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ワルプルギスの夜を越え  5・誅罰の時

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ヨハンナは最初にそれが現れた時、眠りも浅いままで祈りに参じた自分が呆けだと考えていた。
それは一本足の真っ黒な鳥、のような生き物?
一目で解るほど既存の生き物でない形が呆けに拍車を掛け、それを拭うように目の下を手の甲で何度もこすりながら、祭壇へ向かう道を行く奇妙な群れを見つめた。
跳ねるカラスのような者達に目はなく、くちばしの中に針山、いや石を砕いて並べたような硬い歯のようなものが見えていた
羽ばたきもしない滑稽なそれは一本足で跳ねながら、光の欠片を口にくわえて運んでいた
蟻が並ぶように一列に並んで跳ねる群れが石床の道続く聖堂の少し前に立つ聖柱に向かっていく姿に何度めか目をこすると

「何?これ?」

少しずつ冷める感覚、体に伝わる冬の風によってこの異様な空間が触れられる現実のものであると知ったのは、石のくちばしが自分を啄んだ痛みによってだ

「痛い………痛いですよ………」

二の腕付近に噛み付いたそれを振り払って立ち上がると、体には危機が迫っているという痛みの信号が頭を目覚めさせる半鐘となって鳴り渡る
小麦を叩く石の山縁のような口が真っ赤に開き、急にヨハンナに向かって走り出し、いや飛び跳ねて殺到し始めた大口のカラス達
我先にヨハンナの肉を引き裂こうとする顎の鳴き声に体はすくみ上がり、走るよりも遅く歩く足に力が入らない状況で叫び声を上げた時だった

「ヨハンナ!!私から離れないで!!」

凛とした声は、殺到する魔物達の間を割って軽々とヨハンナの体を持ち上げると、一足飛びに反対側の縁まで飛んだ
自分の足が地上から離れ、浮遊する感覚に目を回しながら体を掴んだ相手の顔を探す

「イルザさん………これ、どうなって」
「しっかり付いてきて、魔女を打ち払うわ!!」

着地し先に下ろされた場所に、へたり込みそうだったヨハンナの背中をイルザは叩いた
「死にたくなかったら走りなさい!!」
「はっはいぃ」

叩かれて、つんのめるように走るヨハンナは自分の前を行くイルザの姿にも目を回していた
昼間会った時とはまるで違う姿。黒一色だったフード姿とは違う美しさに
春の小川を思わせるhellblau ヘルブラウ(青)をメインにした肩掛けのマントと、それをまとめる金糸の惣に止め石。青い宝石の周りは金細工が施され、細く長い首を飾る白いレースのシルバーのボタン
昼間はまとめ上げていて見る事の出来なかった黒髪は、一つ一つが美しい曲線を描くように舞い両耳を飾る青い石のピアスを引き立てている
騎士が馬を駆る時に着けるロングブーツの口も贅沢に二重のレースで飾られた美しさ
落ちぶれ騎士の娘と本人は言ったが、騎士の正装というのはこんなにも美しいものなのか?
厚ぼったい自分達の服とは雲泥の軽さを見せる絹のライン、ひらめく膝丈のフレアスカートにも驚きながら必死に走った

「あれは………あれはなんですか?」

懸命の力走の中ヨハンナは色々な事に目を回していたが、一番気になっていたことを上がりきった息の中から声を絞り出して聞いた
歪みを激しくし、崩れかかる壁を避ける
光の欠片の中を縫って走るイルザは、へたり始めていたヨハンナの手を取ると

「あれは使い魔、魔女の僕よ」

もっと走れと叱咤を返す
檄の目が見る答えにヨハンナは、振り返った。追ってくる者達を一度見て頭を振って
魔女?
使い魔?
追いつかれそうな自分と、追いつかない考え

「ここはマリア様の教会ですよ」
「そうね、私も驚いているわ」

教会、信心の社ともされるここで魔を冠する者が現れるなど考えられなかった
息を呑んだ顔で自分達を追う者をもう一度見る。怪しいカラスのような黒い姿に一本足と禍々しい赤い口
聖人を祀る場所には程遠い存在を目の当たりに

「あれは、鳥なんですか?なんで、どうしてこんなところに?」

聞きたい事と考えがまとめられないまま一緒に口に出た瞬間
イルザは動揺激しいヨハンナの手を強く引き抱き上げると上に飛んだ
周りの歪んだ景色は箱庭のようであり、全部の壁がグラス張りにも見える
鱗のように壁に並べられた菱型のグラスは所々が抜けており、そこに足をかけてイルザは一足飛びで歪みの屋根に乗るように垂直に走った

グラスの壁を突き破る膂力にカラスのような生き物たちは一斉に奇声の雄叫び挙げた
ヨハンナはイルザにぶら下げられた形のまま、追ってくる者達の赤黒い口に涙し耳をふさいだ

「助けて!!助けて!!マリア様!!」

涙で祈る先にいるのは獣よりも恐ろしい何かだ
黒い姿は塊になって壁にぶつかると、ぶつかった者の背に乗る形でドンドンと積み重なり山のようになっていく
イルザが走る壁を一本足の彼らも、跳ねをばたつかせながら迫る

「助けて………助けて」

突然の怒濤に混乱の度合いはより深く、意識は散漫になっていくヨハンナは、救いの願いばかりを繰り返し目を閉じていたが、イルザはそうはしていられない、左手で抱えていヨハンナを、人一人を走りながら上に向かって掬い投げした

「黙ってなさいよ!!舌噛むわよ!!」

一瞬で自分の体を支えていた腕を失ったヨハンナは宙で目を開ける
下になったイルザに手を伸ばして助けを乞うが、イルザは背を向けていた
壁に刺さった軸足を回し追ってくる使い魔達を正面に睨むと手をかざした

「魔は魔に帰れ!!」

絹の手袋の真ん中に集まる光、両手を胸の前で軽く合わせて広げる
手の動きに合わせて形は具現化する。赤き剣がハの字を描く裁定者の紋章*1
それを掲げた銀色の大きな盾が出現する、一見で分かるほどにとても人が持って立つ大きさではない盾はイルザが乗る事で小さな船のようにも見えたが、迫る魔物を潰すには当を得たサイズだった
落下の勢いがついた盾は殺到していた使い魔達に次々とぶつかり、真っ逆さまに落ちる
使い魔を圧殺していく盾はガラス張りの床に一直線に降下した。
硬い銀の盾とガラスの狭間、禍々しい羽根の化身は圧迫され互いを練り潰し絶命していった。

一方でヨハンナは上部側で鍋の縁のようになっている場所に投げ落とされていたが、すでに自分自身が何をしていいのかわからず、上からイルザの戦いを見るだけで精一杯で
落ちた衝撃の煙の中に光る一輪の青き花を、ただ見つめて胸を押さえていた

粉砕した煙の中から姿を現したイルザの手には鋭い切っ先を持たぬ剣が握られていた
リッツシュヴェールト Richtschwert(斬首刀)*2
平の刃筋に細かい装飾と、盾に描かれた文様を刻んだ剣を両手に叫ぶ

「さあ!!誰から最後迎えたいの!!」

トドメの剣である斬首刀を手の上でクルリと軽く回す
普通の剣より重量があり、相手の首を一撃で狩るために特化された姿は葬送の装飾も合わさり恐ろしい輝きを見せる

しかし黒い使い魔達には言葉は通じない
光る剣のまえで口を並べ、肩にある羽根で威嚇する、塊は嵐に揺れる山の木々のように折り重なり、次々と空くことなく殺到する

風を揺らす怒濤の中でイルザはまたも手を合わせて開く
瞬く間に重なった盾は並び、一本足の不気味な羽根達にぶつかる
円陣の配置に立てた盾の中心を陣取るイルザは一方の盾をドアの開けるように消すと、狭くなった入り口に倒れ込む使い魔の首を次々に打ち落とし、盾を閉じる