ひらり、青春
数学は公式を暗記して問に当てはめれば答えが出てきて、余分なものは一切ない。他の教科も満遍なく出来たが一番好きだったのは数学だった。そこから巡り巡って今に繋がっている。
「へぇ、すげぇな」
「そりゃあ教師だからな」
当たり前のことを心底凄いことの様に言うものだから思わず笑ってしまう。何故笑うのか不思議なのか小首を傾げてこちらを見てきて、さらに笑いが込み上げる。
口調や仕草は荒いのに、妙に素直。擦れていないというか、純粋というか。
一言で言うと、ガキだ。
「何だよ」
「別に。お前よく此処に来るのか」
「……ほどほどに」
「もしもまた此処で会ったら今度は勉強教えてやるよ。教科書持ってこい」
その一言で形の良い眉が一瞬で垂れ下がり、眉間には皺が寄り、大きな猫のような目はじとりと据わった。やはり勉強は禁句だったか。
「何でサボってんのにわざわざ教科書持って来なきゃなんねぇんだよ。アレだ、何だっけ。あー、ホンマニテンノー?」
「なに関西弁で天皇確認してんだ。言いたいのはあれか? 本末転倒のことか?」
「それだ! だからぜってー持ってこねぇからな!」
「分かった分かった」
頬を膨らませた顔がまた面白く、これ以上彼女の機嫌を損ねぬように込み上げてくる笑いをかみ殺すのに必死だった。それを見た彼女が口を開こうとした瞬間、チャイムが鳴る。
「ったく。俺もう行く」
素足のまま上履きを履き、すくりと立ち上がる。腰まである長い髪が風に靡いた。
「じゃあな、センセー」
「藤本獅郎大先生様だ」
「なんだそれ」
頭上から降ってくる笑い声に顔を上げれば、生憎とその顔は逆光で見えなかった。
そして、ひらりとスカートが舞った。
見事に着地を決めた彼女がこちらを見上げ、眩しげに目を細め笑う。
「俺は奥村燐。もうジジイみたいだし煙草もほどほどにしとけよな!」
「誰がジジイだコラァ!」
怒鳴れば笑いながらすぐさま扉を開け放ち去っていく。扉の閉まる音がやけに大きく響いた。
「ったく、失礼なのはどっちだじゃじゃ馬め」
携帯灰皿を取り出し、いつの間にか多くなっていた灰の部分を落とした。しばし、短くなった煙草を見つめ、そのまま灰皿へ押し付ける。
「……短かったからな」
妙に言い訳がましくなってしまったが、他意はない。
「奥村燐、か」
中身はともかく、彼女に良く似合う名前だと思った。
もう少し、ここで空を眺めてから戻ろう。そんな風に思った、やけに青空の眩しい日。