輪廻
五百数十年後の、夏。
「せんぞー、あとで、うらやまへいこーぜ! おれ、カブトムシいっぱいとれるとこ、みつけたんだー!」
「え、すげーじゃん! じゃあ、ごはんたべたあとでいこう! いちじにもんじろーんちでまちあわせな!」
「おー!」
とある小学校の廊下にて。
二人の少年がボーイソプラノの可愛らしい声と騒がしい足音とを響かせながら靴箱へ向かっていた。
背中には艶の残るランドセル、胸にはまだ新しいバッジが付けられており、そこには一年、と表記されて
いる。
個人情報がどうの、と世間がうるさいので、名前は書かれていない。
そんな大人の事情や世情を、子供達は知る由もない。
特に関係もなかったが。
子供達は明日から夏休みに入るという事実にだけ胸を躍らせ、午後の予定を立てる事に夢中になって
いた。
「あ、せんせー! さようならー!」
「きたいしせんせー、またねー!」
「はい、さようなら。潮江君も立花君も、気を付けて帰るのよー。夏休み、あんまり遊び過ぎちゃ駄目だか
らねー。宿題もきちんとしなさいよー?」
「わかりましたーっ!」
「あ、もんじろー、かかとふんでる」
「おっと、いけね」
ちょうど靴を履き替えた所で、二人は職員室へ向かう女性教師を見かけたので、元気に挨拶をした。
先生と呼ばれた女性は、小学校の教諭であり、少年達の担任で、北石照代という。
歳は二十五と若いけれども、子供好きで、生徒からの信頼も厚い、良い教師だった。
読めない名前もまま有る現代において、随分と昔風な名前だと周りからは言われているが、本人は
割とその名を気に入っていた。
確かに口に出してみれば中々、語呂も良い。
何よりその名前には幾許かの懐かしさを感じていた。
「そういえば、あなた達……」
その彼女には、常日頃から疑問に感じていた事があった。
今、疑問の元である子供が、目の前にいる。
周囲には誰もおらず、なんとなく良いタイミングのような気がして、彼女はふと問いかけてみた。
少年二人は立ち止まったまま女性教諭を見上げ、言葉の続きをおとなしく待つ。
「どうして何時も二人して、そんな古風というか、不思議な名前で呼び合ってるのかしら?
お家の方が時代劇とか、好きだったりするの?」
彼女が問うてみたくなるのも、しょうがないと言えばしょうがない事だった。
彼女は二人の担任なので、子供達の名前が書かれた名簿を持っている。
その名簿には、この二人の少年の名前も書かれている。
名字は確かに潮江と立花なのだけれども、下の名前はどちらも割と今風のものだ。
それなのに二人は、入学式を済ませ、同じクラスに入って言葉を交わした瞬間から、互いを違う名前で
呼ぶようになった。
子供の間には子供にだけ通じる渾名があるものだからと気に留めずにいたけれども、それにしても古風
に過ぎる。
だからつい、尋ねてみたくなったのだった。
問われた少年達は顔を見合わせる。
「えー? わっかんねー。でも、たちばなは、せんぞーなんだよ。それはわかるんだー」
「おれもー。しおえは、もんじろーだって、さいしょからしってたよ。りゆうは、わかんないけど」
二人は首を傾げつつ、それがさも当たり前だと言わんばかりに主張した。
理由はどちらも解らないらしい。
何かが「互いを知っている」と告げただけで。
本来なら苦笑いするか、彼らの脳内を心配してしまいそうな返答だったけれども、それでも北石は、何故
だか納得してしまった。
この二人は、そうなのだ、と。
そして、これもまた何故か、口をついて出てしまった。
「ふーん、そっかあ。そうなんだ。見た目も名前も違うけど、逢えて良かったわね。何時までも仲良くね」
「「もっちろん!」」
彼女自身のものか、はたまた何時かの記憶が告げたのか、するりと出た言葉に、少年たちは同時に同じ
返事をした。
重なった声が面白かったのか、二人はあははと笑うと、そのまま手を繋いで駆けだした。
子供の足では長く感じる帰り道の途中で、二人は何気なく先ほどの話を続ける。
「あのさー、ほんとに、わかんねーんだけどさ、おれ、がっこうはいったとき、おまえにあえて、すんげー
うれしかったんだぜー。あ、せんぞーだ! っておもってさー」
「おれもだよー。なんていうんだろー? あのひ、もんじろーがいる! っておもって、あえてうれしいっ
ていうか、しあわせー? そんなかんじだったー」
嘘偽りない、子供達の感覚。
子供の知識や語彙では、何がどうしてと言うのは難しいだろう。
けれども、入学して出逢ってまず感じたのは、決して途切れなかった「こころ」の、歓びの声だった。
それは、間違えようがなかった。
記憶も殆どが失われ、名前も姿形も変わり、過去に存在した絆も無くなってしまったけれども、妻子を
持たず、子孫を残さなかった二人が、数百年という長い長い時を経て同じ名字の家庭に生まれ落ち、同じ
時代の同じ場所で再び出会えた事は、まさに奇跡だった。
これから新たに築いて行く関係は、恐らく昔とは大きく変わってしまうことだろう。
しかしきっと、大抵の事は乗り越えられる。
あの時のような、悲しい別れだけは無いと言えるからだ。
他人の為に戦い、他人の為に命を落とすという、不本意な別れだけは。
これからは毎日笑って、泣いて、怒って、いろんな経験をして、一緒に成長して行けるのだ。
己が命を、人生を、大切な人の為に生きて行けるのだ。
遠い昔、黒装束の男がそう在りたいと願ったように。
「ま、なんでもいいや! せんぞー、こんどはずーっといっしょにいような!」
「うん! いつまでもいっしょにいようなー!」
繋いだ手に力を込めれば、もう一方もぎゅう、と握り返す。
同じ熱を感じる、そんな当たり前の事がただ嬉しくて、二人は汗ばむ掌をますますくっつけたのだった。
(どうやら早死にせずに済みそうな時代だ。今度は目一杯、人生を楽しんでやろうじゃねえか)
(そのようだな。漸く手に入れた平凡な人生、存分に満喫してやろう)
―― 結ばれずとも、傍に居られるだけで十分だ!
昼食後の外出が楽しみだと、はしゃぎながら走る少年達の間を通り過ぎる風が、彼等の替わりにそっと
囁いた。
終