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Ja, mit Vergnugen

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「あんたドイツ初めて?」
ノイズから、一緒にドイツに来て欲しいと言われて 1週間。
タエへの報告や平凡での残作業、その他生活をドイツに移行するための準備などを行い、いよいよ明日ドイツへ旅立つという頃、食後のコーヒーを渡す蒼葉にノイズが尋ねた。

「うん、初めて。つか、そもそも俺、碧島からでたことねぇし。」
「…ふぅん?」


東江が島を買い取ってから、外から入ることはできても、島民が出て行くことは皆無だった。
本土への移住は勿論、島を出ることそのものを規制されていては、旅行など出来るはずも無い。


蒼葉の返答に何か考えているのか、伏目がちに遠くを見つめ、ノイズがコーヒーの入ったマグカップを手にした。

「あ、ノイズ。コーヒー熱いから気をつけ…」
「…! あっつ…!」

注意しようとしたときにはすでに遅く、コーヒーに口をつけたノイズが舌をだして、忌々しそうにマグカップを睨んでいた。

あわてて水を入れたコップを渡す。
「ばっか、なにやってるんだよ。お前猫舌の癖に」
「…別に猫舌じゃねーし」

含んだ水を飲み込み、むっとした口調でノイズが否定してきた。
それでも、すぐにコーヒーを飲もうとはせず、息を吹きかけて冷ましている。
その姿が、蒼葉にはとても微笑ましく映った。

熱いものを熱いと感じ、痛いことを痛いと感じる。
当たり前で、とても大切なこと。

優しさにくすぐったさを感じ、温もりを愛しいと感じる。
―――幸せということ。

初めて碧島を出ることに、不安がないといったら嘘になる。
文字通り知らない世界に飛び出すことに、わくわくしながらも、不安や心細さを感じるのも無理はない。

(でも)

と、ノイズをちらと見る。
どんな感情も、どんな感覚も、これからはノイズと一緒に感じられるだろう。
ノイズと一緒。
それが、不思議なほど心強かった。

(きっと、大丈夫)

これからの生活を思って、蒼葉はコーヒーを口にした。



◆◇◆



「うっわ…すげぇ…」

目の前に広がる景色に、思わず感嘆の声を上げる。
深い緑色の木々に覆われた山のてっぺん、抜けるような青空を背景に白い壁が美しい大きな城がたたずんでいた。
三角屋根の塔といい、それはまさしくこれぞ城! というにふさわしいフォルムだ。
同じ塔でも、碧島にあったオーバルタワーとはまるで違う。

自然と、人工的な建物。
まるで正反対のもののはずなのに、もはや山と一体となっているかのように、不思議と景色に溶け込んでいる。

「口」
「へ?」
「開いてる」
「あ、ああ」

口元を指差して満足そうに笑っているノイズの指摘に、あわてて口を閉じた。

「気に入った?」

ちょっと首をかしげてのぞきこむように問いかけてきた仕草に、ちょっとドキッとしてしまい、ごまかすように景色に目を戻した。

「ああ。あれはなんていう建物なんだ?」
「うん? あれ実家」
「へ〜、ジッカかぁ」

耳から入った音が、漢字に変換されるまで、数秒。

「…? つか、じっか? て、まさか…実家?」
「そう、実家」
「え…えええええ?!」

周りの人々が驚き振り返るほど、大きな声を出してしまい慌てて声を抑えた。
が、しかし。

(は?実家?あれが? つか、個人所有できるレベルじゃねーだろあれ)

見れば見るほど立派なそれは、まさに城。どんな大金持ちだろうが一般市民の持てる域を軽く超えていた。
周りをみれば、このすばらしい景色を収めようと、観光客と思われる人々がシャッターを切っている姿さえある。

その城を、こともあろうに実家呼ばわり。

(こいつ。何者…? 金持ちとは言ってたけど。ひょっとして、すげぇ身分のやつだったりすんのか??)

だらだらと冷や汗を流しながら固まる蒼葉の耳に、ノイズの笑い声が聞こえた。

「ぷっ、くくく。あんた、なんつー顔してんだよ」
「いや、そりゃおまえ、だって…」
「…冗談だし」
「なんつーか、驚いたっつーか…って、え?」
「だから、冗談」

ニヤニヤ笑うノイズの顔をみて、ようやく言葉が脳に届いた。

「冗談?」
「そう」
「え? まじで冗談?」
「つかさ、あんなの個人で所有できるわけねーし」
「……」
「? おい?」

黙り込んだ蒼葉を覗き込んだ瞬間…

「…痛っってぇ!」

蒼葉、渾身の拳骨がノイズの頭にヒットした。

「お、おまっ、言っていい冗談と悪い冗談があるだろーが!」
「いや、まさか信じるとは思わなかったから」
「ああ?!」
「どう考えても普通じゃありえねぇし」

殴られた頭をさすりながら、ノイズが蒼葉から距離をとった。
下手に射程距離に入ると、いまだ握り締められたこぶしが飛んできそうだったからである。

思わず脱力して蒼葉は天を仰いだ。
「信じた俺が、馬鹿だった…」
「信じてくれたんだ?」
「そ…」

そんなの当たり前だろ、と言いそうになった口をあわてて閉じる。
確かに、頭から信じていた。
疑うことすら、しなかった。
ただ、ノイズが言ったから。それだけの理由で。

(…なんか今、すげぇ恥ずかしいこと言いそうになってないか?俺)

怒っているのか、恥ずかしいのか分からなくなってきた頃、ポツリとつぶやいたノイズの声が耳に届いた。

「あんなありえねぇ話、俺が言ったから信じてくれたんだ?」
「…」
「なんつーか、ちょっと、いや、すげー嬉しいかも」
「…///」


顔にカッと血が上るのが分かった。きっと今、自分の顔は真っ赤になっているに違いない。
先ほどとは別の意味で拳を握り締める蒼葉を、ノイズが覗き込む。

「まだ、怒ってる?」
「…別に、怒ってねぇし」
「…ほんとに?」

顔を上げるとノイズと目が合った。
当初違和感を感じたピアスの一つも付いていないノイズの顔。
今ではむしろ、こちらが本来のノイズなのだろうと、思う。

感情の浮かぶようになった瞳に、ほんの少しの不安が揺らいでいるように思った。

(なんつーか、俺、この顔に弱いんだよなぁ…)

苦笑しながら、殴ってしまった頭を少し強めに混ぜ返す。

「怒ってねーっつーの!」
「ちょ、髪!ぐちゃぐちゃになるっつの」

混ぜ返されて逆立つ髪を手櫛でなでつけながらも、笑いあう。

改めて、目の前に広がるすばらしい景色に目を向けた。

「今日は晴れてるけど、少し霧の出ている日も見ごたえ、あるよ。秋の景色も、冬の雪景色も、夕焼けの景色も全部印象が違うし」
「へぇ、見てみたいな、それ」
「これから、一つずつ見られるだろ」
「…そうだな」
「それにこれは序の口だし?」
「?」
「まだまだ見せたい場所、いっぱいあるし」

振り返った蒼葉が目にしたのは、ノイズの満面の笑み。

青い空の下、笑っている姿が似合うと思った。
出会った当初の、無表情な姿より。
光の中、自由に飛び回る姿が、良く似合う。
白く輝くお城も良いけれど、やっぱり…。

(なんか、ドイツに来てやっぱ良かったかも)

「ああ。楽しみだな」

様々な思いを込めて、満面の笑みで返した。
作品名:Ja, mit Vergnugen 作家名:かやの