我儘
「左近!聞いたぞ。今日はお主の誕生日だそうじゃな?」
左近が戦場から戻ったその足で、陣地に店を構える鍛冶屋を相手に武器強化を頼んでいたところ、何の前触れもなく声がかけられる。
仙人を自称するその男が気配も感じさせずに唐突に現れることなどいつものことだ。気がつけば自分の横で長い外套をたなびかせて立っている伏犠を、左近は片眉を上げて見下ろした。
「はあ?…またそんな話どこから聞きつけてきたんですか」
鎧の前で腕を組み、左近を見上げた伏犠は上機嫌に笑っている。左近よりは幾分低い身長ながら、尊大なその態度はその体躯を大差ないように錯覚させていた。
「お主は陣地内でも慕われておるでのう。黙っておっても耳に入ってくるわ」
「まあそりゃ、ありがたい話ですけどね」
鍛冶屋の店主に依頼を終わり仕上がるまでの時間を聞いてから、左近は鍛冶屋の邪魔にならないように脇の柵へと立つ位置を変える。それと並ぶように歩きながら、伏犠が組んでいた腕を解き、まるで魔法でも使うかのように人差し指で宙に円を描く。
「それで、じゃ」
「はい?」
にこにこと上機嫌でその人差し指を突きつけてくる伏犠に、左近は首を傾げる。
「何が欲しい?」
「直接聞くのは反則じゃないですか?」
そういうのは面と向かって聞くもんじゃない、と思わず笑いながらも、左近は自らの顎へと指を当ててほしいものを考えてみる。
身分、財産、立場。
…夢。
今この世界において、欲しい物など既にほとんどがこの手にある。
「何でも良いぞ?世話になっておるお主のことじゃ。叶えられるものであれば惜しみはせん。仙酒か?不老長寿の妙薬か?桃源郷へ連れて行っても良いぞ?」
「いりませんよそんなもん」
わしに任せろ、と拳を作って胸を叩く伏犠に苦笑しながら、左近はゆっくりと首を振って見せた。
人の子は仙界の品を血眼になって欲しがるものと聞き及ぶ。
この世界に呼び出された無双の者はそれほど執着はしてはいない様子だったが、もらって嬉しくないものでもないだろうと思っていた。それをまさか『そんなもん』呼ばわりされるとは思っておらず、伏犠は拳を鎧の胸元にあてたまま、不思議そうに左近を見上げる。
「…? 良いのか?そうなると後はこの世界で入手できるものになるが…武器に、貴石に…後は貴重品か?」
「いや…それも大体間に合ってますしねえ…」
気を取り直して他に手に入れられて左近が欲しがりそうなものを思いつきで指折り数えるものの、それも不要だと首を振る左近に、伏犠の顔が少しばかり途方に暮れたようになる。
「困ったのう。それではわしはお主に渡せるものが何ものうなるわい」
そんな伏犠の顔を眺めて、左近は懸命に笑みを噛み殺していた。
仮にも仙人様とあろう者が、人の子に贈る品一つでこうも悩むのか。
そうした表情を見せてくれること。左近はそれだけでも十分に嬉しく思っている。
しばらくそうして悩んだ末に伏犠が何かを思いついたように顔を上げたが、その表情は硬く、口を開く前からこれから告げる言葉を物語っていた。
「…お主を元の世界へ帰すことはできんが、ほんの束の間元の世界の様子を見ることならば…」
言いかける伏犠の唇の前に、左近が人差し指を一本立ててその言葉を遮る。
それはこの世界に連れてこられた者であれば大抵の者が望むことだろう。
けれど、左近にとっては帰れない世界を眺めることに意味はなかった。むしろ、今となっては自ら望んでこの世界を離れることすら。
「…じゃあ、一個だけ。俺のお願い、聞いてくれます?」
にっこりと笑顔を見せる左近に対し、伏犠は戸惑ったように目を瞬かせて左近のその表情を眺める他になかった。
作品名:我儘 作家名:諸星JIN(旧:mo6)