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鳴倉(なりくら)
鳴倉(なりくら)
novelistID. 28173
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夜鷹の瞳6

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◇ 第六夜 ◇


 その夜、シェラザードは実に愉快だった。思わず鼻息荒く準備万端の客を放り出して来るくらい、彼女は愉快な気分だった。
 というのも盲目の彼女の代わりに、同僚が街で配られていた面白いビラを持ってきて話してくれた。聞いた途端、これはからかわなければと彼女は娼婦小屋を飛び出した。

 件の人物であるジャーファルは夜中で人気のない大通り近くの広場に佇み、壁という壁に貼られた自分の似顔絵入りのビラを睨みつけていた。だがこちらに近寄ってくる気配に気づき、視線を移した。
「あらやだ、ダメよ暗殺者がそんなに殺気を立ててたら」
 闇夜から現れたのはシェラザードだった。嗜める口調でありながらその口元は楽しげで、しかもその手には例の『捜し人』という名目の手配書が握られていた。
「……何でいるんですか」
「面白い話を聞いて飛んできちゃった。大変よ、ジャーファル。王様が…、いえ、国中があんたのことを捜してるわ」
 シェラザードはおちょくるように手にしたビラをジャーファルの目の前でひらひらと振った。それにジャーファルがますます眉間の皺を深くすると、シェラザードは笑い出したいのを必死に堪えて、肩を震わせた。
「ジャーファル、私の予想では、あんた今すっごく不細工な顔になってるわよ」
「放っておいてください」
「ほら、あたしの言ったとおりでしょう? きっと何か起こる、って」
「あなたがあの時、あの男を殺すのを止めてなかったらこうはなってなかった!」
「そうね。おかげで私は今とっても愉快な気分だわ」
 ちっとも悪びれないシェラザードにジャーファルは反論しようとして、寸前でとどまった。どうせ口では敵わない。
「……シェラザード、あなたの仲間にアルテミュラ出身の女性いましたよね?」
 怒りを押し込め、ジャーファルは震える声で訊ねた。てっきり噛みついてくると思っていたシェラザードは、予想外の方向から話が来たので、意図がつかめずに首を傾げた。
「いるけど……、それが何?」
「ここに呼んで下さい。今すぐ」
「呼んでどうするのよ」
「アルテミュラの人は動物のルフと語らう術を持っていると聞きます。だからその力で鳥を使って街中に貼られたビラを破らせます」
「なるほどね」
「それから…」
「それから?」
 シェラザードが重ねて問うと、ずっと殺気立っていたジャーファルがニヤリと凄絶な笑みを浮かべた。





「シンドバッド王、大変です!!!」
「そのようだな……」
 慌てて私室に駆け込んできた部下の動揺を背中で聞き、シンドバッドは引きつった声でそれに答えた。

 夜が更けて見張りの兵士以外は皆寝静まった頃、その事件は起きた。
 城門を見張っていた一人の兵士が空の彼方に黒い雲を見つけた。これは一雨来るかなあ、と思っているとその雲はすごいスピードでこちらに近づいてきた。様子がおかしい、と気づいた頃にはもう遅い。その黒い雲は鳥の大群だった。備える間もなく、耳を塞ぎたくなるような激しい鳴き声と羽音は兵士の頭上を駆け抜け、窓を突き破って宮殿を突撃した。

 かくして平穏な夜の帳は破られた。

「一体何が起きてるんだ!?」
 穏やかな眠りから叩き起こされた部下たちは総動員で侵入してきた鳥と格闘していた。いつもきれいに掃き清められている床には羽根が舞い、書類を嘴や爪で破くので文官が阿鼻叫喚する。シンドバッドも自室に入り込んできた鳥の大群に途方に暮れた。
 これは夢だったと思うことにして褥に戻ろうかとも思ったが、寝台はすでに鳥たちに占領されていて、目論見はあっさり封じられた。さしものシンドバッドでも、これはいい、天然の羽毛布団か! とはさすがにならない。
「シンドバッド王、いかがいたしますか!」
「いかがいたしますかと言われてもなあ…、無害の鳥たちを無闇に傷つけるわけにはいかないだろう」
「……お言葉ですが、鳥たちによって現在かなりの害が出ています」
 それもそうか。

 さて、どうしたものかとシンドバッドが視線を巡らせたとき、一羽の鳥が嘴になにやら紙切れをくわえていることに気づいた。シンドバッドが手を伸ばすと、鳥は嘴にくわえていたものを離して飛び去った。
 くしゃくしゃになったそれを拾って広げれば、それはシンドバッドが街に貼りまくった、あのビラだった。
 確証はない。だけどシンドバッドにはこれがあの少年の仕業だという確信があった。
「やられたな……」
 シンドバッドはそう呟いた。
 しかし言葉とは裏腹に口元には笑みが浮かび、その目は楽しそうに輝いていた。
「侍女の中にアルテミュラ出身の者がいたはずだから、呼んで来てくれ。鳥ならその者がなんとかしてくれるはずだ」
「は、はい! 承知しました」
「それから宮殿の掃除が済んだら、ある人を宮殿に連れてきてくれ」
 






「シンドバッド王、ご希望の娼婦をお連れしました」
 鳥騒動から数日後、中庭で月見酒をしていたシンドバッドの下に一人の娼婦が招かれた。長い黒髪を高い位置で結わえ、繊細な刺繍が施された布で目を覆っている。にもかかわらず、兵士に連れられた彼女は淀みない足取りでシンドバッドに近づいた。
「お招きいただいて光栄至極です、シンドバッド王」
「お待ちしておりましたよ、お嬢さん」
 これで会うのは二度目。あの事件の夜に踊り子として招かれていた、シェラザードだ。
 シンドバッドは兵士を下がらせると、シェラザードをエスコートして椅子に座らせ、盃に葡萄酒を注いだ。
「あの時あなたは踊り子と名乗っていたので捜すのに少々手こずった」
「そっちはついでの仕事。本業は娼婦よ。けど、私が察するにここは寝室ではなさそうね」
「ここは宮殿の中庭だ。今日はとても風が気持ちいいからこの場所を選んだんだ」
「あら、私はてっきり野外でヤる趣味がおありなのかと思ったわ」
 そんなこと思っていないだろうに、彼女は軽口を叩くと、ところでと切り出した。
「街で面白い話を耳にしたのだけど…」
 そう言って、シェラザードはシンドバッドがばらまいたあのビラをテーブルに置いた。
「私、けっこう有力な情報持っているんだけど、お金ってどのくらいもらえるのかしら?」
「いいのか? 仲間を売って」
「仲間ってわけじゃないわ。利害が一致した時に手を組むだけよ」
「あの夜もそうだったと?」
「あの男には私の友人が何人も虐められていたの。少し痛い目を見させてやろうと思っていたので、手を組んだわ」
 少しねえ、とシンドバッドは苦笑した。脳裏には血まみれで横たわるマグリブの屍が浮かぶ。
 そして、もう一人。銀の髪の少年の姿も。
「あなたに聞きたいことがある」
「何かしら?」
「何故、あの夜、彼が俺を殺そうとするのを止めたんだ?」
 それはジャーファルが聞いてきたのと全く同じ問いだった。真剣な声音もそっくり。生まれも育ちも違うだろう彼らの心が似通っていることに、シェラザードは笑いがこみ上げてきた。
「それがあなたの為だからよ」
 そして同じ答えを返せば、やはり同じように怪訝な空気を感じた。
「どういう意味だ」
「あなたにはあの子が必要ってことよ」
「俺は暗殺者を召し抱えるつもりはないぞ」
作品名:夜鷹の瞳6 作家名:鳴倉(なりくら)