Plam5
井の中の蛙 大海を知らず
リボーンによって叩き込まれた知識層の、どの辺りだったかは知らない。けれど何処かにこの一文は埋まっていたのだろう。潜水艦が浮上するように脳裡から浮かぶ。
意味はなんだったか。
井戸という、小規模な閉鎖空間をどれだけ把握し掌握しようと、所詮は井戸。その程度。そんな意味だった気がする。いや、それとも海なんて興味ない、お家が一番だったか?
雲雀という男は、まさにそうだ。並盛という小ぶりな街のみを掌握していた男。己れの故郷のみに執着し、何人にもそれを認めさせた男。自宅警備隊の最凶形態人間。あの男が並盛から飛び出てきたとき、皆、そう皆。驚きながらも失笑した。この広い世界までマイ・キングダムにしてみせる気だ。さあ、お手並み拝見といこう。いや、いっそ試してあげよう。力量を測ってあげたい。ああボンゴレ、キャッバローネのお二方、決して手出しはいけませんよ。赤ん坊は自力で立ち上がらねばならないのですから。
そう、笑った男たちの集団に名前をつけるとしたら、「愚者の群れ」が相応しい。手出しは無用。そうだとも。どのような善意での手助けだろうと、手は伸ばしてはいけない。あの男の牙は、咬み癖が酷い。
「愚者の群れ」が「負け犬たちの肖像」になるまで、それほど時間は要しなかった。雲雀恭弥の力量をどの程度彼らが測れたのかはしらないが、海をスプーンで測る無謀さを味わえたことだろう。
確かに、雲雀恭弥は井の中の蛙だ。ただあの男が蛙と決定的に違う点がある。それは己れのある場所を井戸だと理解していたこと。理解した上でその井戸を拡大していったことである。いや、そもそも。
あの男はかわずではなく、鳥だ。井戸の上も海の上も、すべてが彼の領域だと決められていたに違いない。もちろん、生まれたときから。
あなたは年々、でかくなっていきますね。挨拶がてら、雲雀恭弥にそう笑いかける。極東の、市町村ガッペイを辛うじて免れたあの街からきた鳥。漆黒の猛禽。もはや誰も彼を下げすさみ見下すことなどできない。
どんな会話の流れだったかするり口を滑らせてしまった。あなたを、理解できる人が、いればいいのに。案の定、雲雀は顔をしかめる。殴られると反射で悟った。実際には殺傷性に富んだ視線を注がれるだけだったが。心境的には見つめられることと殴られることに変わりはない。機嫌を損ねてしまったのだから。なんら気休めにならない
ならばもう、言ってしまおう。開き直って口を開く。あなたに一切の干渉をせず。期待も落胆もせずさせず、負担にならない。不快にさせない。恐怖も抱かない。空気に等しい。そんな理解者がいればいいと、思ってしまいます。
雲雀は、呆れ果てたのだろう。くだらない。そう言ってオレの脇をするり、黒猫のよう去っていく。振り返らずとも、雲雀の背中がぴんと、うつくしくあることをしっている。それだけしか自分は知らない。充分だ。瞬間。腕を引かれる。後ろへ。頸の後ろに固い掌が添えられ上半身を後ろに捻られる。息がまじる。唇はくっついただけで濡れもせず離れた。耳に吹き込まれる。「今夜23時」頬が擦れる。雲雀は、今度こそ拘束をといて去っていく。
井の中の蛙は、海を知らない。それがスプーンでは掬い終わらないくらいの水の集まりなのだと知らない。けれど、空は知っていた。ちっぽけな、井戸のかたちに切り取られた空。ある日、実は鳥であった蛙はその空に向けて飛び立った。その瞬間、空は一気に広がった。鳥は、ちっぽけだと思っていた空が世界をすっぽりおおっていたことを知る。そして自分は、その空を自由に飛び回れることを理解したのである。
ただ、空は自身の広さをもて余しぎみだ。本当に井戸の形に切り取られたいと望んでいるのがありありとわかる。
なので鳥はいつか切り取られた空と一緒に、帰ろうと、思うのである。
井の中に帰る、世界をすべて見終えたら。