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もしも、の話

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「…ッ―――花村ァァ!!」

 甲高い悲鳴が劈く様に辺りに響き、それと同時にふわりと宙に浮いた痩躯が鋭くも鈍い音を立てて地面に叩き付けられる。
 転がった身体は呻き声と共に口腔から真っ赤な血を吐き出すと、くたりと動かなくなった。
 涙声混じりの叫びと酷い混乱の中、月森は茫然と目を瞠りその光景を眺めていた。
 はくり、と震えた声帯は、けれども音にはならなかった。代わりにぎゅうと拳を握りしめる。
 そうして再度口を開いたその唇から洩れ出た言葉は―――、




「カーーーーット!はい、OK!お疲れ様!」
 大きな野太い声と共に、カン、と小気味良い音が辺りに響き渡り、それまで周囲を支配していた緊張が一気に解ける。
「花村ーもう良いよー」
 呼び声と共に差し出された少女らしい細い手に、花村と呼ばれた少年は遠慮なく捕まると、よっと掛け声をかけて立ち上がった。
「あー、何かまだクラクラする」
「あはは、思いっきりだったもんねえ。あれはあたしも痛そうだと思った。思わずうわって目ェ瞑っちゃったもん」
 からからと笑う姿に花村は苦笑を返し、だろ?とおどけてみせる。そうして休憩に向かう為に歩き出した周りに倣う様に、二人も談笑しつつ一歩を踏み出し――途端走る痛みに、花村は思わず顔を顰めた。
「花村?」
 目敏くもその異変を見逃さなかった彼女は、訝しげに問うてくる。
 花村はバツが悪そうに視線を逸らすと、ぽつりと一言呟いた。

「…やべぇ。しくった、かも」



***

―――マヨナカテレビって知ってる?
 そういうフレーズから始まるこの物語は、どうやら随分と力を入れているらしく、撮影は長期に渡って行われていた。
 オーディションを受けてみないか、とマネージャーに言われた時も感じたのだが、この話は結構な変わり種で、そしてそれを考えた監督や脚本家といった面々も、実に曲者揃いだった。
 先ず役者と役名が一緒だったり、何処で調べたのか役のプロフィールや性格まで演じる本人と酷似していたりと、中々の衝撃を初っ端から与えてくれた。監督曰く、より一層感情移入出来る様に、との配慮らしいが、それを真に受け取っているものは少ない。
 然しながら出演者達は戸惑いながらも今では随分と慣れ、とても良い雰囲気の中撮影を行っている。腑には落ちないものの、功を為した、ともいうべきなのだろうか。
 そう思っていた矢先の出来事だった。正に油断が生んだ事故である。

 さてその当事者である花村陽介は、新人の中でも更に新人ともいえる俳優であった。
 だから駆け出しの俳優である自分が、このような大役を得られるとは、正に僥倖ともいえるものだった。なにせ周りは大物か、それか新人や若手ながらもそこそこ名の知れた有名人ばかりだったからだ。
 スカウトされてこの世界に飛び込んだ花村は、演技という演技を今まで一切やった事が無い。寧ろ無縁だったと言っていい。
 そんな己のどこに魅力を感じたのかは分からないが、それでもやるからには自分が持てる全てを持って取り組もうと花村はこの役を射止めた時から決めていた。幸い周りは良い人間ばかりで、休憩の合間に演技についてのアドバイスや指導を嫌な顔一つせずしてくれる。
 だからこそ少しでも足を引っ張らぬ様に花村は彼なりに努力し、体調管理に至るまで細心の注意を払っていたというのに――。
「この体たらく、だよ」
 いつになく項垂れる花村にどう声をかけて良いのか分からず、出演者達は遠巻きにこちらの様子を伺っている。
 そんな中、唯一人だけ、花村の隣に腰をおろし彼を見守る男の姿があった。
「この撮影はアクションシーンが多いから、大怪我も有り得るって、監督言ってただろ?つまりは想定内だ。余り気にするな」
「そうは言ってもさ、ちゃんと事前に受け身だ何だってきっちり習ったろ?それなのにこんなポカやらかして、更に俺の所為で撮影、引き伸ばしになっちまったし」
 益々落ち込む花村を横目に、月森は小さく溜息を吐いた。彼のいかにも今時の若者ですといった外見とは裏腹に、努力家で真面目な性格は月森の好むところではあったが、それと同時に酷く心配の種でもあった。意外と繊細である彼は、この先この世界でちゃんとやっていけるのだろうかと。
「そう思うならとっとと治せ。で、ちゃっちゃと復帰しろ」
「…随分軽く言ってくれるな、相棒」
「お前がいつまでもウダウダやってるからだろ。なったものは仕方ない」
「――何かお前、怒ってる?」
「怒ってない」
 窺う様に上目で覗き込む花村の姿に、月森は眉間に皺を寄せた。
「ホラ、やっぱ怒ってんじゃん…」
 途端しゅんとなる花村に再度溜息を吐き、月森はそっと身を屈ませた。そうして掠め取る様なキスを贈る。
「…ッな、何して…!」
 己の身に起きた事を瞬時に悟り、真っ赤になってうろたえる姿に少しだけ溜飲が下がり、月森は止めとばかりにゆっくりと口角を上げた。
「怒ってはいないが、苛々はしてるな。その怪我の所為で、俺はそれが完治するまで手が出せない」
「バカかお前!!」
 怪我の所為で威力の無い蹴りを繰り出して、花村は此処に居ては危険だとばかりに慌てて去っていく。
 それを追うでも無く首まで真っ赤になった後ろ姿を唯眺め見て、月森は人の悪い笑みを浮かべて満足そうに眼を細めた。


end.

作品名:もしも、の話 作家名:真赭