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春の嵐

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 微かに揺らぐカーテンの隙間から、柔らかな朝の陽射しが、室内に注ぎ込まれる。
 擦れ合う素肌から伝わる温もりと、糊の利いたホテル特有のシーツの感触に包まれながら、日野香穂子は束の間のまどろみから目を覚ました。
 ――身体を覚醒させるには、太陽の光を浴びるのが、一番効果的である。
 以前、母親と一緒に見たテレビ番組で、そんな特集を組んでいたような気もするが、今はもう少し、この気怠く幸せな時間に浸っていたい……。
 起き抜けのぼんやりとした頭で、香穂子は漠然と思った。
 うっすらとまぶたを開けば、そこには気持ちよさそうな寝息を立てる、恋人――金澤紘人の横顔がある。
 とてつもなく幸せで、恥ずかしい時間の始め方は、雰囲気に流されるまま、言葉通り、彼に身を委ねれば良かった。
 実際のところ昨日は、遊園地と水族館で、絵に描いたような恋人デートを楽しんだ後、ごく自然な流れで、海の見えるこの部屋に辿り着いた。
 しかし、その締めくくり方は、未だ教わっていない。
(この部屋、結構、高いんだろうな……)
 香穂子は高い天井を見上げて、小さな息を吐いた。
 自分たちが泊まっているのは、みなとみらいの一角に建つシティホテルである。今回は部屋こそ一般的なツインルームだったが、ホテル自体のランクが高いことに違いはない。
 同年代のカップルであれば、割り勘が当然なデートの諸費用も、親子ほどの歳の差となれば、必然的に金澤が全面負担することになる。
 初めてのときもそうだったが、普段の彼からは想像もつかない気前の良さに、香穂子は内心、困惑していた。
「お前さん、なんつー顔してるんだ……」
「え……?」
 少し掠れた低い声が、香穂子の鼓膜をくすぐる。
 軽く首を捻れば、さっきまで眠っていたはずの金澤が、じっと香穂子を見つめて苦笑していた。解れた長髪がシーツに広がって、妙に艶めかしい。
「おはようさん」
 ――彼と迎える二度目の朝。
「お……お、おはようございます……」
 顔に血液が集まって、火を噴きそうなほどに火照った。
 恥ずかしさに耐えきれず、香穂子は胸元のシーツをたくし上げ、顔を埋めようとする……が、素早く回された金澤の腕がそれを阻み、うっすらと汗ばんだ裸の胸に抱き寄せられた。
「さて、その百面相の理由は何だ?」
「ふぇっ、べ、別に……」
 金澤は両手で香穂子の顔を挟むように押さえると、琥珀の瞳で覗き込む。
「……なあ、何処か辛いのか?」
 そこに不安の色を汲み取った香穂子は、心の中で白旗を揚げると、乾いた唇を開いた。
「ただ……こんなちゃんとした部屋を取ってもらって、悪いなぁ……って。私は先生の部屋でもいいんですよ」
「まったく、真剣な顔で、何を悩んでいるかと思えば……」
 大袈裟な溜め息を零して金澤は、香穂子の頭を大きな掌でくしゃりとかき乱す。
「お前さんが気にする必要はない。余計なこと考える余裕があるなら、俺も手加減はしないぞ」
「えっ、ええっ!」 
 次の瞬間、香穂子の両肩はシーツに押し付けられ、覆い被さった金澤に唇を塞がれていた。体温が急激に上昇する。
「……ん、むうっ」
 ――香穂子がベッドから抜け出るには、まだ幾何かの時間が必要そうだった。
作品名:春の嵐 作家名:紫焔