満月の夜の恐竜機械
1
(油断しちまった)
流れてくる血を手の甲で拭いながら、ダイノボットは、反省した。
(まさか、煙草を買いに出て襲われるとはなァ)
傷の深さは大したことないようだが、かわした棒の切っ先が皮膚を横一線に削いだらしく、額から少し派手に出血している。目に入りそうで、鬱陶しいことこの上無い。
「……俺じゃなかったら、死ぬとこだったじゃねーか」
対峙している不良少年に、一応、声をかけてみた。だが、案の定、聞く気は更々無いようだ。月の光をバックに、狂ったような高笑いを続けている。
「やっべー、オレってばチョーラッキー! テメーの首を持ってけば、メガトロン様もルンルンのハズだぜ! あーもう、今日こっちに買い出しに来てよかったー」
聞かなくても、勝手に答えてくれる所は、なかなか便利な性分なのかもしれないが。
(待ち伏せされたって訳じゃあなさそうだな)
気付かれないように少しづつ距離を詰めながら、それでも内心安堵した。が、それもつかの間、いきなり背後から羽交い締めにされる。
「くっちゃべってないで、さっさと脳天叩き割るザンス!」
「テラザウラーか!」
「言われなくても分かってるっつーの! オラア!」
スコルポスは、蠍の針と言うには少々武骨過ぎる鉄パイプを、片手で振り上げた。頭で考えるより先に、体が動く。ダイノボットは、背中にあるテラザウラーの頭を後ろ手に掴むと、そのままスコルポスに投げ飛ばした。
「ダー!」
「カー!」
「あらー!」
頭を中心にして綺麗に宙を舞ったテラザウラーが、凶器を振り下ろしかけたスコルポスに、背中からぶつかっていった。続いて勢いのついたダイノボットの体が、転がるように先の二人を押し倒す。鉄パイプがスコルポスの手から飛んで、少し離れたアスファルトの上に転がった。甲高い、乾いた音が、人気の無い通りに響いた。
こうなると、一番上に乗っているダイノボットにアドバンテージがあった。ダイノボットはテラザウラーの顎を蹴り飛ばしながら体勢を立て直すと、鉄パイプに飛びついた。どけよ!と喚きながら上の人間を引きはがしたスコルポスと、引きはがされたテラザウラーが立ち上がった時には、もう鉄パイプを構えて、臨戦態勢を整えている。
「形勢逆転だな」
ダイノボットは、二人に、笑ってみせた。テラザウラーの表情が微妙に歪んだ。機を読む能力に長けたこの男は、ダイノボットの言葉の意味を正確に把握している。心の中では力関係を測る天秤が微妙に揺れ続けているのだろう、行くがいいか、それとも退くか、判断の躊躇が間を作る。
しかし、決定を下したのは、テラザウラーではなく、スコルポスだった。
「テメー、二対一で敵うと思ってんのかよっ!」
殴り掛かってきた不良少年は、ダイノボットの言葉を、全く理解していなかった。
「おばカー!」
テラザウラーが悲鳴を上げた。ダイノボットは、この瞬間、勝利を確信した。テラザウラーは戦意を完全に喪失したはずだ。
ダイノボットは、念の為に物凄い目付きでテラザウラーを牽制してから、突っ込んでくるスコルポスの足を、鉄パイプでカウンター気味に薙ぎ払った。一瞬、無重力のように空中に浮いたスコルポスは、次の瞬間、後頭部から地面に激突した。ダイノボットがそのみぞおちを踵で踏みつけ二撃目を叩き付けようとする前に、腹を蹴られた野良犬のような、くぐもった声を漏らして昏倒する。ダイノボットはスコルポスに足を乗せたまま、テラザウラーに向き直った。
「次はテメエが……」
「三十二文ミサイルキックザンスー!!」
いきなりテラザウラーの体が宙を舞った。両足の靴底に現れた特製のローラーブレードがダイノボットの胸板にめり込んで、その大きな体を跳ね飛ばす。完全に虚を付かれたダイノボットは、咄嗟に転がって受け身を取るのが精一杯だった。額が地面を擦って、止まりかけていた血が、再び吹き出す。その上を、サングラス型のゴーグルを付けたテラザウラーが、圧縮空気の羽根を広げて飛び越える。
(チッ! フライヤーズ・システムか!)
ダイノボットは、テラザウラーの姿を目で追った。道路の端だ。ブレードが、オレンジ色の火花を散らしながらアスファルトを削って急制動を掛けている。Uターンしたテラザウラーと、一瞬、目が合った。
「来いよ! いい根性だ、叩き落としてやる!」
ダイノボットは、全身の血が沸き立つのを感じた。額から、前にも増して血が流れているが、もはやそれも気にならない。素早く立ち上がると、鉄パイプを固く握り直す。
フライヤーズ・システムは、圧縮空気のブースターによって使用者の機動力を飛躍的に高め、高速走行・高度跳躍を可能にするやっかいなユニットだが、一対一なら、それでも負ける気はしなかった。
「その言葉、後悔させてやるザンス!」
テラザウラーが姿勢を低く保って、ダイノボットにまっすぐ突進してきた。ダイノボットは、その潔さに感心した。一瞬、テラザウラーを見直しさえした。テラザウラーは、ダイノボットの目の前で、強引に地面を蹴って、斜めに進路を変えた。ダイノボットはその動きに反応して顔を向ける。その顔に突然、何かがぶつかった。フレーク状のモノが、べったりとダイノボットの顔に張り付いた。
「なんじゃこりゃあ!」
眼に鋭い刺激を感じて、ダイノボットは面食らった。
「カカカ! 相変わらず単純馬鹿ザンスね元相棒! 付き合ってられないザンス!」
口に入った幾片かで、ぶつけられたのが、封を開けたスナック菓子の袋だと分かる。チーズ&オニオン風味だ。
「テメエ!」
腕で顔を拭って、声の方に振り向くと、既にもう、スコルポスを肩に抱え上げたテラザウラーが、ブースターの勢いを借りて逃げるところだった。ダイノボットが読んだ通り、テラザウラーには、すでに戦意など残ってはいなかったのだ。あっという間に小さくなっていく背中に鉄パイプを投げつけたが、やはり間に合わなかった。
「今日はこのくらいにしといてやるザンスよ! ……あーもう、もうちょっとダイエットするザンス、この 不良 少 年! カ ー! ……」
間抜けな捨て台詞が、ドップラー効果を伴って、間抜けに遠退いていった。
……そして気がつけば、ダイノボットはたった一人、チップスを体のそこここにくっつけ、血とチーズの匂いにまみれて、通りに立ち尽くすハメになっている。
「……何だァ、このザマは……」
ダイノボットの中で、不愉快な感情が爆発的に膨れ上がった。襲われた、という事実より、その内容のお粗末さに腹が立った。『あの』テラザウラーを一瞬でも評価してしまった自分にもまた腹が立った。二人の消えた方向に向かって、ダイノボットは、吠えた。
「どうせなら、ちったあ考えて襲いやがれ! こンの馬鹿共がァ!」