いやよいやよも
「お、お兄様が怖がってんだぞ!今すぐ駆けつけろ!」
『馬鹿を言え。そんな事の為に仕事を投げ出せれる訳が無いだろう。』
「!!!お前、仕事と俺とどっちが大事なんだよ!」
『仕事だな。』
「――――ッッ!ヴェストの馬鹿!!もう知らない!!」
『おい、兄さ/』
がっちゃん!と盛大な音を立てて受話器を叩き付け、電話を切った。
あまりの一人恐怖に耐え切れず、最後の頼みの綱としてかけた最愛最強の弟への電話を。
長年ヴェストを見てきた俺に、弟の思考は手に取るようにわかる。こう言う切羽詰ってどうしても聞いて欲しいお願いの時は、普段出さない声色と雰囲気のほうが効くって事もお見通しだ。だから大人しく大人しく、弟の好奇心がくすぐられる様ないつもとは違う『俺』で行ったのに。
うまく行ってたのに!あともう少しだったのに!
まず、わかりやすくでも大きすぎず『お前に会いたい』と伝えて、弟の脳ミソに『普段見せない気弱な顔の兄』を刷り込んだ。いつもと違う様子の俺に興味をそそられ、判断力が鈍った所に『空元気で、心配をかけさせまいと健気に頑張る』声を吹き込み、保護欲をかき立てる。で、『俺が小鳥のようにかっこいい兄さんを守らねば!』ってヴェストに思わせて、最終フライトに乗り込ませれば完璧だった。のに。
「わり、変なこと言った。気にすんな。」
『・・・大丈夫だ。』
「え?」
『今から全力で動けば最終フライトには間に合うはずだ。心配するな。今回の議題は9割がた解決しているし、残りもメールで何とかなるレベルのものだ。必要書類へのサインは済ませてあるし、提出物はすべてクリアしている。明日の予定といえば、会議終了時の会食がメインで、他の業務はどうとでもなる。菊には申し訳ないが、国際会議も近いし、何かあってもすぐに顔を合わせることができる。安心してくれ兄さん。約束していた土産の鳩サブレーは入手済みだ。こうしている時間も勿体無いな。今すぐに向かう。待っていてくれ!』
↑こんな感じで計画は順調だったのにポロっと『ビデオが怖くて仕方ない』と言ってしまった。
あんなに、見事に、後もうちょっとであいつは鳩サブレーと一緒に帰ってくるはずだったのに。・・・。
「!!!お前、仕事と俺とどっちが大事なんだよ!」
『仕事だな。』
即答された。
別に寂しくなんか無い。私情と仕事。俺とヴェストの立場が逆だったら俺だってそう言う。
俺たちはそう言うもんだ。プライベートと仕事はきっちり分けて、中途半端なことはしない。
命の危機ならまだしも、お化けが怖いから帰って来いなんてあの堅物が「わかった」なんていうわけが無い。
でもさ。
寂しい。
まだこっちは日が高くて、映画のフラッシュバックからはまだ耐えられる。
でも、一人だ。
ここ最近あいつは仕事が忙しくて、ずっとばたばたしてる。DVD鑑賞会だって休日出勤したあいつの帰りを待って、やっと出来た二人っきりの時間だ。次の日だって、フライトの時間までずーっと準備で碌に会話も出来なかった。行ってらっしゃいのちゅーの時だって、俺様ホントは泣きそうだった。
私情が「俺」の事なんだからもうちょっとぐらい構ってくれたっていいんだぜ?
仕事と、俺と。
ドラマか何かの女の台詞みたいな、馬鹿な台詞。
俺もテンションに任せて口にした、半分冗談みたいな言葉だけど。
大事なのは仕事だと、はっきり言われてしまった。
冷静になってきた今、ちくり、と奥のほうが冷たい。
ソファに腰掛、そのまま上半身を倒した。肘掛に頭を置いてぼーっと部屋の奥に視線をやる。
(静かだ・・・。)
誰も居ない。何も居ない。窓の向こうから時折風の音がするだけだ。
ゲームも、雑誌も、パソコンも、漫画も、テレビも、散歩も、買い物も何もやる気が起きない。
ただひたすらに虚空感がひどい。
もうホラー映画の事なんか忘れてしまった。
早く帰って来ればいいのに。
PIPIPIPIPIPIPIPI!!
「ぅおぁ!」
尻のポケットに入れたままだった携帯がけたたましく鳴った。
上体を起こして液晶を覗く。
着信は、ヴェスト、から。
「・・・こちらお兄様。どうしましたルートヴィヒ君?」
『あぁ、言い忘れた事があってな。いいか?』
「・・・なんだよ。」
『おやすみ、兄さん。』
耳に引っ付けた携帯から聞こえるリップ音。「ちぅ」と間抜けでへったくそなそれは、間違いなく弟殿の。ちゅー。
一瞬の間をおいてぼぼっと顔が赤くなるのがわかった。
「~~~~!!」
『明日必ず帰る。もう少しだけ待ってくれ。』
てんぱったまま「ja」と呟くと、もう一度リップ音を残して電話は切れた。
電話越しとか!電話だから当たり前だけど耳元とか!
電波に乗った音はやけにリアルで、湿ってて。寝る寸前の、一日使った声も少し掠れてて。「どうせまた小言」と何も構えてなかった俺の鼓膜にはそりゃもう効果は抜群で!
反則だ・・・・・・。
・・・・もうちょっとだけ待ってやるかぁ。
携帯にキスを落として、再びソファに寝そべった。
「何かに足首を掴まれるかも」と変な想像をしてしまい、横のまま膝を抱えるように丸まったのは内緒だ。
さぁてと。
色気づいた弟のためにクーヘンでも焼くか。それともお気に入りのビールでも買ってくるか。あぁ、もう一本ぐらいジャパニーズホラー借りてこようかな。ずっとあのムキムキに引っ付いていられるし。恥っずかしいちゅーを仕掛けてきた奴相手だ。このくらいの下心なら許される気がする。
日本は夜だけど、こっちはまだ昼だ。
でも最強最愛最高の弟に「おやすみ」されたんだ。お兄様として付き合ってやるしかないだろ?
「おやすみ、ヴェスト。」
陽光で暖まった空気を吸い込み、掌の中の携帯を一撫ですると目を瞑った。
俺様のお留守番はもうちょっと続く。