いつか君と奏でる調べ
「…ん?」
鏡台の前で胡坐をかきながら髪をまとめていると、なんとなく背中に視線を感じた。
纏めた髪を押さえたまま紅雀が振り返ると、布団のなかにうつ伏せで寝たままの蒼葉と目が合う。
上目遣いに自分を見上げてくる目元など、まだ少し寝乱れた感じの残る様子が実に色っぽい。
(っていうと怒るんだよな。またそこが可愛いんだが…)
などと考えていたら、一瞬手元が狂い、髪が一筋指からこぼれた。
「…お…っと」
落ちた髪をうなじから指で梳き、一つにまとめて紐で結ぶ。
その間もずっと蒼葉の視線を感じていた。
好きな相手から見つめられるのは悪い気はしない。しないが、気になる。
そろそろ理由を訊ねてみるか、と思った矢先、当の蒼葉が口を開いた。
「なんか、さ」
「おう」
胡坐のまま体ごと振り返ると、蒼葉はほんのりほほを赤らめながら視線を泳がせて、言った。
「なんかおまえ、…エロいな」
「…」
思わず、固まる。
「今のお前が言うか?」と口走りそうになるのをぐっと堪えた。
ここで蒼葉の機嫌を損ねるのは得策ではない。
付き合いが長い分、何を言えば蒼葉がへそを曲げるかは把握済みだ。
軽く咳払いをして気を持ち直す。
「……何がどうなってそういう結論に達したのか知らねぇが、それにしてもえらい突然だな」
「いや、なんつーか。髪の毛いじってる仕草とか指の動きとかさ、なんか、こう、色っぽいっつーか、エロっちぃ…みたいな?」
「…指の動き、ねぇ」
そう言われ、自分の手を目の前で開いたり閉じたりしてみる。
お世辞にも華奢な手とはいえない。
まぁ、指が長い、といえば長いかもしれない。
だが、色っぽさを感じるような綺麗な手か、といわれると、紅雀にはとてもそうは見えなかった。
どちらかというとごついし、傷だらけだ。
筋張った指は刀を扱っているうちに、若干厚みを増していた。
「俺にとっちゃあ、蒼葉の指の方が何倍も色っぽく見えるけどな」
「はぁ? なに言ってんだよ…」
言われて、外に出していた手を布団の中に慌てて隠す仕草こそ、可愛らしくて堪らないと思った。
人には平気で言うくせに、いざ自分が言われると途端に赤くなる蒼葉が微笑ましく、愛しい。
そして照れ隠しに髪をかきあげる姿をみて、なんとなく蒼葉が言わんとしたことが分かった気がした。
髪に吸い込まれていく指の動きは、確かに色っぽく映る。
(そういや…)
以前も人の指の動きに、色っぽさを感じたことがあったことを、ふと、思い出した。
流れるような腕の動き。
細やかに、すばやく糸を押さえる指先。
しっとりと、けれど、力強く。
彼女の、あの、調べは…。
「紅雀? 髪飾りがどうかしたのか?」
「…お?」
蒼葉に問いかけられ、はっとする。
どうやら昔を思い出しているうちに、視線が一つのかんざしに向かっていたようだった。
いつも髪にさしている、あの紅いかんざし。
鏡台の上において置いたそれを取り、手の中でくるくると回す。
「紅雀いつもその髪飾りつけてるよな」
「まぁ、な」
「変わった形だよな。他に同じようなの見たことねぇし」
蒼葉の声に興味津々な色を感じ、苦笑する。
「見るか?」
「え? いいのか?」
「ああ、かまわねぇよ?」
言うと、蒼葉は布団からでて、ちょこんと座りなおした。
寝たまま見るのは、相手に失礼だとでも思ったのだろう。
それを見て、かんざしを片手に紅雀は立ち上がった。
蒼葉に近づき、そして通り過ぎる。
「?紅…」
見上げる蒼葉の後に回りこみ、どかっと腰を下ろした。
すっぽりと蒼葉を腕にくるむように抱きしめて、その手にかんざしを握らせる。
「はい、よっと」
「ちょ、」
抗議の声を上げたものの、すでに紅雀の腕は蒼葉のおなか辺りでしっかり組まれていて離れそうにない。
肩口にあごをのせてリラックスしている様子に、蒼葉は抗議の無意味さを悟った。
こうなると、もう何を言っても無駄だ。
諦めて渡されたばかりのかんざしを見ることにした。
「これ、三線の頭んとこ…だよな」
「おう。天神、な」
「…へぇ、そういう名前なんだ。おまえ詳しいな。ちょっと意外。」
「はは、ひでぇな」
笑いながら蒼葉の髪に顔をうずめてきた。
髪にかかる吐息と触れる感触にくすぐったさを感じながら、じっくりと三線を模したかんざしを眺める。
紅一色に塗られたかんざしは、精巧に三線の天神を模しながらも糸巻き部分や月形など、ほどよくデザイン化され細身に作られていた。
単一な色でありながら、幾重にも塗り重ねられた紅は色に深みを与え、艶やかに輝いている。
長年使われてきたことによる細かい傷が、より味わい深い色を生み出していた。
ところどころ黒っぽくくすんだ箇所もあった。
「結構古そうだなぁ。そんな昔から使ってたのか?」
「ああ」
「へぇ」
よほど気に入っているのかと思ったとき、
「俺のお袋が使ってたんだよ」
「え?」
髪に顔をうずめたまま、紅雀が告げた。
びっくりして振り返ろうとしたが、紅雀の表情は伺えない。
「まぁ、形見ってやつだな」
「そう、だったんだ」
このまま聞いてもいいものか、と悩んでいると、ふ、と紅雀が吐息だけで笑うのを感じた。
「それさ、親父からお袋へのプレゼントだったんだと」
「プレゼント?」
「ああ。正確にはプレゼントしようとしていたもの、だな」
「?」
ぽつりぽつりと紅雀が語ったのは、今まであまり聞いたことが無かった紅雀の母親の話だった。
「俺のお袋、三線の腕が良いって評判でよ。若いうちから人に教えてたりしてたんだと。お前も小さいとき聴いたことあるんだが、小っちゃかったしなぁ。覚えてねぇかもな」
「…ごめん、覚えてないかも」
「ははっ、別に謝ることじゃねぇよ。大体は泣いてるお前をあやすのに弾いててよ。聴いてるうちに寝ちまうから多分覚えて…」
「もういいし! 俺の話しはいいから!」
「そうかぁ?」
「それで?」
なんとか自分の過去の恥ずかしいエピソードから話をそらそうと、先を促す。
「可愛かったんだがなぁ…と分かった分かった。もう言わねぇよ。…で、なんだったか。あぁ、なんか小さな会場とかで演奏会とかもしてたんだな。そこに親父が来た。で、一目惚れした。」
紅雀の話では、そうとう彼女にせまったらしい。
演奏会が終わると話しかけ、夕食に誘ったが、やんわりと拒絶された。
おっとりとしてどこか儚げな見た目どおり、控えめな人なのだろうと父親は思ったという。
きっと怖がって萎縮しているのだと思ったと。
それが、勘違いだと知ったのは、数週間後。
母親が行く所に現れては誘いそして断られを繰り返し、埒が明かないと素性を調べて家にまで押しかけたとき、とうとう母親の堪忍袋の緒が切れたらしい。
『いい加減にしたらどうなんです? 金魚の糞じゃあるまいし、あっちこっちにくっついて。これだけ断られれているのだから男らしく諦めたらどうなんですか。それを家にまで押しかけて。無粋極まりない』
「え、っと。紅雀のおじさん…て」
「まぁ、やくざな人だな」
「当時から?」
「見た目からしても、『うわ、やくざだ』と実にわかりやすかったそうだ」
鏡台の前で胡坐をかきながら髪をまとめていると、なんとなく背中に視線を感じた。
纏めた髪を押さえたまま紅雀が振り返ると、布団のなかにうつ伏せで寝たままの蒼葉と目が合う。
上目遣いに自分を見上げてくる目元など、まだ少し寝乱れた感じの残る様子が実に色っぽい。
(っていうと怒るんだよな。またそこが可愛いんだが…)
などと考えていたら、一瞬手元が狂い、髪が一筋指からこぼれた。
「…お…っと」
落ちた髪をうなじから指で梳き、一つにまとめて紐で結ぶ。
その間もずっと蒼葉の視線を感じていた。
好きな相手から見つめられるのは悪い気はしない。しないが、気になる。
そろそろ理由を訊ねてみるか、と思った矢先、当の蒼葉が口を開いた。
「なんか、さ」
「おう」
胡坐のまま体ごと振り返ると、蒼葉はほんのりほほを赤らめながら視線を泳がせて、言った。
「なんかおまえ、…エロいな」
「…」
思わず、固まる。
「今のお前が言うか?」と口走りそうになるのをぐっと堪えた。
ここで蒼葉の機嫌を損ねるのは得策ではない。
付き合いが長い分、何を言えば蒼葉がへそを曲げるかは把握済みだ。
軽く咳払いをして気を持ち直す。
「……何がどうなってそういう結論に達したのか知らねぇが、それにしてもえらい突然だな」
「いや、なんつーか。髪の毛いじってる仕草とか指の動きとかさ、なんか、こう、色っぽいっつーか、エロっちぃ…みたいな?」
「…指の動き、ねぇ」
そう言われ、自分の手を目の前で開いたり閉じたりしてみる。
お世辞にも華奢な手とはいえない。
まぁ、指が長い、といえば長いかもしれない。
だが、色っぽさを感じるような綺麗な手か、といわれると、紅雀にはとてもそうは見えなかった。
どちらかというとごついし、傷だらけだ。
筋張った指は刀を扱っているうちに、若干厚みを増していた。
「俺にとっちゃあ、蒼葉の指の方が何倍も色っぽく見えるけどな」
「はぁ? なに言ってんだよ…」
言われて、外に出していた手を布団の中に慌てて隠す仕草こそ、可愛らしくて堪らないと思った。
人には平気で言うくせに、いざ自分が言われると途端に赤くなる蒼葉が微笑ましく、愛しい。
そして照れ隠しに髪をかきあげる姿をみて、なんとなく蒼葉が言わんとしたことが分かった気がした。
髪に吸い込まれていく指の動きは、確かに色っぽく映る。
(そういや…)
以前も人の指の動きに、色っぽさを感じたことがあったことを、ふと、思い出した。
流れるような腕の動き。
細やかに、すばやく糸を押さえる指先。
しっとりと、けれど、力強く。
彼女の、あの、調べは…。
「紅雀? 髪飾りがどうかしたのか?」
「…お?」
蒼葉に問いかけられ、はっとする。
どうやら昔を思い出しているうちに、視線が一つのかんざしに向かっていたようだった。
いつも髪にさしている、あの紅いかんざし。
鏡台の上において置いたそれを取り、手の中でくるくると回す。
「紅雀いつもその髪飾りつけてるよな」
「まぁ、な」
「変わった形だよな。他に同じようなの見たことねぇし」
蒼葉の声に興味津々な色を感じ、苦笑する。
「見るか?」
「え? いいのか?」
「ああ、かまわねぇよ?」
言うと、蒼葉は布団からでて、ちょこんと座りなおした。
寝たまま見るのは、相手に失礼だとでも思ったのだろう。
それを見て、かんざしを片手に紅雀は立ち上がった。
蒼葉に近づき、そして通り過ぎる。
「?紅…」
見上げる蒼葉の後に回りこみ、どかっと腰を下ろした。
すっぽりと蒼葉を腕にくるむように抱きしめて、その手にかんざしを握らせる。
「はい、よっと」
「ちょ、」
抗議の声を上げたものの、すでに紅雀の腕は蒼葉のおなか辺りでしっかり組まれていて離れそうにない。
肩口にあごをのせてリラックスしている様子に、蒼葉は抗議の無意味さを悟った。
こうなると、もう何を言っても無駄だ。
諦めて渡されたばかりのかんざしを見ることにした。
「これ、三線の頭んとこ…だよな」
「おう。天神、な」
「…へぇ、そういう名前なんだ。おまえ詳しいな。ちょっと意外。」
「はは、ひでぇな」
笑いながら蒼葉の髪に顔をうずめてきた。
髪にかかる吐息と触れる感触にくすぐったさを感じながら、じっくりと三線を模したかんざしを眺める。
紅一色に塗られたかんざしは、精巧に三線の天神を模しながらも糸巻き部分や月形など、ほどよくデザイン化され細身に作られていた。
単一な色でありながら、幾重にも塗り重ねられた紅は色に深みを与え、艶やかに輝いている。
長年使われてきたことによる細かい傷が、より味わい深い色を生み出していた。
ところどころ黒っぽくくすんだ箇所もあった。
「結構古そうだなぁ。そんな昔から使ってたのか?」
「ああ」
「へぇ」
よほど気に入っているのかと思ったとき、
「俺のお袋が使ってたんだよ」
「え?」
髪に顔をうずめたまま、紅雀が告げた。
びっくりして振り返ろうとしたが、紅雀の表情は伺えない。
「まぁ、形見ってやつだな」
「そう、だったんだ」
このまま聞いてもいいものか、と悩んでいると、ふ、と紅雀が吐息だけで笑うのを感じた。
「それさ、親父からお袋へのプレゼントだったんだと」
「プレゼント?」
「ああ。正確にはプレゼントしようとしていたもの、だな」
「?」
ぽつりぽつりと紅雀が語ったのは、今まであまり聞いたことが無かった紅雀の母親の話だった。
「俺のお袋、三線の腕が良いって評判でよ。若いうちから人に教えてたりしてたんだと。お前も小さいとき聴いたことあるんだが、小っちゃかったしなぁ。覚えてねぇかもな」
「…ごめん、覚えてないかも」
「ははっ、別に謝ることじゃねぇよ。大体は泣いてるお前をあやすのに弾いててよ。聴いてるうちに寝ちまうから多分覚えて…」
「もういいし! 俺の話しはいいから!」
「そうかぁ?」
「それで?」
なんとか自分の過去の恥ずかしいエピソードから話をそらそうと、先を促す。
「可愛かったんだがなぁ…と分かった分かった。もう言わねぇよ。…で、なんだったか。あぁ、なんか小さな会場とかで演奏会とかもしてたんだな。そこに親父が来た。で、一目惚れした。」
紅雀の話では、そうとう彼女にせまったらしい。
演奏会が終わると話しかけ、夕食に誘ったが、やんわりと拒絶された。
おっとりとしてどこか儚げな見た目どおり、控えめな人なのだろうと父親は思ったという。
きっと怖がって萎縮しているのだと思ったと。
それが、勘違いだと知ったのは、数週間後。
母親が行く所に現れては誘いそして断られを繰り返し、埒が明かないと素性を調べて家にまで押しかけたとき、とうとう母親の堪忍袋の緒が切れたらしい。
『いい加減にしたらどうなんです? 金魚の糞じゃあるまいし、あっちこっちにくっついて。これだけ断られれているのだから男らしく諦めたらどうなんですか。それを家にまで押しかけて。無粋極まりない』
「え、っと。紅雀のおじさん…て」
「まぁ、やくざな人だな」
「当時から?」
「見た目からしても、『うわ、やくざだ』と実にわかりやすかったそうだ」
作品名:いつか君と奏でる調べ 作家名:かやの