Ja, mit Vergnugen
◆◇◆
「それはおそらく、ノイシュバンシュタイン城だろう」
「ノイ…?」
「ノイシュバンシュタイン城。ドイツの観光名所の一つだ」
ある店の前。
『ちょっと、ここで待ってて』
と言い残し、ノイズが店に入ったのを確認すると、カバンの中でスリープしていた蓮を起こして、先ほどの城について尋ねてみた。
「観光名所のなかでも、特に日本人観光客に人気のある場所と言えるだろう」
「へぇ…」
蓮の説明を聞いて、日本でのやり取りを思い出す。
『あんたドイツ初めて?』
「ひょっとして、俺がドイツが初めてだって言ったから、わざわざ日本人が馴染みやすい場所に連れて行ってくれた、とか?」
「その可能性は、高いだろうな」
そんなことはおくびにも出さず、さらりとやってのけた。
「あいつ。本当に年下かよ。信じらんねぇ…」
「蒼葉。動悸が激しい。大丈夫か?」
「いや、大丈夫だし。つか、それは指摘しなくて良いし」
「そうか」
顔に熱が集まるのを感じながら、蒼葉は手で顔をあおいだ。
「おまたせ…、つか、なんかあんた顔赤くない?あつい?」
「いや、だから大丈夫だから」
「?…ま、いいけど。はい、これ」
そういって渡された容器の中から、食欲をそそる香りが湯気とともにのぼっていた。
「ん。すげぇいいにおい。うまそ。これってジャーマンポテト?」
「そう。さすがにこれは知ってるんだ?」
「…うっせ」
先ほどのやり取りを思い出し、ごまかすようにジャーマンポテトを一口ほおばる。
「…うまい!」
程よい香辛料の辛さと、ベーコンから染み出している塩みがホクホクのジャガイモとまざって、口の中に広がった。
「ここの店の、けっこーうまいから」
「うん、うまい」
(たぶんこれも、日本人の俺の口にあうオススメの店、チェックしてたんだろーな)
何気ない優しさに気付き、心があったかくなる。
そこで、ふと気付いた。
「あれ?ノイズは食べないのか?」
「ん?俺?」
ノイズが買ってきたお皿は1つだけ。
他は持っていなかった。
「これは、まぁ、間食っつーか、ちゃんとした飯食う前のおやつみたいなもんだから」
「ふーん、うまいのに」
そこで、蒼葉はいたずら心を起こしてみた。
「折角だから、お前も食えよ」
そう言って、フォークにポテトとベーコンをさして、ノイズの方へ差し出した。
「ほれ、あーん」
「…は?」
「あーん、って」
ニヤニヤしながら、ノイズの口の前でフォークをひらひらさせる。
ある程度からかったら、自分で食べようと思っていた。
そろそろいいか、と手を返した瞬間。
「!?」
「あー…」
自分の方へ向けた腕をつかまれ、そのまま、フォークがノイズの口の中へ。
「…ん。うまい」
「お…おま…」
腕をつかんだまま平然とジャーマンポテトを食べるノイズに、顔を真っ赤にして蒼葉は怒鳴った。
「な、にしてんだよ!」
「? なにって、あんたが『あーん』てしたんだろ?」
「や、だって本当に食うとは思わねーし」
「なんで?」
「な、んでって、だって普通しねーし、そんなこと」
「あんたがやるから、恥ずかしーと思っても、やったのに?」
いけしゃあしゃあとそんなことを言う。
(ぜってー恥ずかしいとか思ってないくせに! こんのガキ)
余裕を見せるノイズをからかおうとして、結局自分が墓穴を掘った。
はたから見れば、どこからどう見ても、今のは蒼葉がノイズに食べさせたようにしか見えない。
(恥ずかしすぎる。…つか、周りが見れない…)
ここは天下の往来。日本だろうが、ドイツだろうが、人目のある場所だ。
そんな場所で、まさか「あーん」と、相手に食べさせるなんてバカップルはなはだしいことをこともあろうに男同士でやってしまうとは。
(い、いたたまれない)
早くこの場を離れようとしたとき、ノイズが一人の恰幅の良い女性と話しているのが見えた。
何か女性がノイズに尋ねている。
「Nein, Er ist mein lieber」
ノイズがそれにドイツ語で答えると、女性が少し驚いたように目を見開き、そして蒼葉をみてにっこりと微笑んだ。
「?」
突然微笑まれ不思議に思っていると、今度はノイズに向き直りまた、何か話しかけていた。
「Seien Sie glucklich」
「Danke」
女性は軽く微笑むとその場を去っていった。
「知り合いか?」
「いや、全然」
「…今、何話してたんだ?」
「ん?別にたいしたことは話してねーけど?」
そのまま、ノイズは歩き始め、結局どんな会話をしたのか聞くことは出来なかった。
それにしても、と蒼葉は思う。
「ノイズって、本当にドイツ人なんだなぁ」
「は?」
「いや、さっき普通にドイツ語で話してたからさ」
「まぁ、そりゃ」
「なんか、すげーな、て思ったつーか」
「…かっこいーなーとか、思った?」
「ば…っ」
ちょっと思っていたことを言われ、蒼葉は言葉に詰まった。
「思ってねーよ!」
「そう?なら、そーゆーことにしといてもいいけど」
「おっまえ、本当かわいくねーなっ。このガキ!」
「可愛くなくて、格好いいんだ?」
「言ってねーよ!」
「はいはい」
笑いながら歩くノイズを後から追いかける。
気付くといつの間にか、少し開けたところにでていた。
あまり人のいないその場所で、ふとノイズが足を止める。
「?ノイ…」
不思議に思って問いかけようとしたとき、ノイズが蒼葉に振り返った。
その瞳が驚くほど真剣味を帯びていて、思わず声を飲み込んだ。
日が沈みかけた夕暮れの光を受け、ノイズの顔が少し赤く染まっていた。
背後には、深い森が同じように赤く染まり始めていた。
「… Bitte heirate mich」
「…え?」
突然ドイツ語で話しかけられ、戸惑う。
意味は分からないが、何故かひどくドキドキした。
「今、なんて言ったんだ?」
問いかけにノイズは笑って、
「分かるようになったら、答えくれればいーから」
と告げて再び歩き始めた。
分かるようになったら。
きっと今、ノイズに聞いても、答えてはくれないだろう。
ドイツになれて、ドイツ語が分かるようになったら…。
きっと、自分は答えをみつけているだろう。
なんとなく、そんな予感を感じながら、ノイズを追いかけ夕暮れのドイツの町を一緒に歩いて行った。
◆◇◆
夜。
やはり気になって昼間の会話を蓮に訳してもらった蒼葉は、真っ赤になって唸った。
「き、聞かなきゃ良かった…」
「すまない」
「いや、蓮のせいじゃないから…」
顔を赤く染めながら思う。
いつ、答えを返そうか、と。
・・・・・・・
「Nein, Er ist mein lieber」
『いいえ、彼は俺の愛しい人です』
「Seien Sie glucklich」
『お幸せに』
「Danke」
『ありがとう』
そして…
「… Bitte heirate mich」
『… 俺と、結婚してください」
作品名:Ja, mit Vergnugen 作家名:かやの