをそのまま家康に投げる事にした。
「許せるか許せないかってことなら、そうだな、石田を許すことはできそうにねぇ」
「独眼竜!」
「Shut up。黙って聞いてな、家康。石田を許すことはできない。だが、もう前ほどの怒りは感じていない」
石田が政宗のことを思い出したからと言って、自らの罪に思い至ったわけではあるまい。単に思い出した事実をそのまま告げただけのことかもしれない。そうだとしても、今まで見向きもしなかったものをその眸に映したことは、石田にとって大きな変化だったに違いない。だから、制御の利かない、感情任せの怒りは消えたのだ。
政宗の答えを聞いて、家康はそうか、と言って満足そうに頷いた。それはまるで喧嘩をしていた友人同士が仲直りをしたことに喜ぶ幼子のような屈託のない笑顔で、家康にとって石田は、本当に大切な友だったのだということが痛いほどに感じられた。乱世の無情さを、嫌と言うほど思い知らされる。
「行くならさっさと行けよ。アンタがやらないなら、俺がやる」
吐き捨てるように言うと、家康は苦笑しながら、それは困るなと嘯く。その笑顔が痛々しい。これがきっと、家康にとって精一杯の強がりなのだろう。
じゃあまた後で、と言って石田のもとに向かう家康を、政宗は黙って見送るつもりだった。
「家康!」
思わず叫んでしまってから、自分の失態に舌打ちをする。今さら家康に掛ける言葉などなかった。本当にそれでいいのかと、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。そんな問いは無意味だ。振り返った家康は、ばつの悪そうな顔で俯く政宗に、これ以上ないほどの眩しい笑みを向けてから、くるりと振り返って再び石田へと向かっていった。
嘆きは終わる。しかしそれは結局、また新たな嘆きを生み出すに過ぎないのかもしれない。覚悟をその胸に秘めて歩いていく家康の背を、政宗はただ見つめることしかできなかった。
‐了‐
作品名:end of the sorrow 作家名:柳田吟