エクスキューズミー
「ここは……どこだ」
トーキョーであるということまでは恐らく確かなはずだ、とウェイバー・ベルベットは高層ビルだらけの無味乾燥にして猥雑な感想しかもたらさない街並みを眺め嘆息した。
「まったく、あの役立たずの日本人が!」
彼の言う日本人とは日本に住まう人々全てを指すわけではなく、魔術学校での教え子である遠坂凜のことである。
『私、機械関係は本当に苦手で……士郎がついてれば恐らくそれなりにご案内できると思うのですけれど』
『遠慮しておく。プライベートでまでお前らに付き合わされるなんぞまっぴらだ』
そう答えた自分を棚に上げて、ウェイバーはただでさえ不機嫌そうに見える目をさらに眇めて案内板(ディレクトリィ)を探したがそれらしき看板は見当たらない。
「アヤカにルートの確認くらい頼むべきだったかな」
年下の友人を頼っておくべきであったと思えども、今更それを口にしても詮無いことだ、とウェイバーは嘆息した。
日本嫌いを標榜して憚らなかった彼が現在日本に滞在しているのは凜の生家がある冬木市において重大な仕事があったからだ。
仕事、と言っても魔術協会の仕事ではない。むしろそれに反する、しかし重大な仕事であった。
大聖杯の完全なる解体。
今を去ること二十年前、十九歳のウェイバーは魔術師として第四次聖杯戦争に参加していた。自らの師・ケイネス・エルメロイ・アーチボルトからの聖遺物を掠め取り、自らの価値を師や同級生に認めさせることを願いとしてライダーのサーヴァントを召喚した。
征服王イスカンダル。
サーヴァントでありながら豪放磊落な王と共に過ごすうちにウェイバーもイスカンダルの望む夢を共に追いかけようと思うようになった。しかしウェイバーが臣下の礼を取った直後、イスカンダルはアーチャーのサーヴァント――ギルガメッシュの怒涛の攻撃の前に力尽きた。
『生きて余の生き様を世に知らしめよ』
イスカンダルの遺志を受け継ぐことが彼の生涯に賭けた使命となった。それほどに第四次聖杯戦争が彼にもたらした影響は計り知れない。
やがて時計塔に戻り、ケイネスの戦死によるアーチボルト家の没落を研究再編などで救い、講師としては一流の魔術師を育てる逸材として魔術協会における地位名声を手にした。自らが一流の魔術師になりたいという本人の希望とは全く遠い所での賞賛は、彼の心を潤すものではなかった。
十年後、冬木の地で第五次聖杯戦争が行われたがそこにウェイバーの姿はなかった。
二度と日本の地を踏むこともあるまい、そう思ってさらに十年が過ぎたある日、魔術協会でキナ臭い計画が持ち上がっているという噂が流れた。第五次聖杯戦争の際に破壊された大聖杯を復活させ、第六次聖杯戦争を行わんとしている、と。厄介なことに魔術協会の中枢でもその計画を支持する者が多く、大多数が賛成に流れようとしていた。
それに異を唱えたのはウェイバーと遠坂凜。第四次、第五次にてマスターとして参戦した経験のある二人が反対に回ったことで事態は紛糾、論議は白紙に戻されるかに思われたが、急進派の魔術師十数人が決議を待たずに訪日し、無理矢理に計画を推し進めんとした。ウェイバーと凜、そして第五次聖杯戦争におけるセイバーのマスターであり凜の付き人として時計塔にいた衛宮士郎がそれを追って冬木市に入り、聖杯戦争に匹敵するが如き大騒動の末に大聖杯を完全に解体し、冬木の地に置いて聖杯戦争が行われることは今後無くなった。
――時計塔に戻ったところで教師の仕事になんぞ未練はないが魔術師として研究を続けられるかどうかはわからないし、折角日本まで来たのだからここでしか出来ないことを。
大仕事を終わらせたウェイバーが選んだのが「秋葉原でゲームを思うさま買う」であった。元々ゲームが好きだったわけではない。イスカンダルが現界していた際に通販を使ってまで買ったのが「アドミラブル大戦略IV」なるテレビゲームで、現在でさえゲームシステム・難易度その他あらゆる面でのベスト・オブ・カオスゲームと名高いものだったが、聖杯戦争敗退後に残されたソフトを戯れにプレイし始めたのが彼がゲームを始めたきっかけである。
魔術師だろうがサーヴァントだろうが一般人だろうが、ゲームの前では誰もがただのプレイヤーである。ロード・エルメロイ二世の肩書も関係ない。
それにしても日本人というやつは、とウェイバーは不機嫌を通り越した表情を隠しもせずに嘆息した。ただ単に道を聞きたいだけで、そのためになるべくゆっくり、わかりやすそうな発音を心掛けてさっきから道行く人々に声をかけてみても
「あい きゃん のっと すぴーく いんぐりっしゅ、そーりーそーりー」
と、どこにもすまなさそうな気配のない返事で足早に立ち去るだけで全く相手にされない。どうしたものか、と思ったところへ視界の端に犬を連れた男女がこちらの方へ歩いてくるのが見えた。
「すまない、ちょっと道を尋ねたいのだが」
『うわ、どうしましょう、外人さんですよアクタベさん』
眼鏡を掛けた若い女性が黒いスーツを着た目つきの悪い男に向かって話しかけているのが見えたが、ウェイバーにはあいにく日本語がわからない。やはり通じないか、とウェイバーは思ったが、
「どちらまでおいでですか?」
眉間に皺を寄せた黒スーツの男の口から出たのは、キングズ・イングリッシュとは程遠くアメリカナイズされた俗っぽい発音、とウェイバーには思えるようなものであったが、流暢な英語と言って差し支えの無い淀みないものだった。