ウサギとカメ (Fairy Tales epi.1張遼)
関羽はしばらく黙った後、ゆっくりと口を開いた。それは考えながら話しているからではなく、張遼に言い聞かせるためだからだ。
「……ねえ、張遼」
「はい、何でしょう」
「確かに以前の貴方には、貴方の代わりがいたのかもしれないわ。とくに、呂布にとっては……」
「……はい」
「でもね」
じっと、関羽は張遼を見つめる。真っ直ぐな視線は、いつか張遼が心から憧れたそれと同じ光を宿していた。
「わたしとあの洛陽でぶつかって出会って、通り雨の時に偶然一緒に雨宿りして、色々な戦場で一緒に戦って、そしてあの鏡の前で契約を交わしたのは貴方だけ。今ここに、わたしのそばにいてくれる、貴方だけなのよ……」
張遼は少しの間、関羽の言葉の意味を考えた。ようやく思いついた結論は、
「私は、私で良いのでしょうか」
「そうよ。貴方は、貴方。この世界で貴方というたったひとりの人」
それはたとえば、彼女から貰う、愛してるとか大好きとかいった睦言よりもずっと、愛しさのこもった言葉だった。胸にこみあげてくるものを伝えたくて、でもどうして伝えれば良いのかわからず、張遼はそばにある小さな体をそっと抱き寄せた。体は小さいのに、抱きしめているのは自分なのに、張遼はなんだか自分の方が包まれているような気がしていた。自分の背に回されてその場所の衣を掴む関羽の手が、ひどく暖かかった。
「……貴女はやはり、私の先生ですね」
「ええ? その役はもう終わったんじゃなかったの?」
「いいえ。まだまだ貴女からは、学ぶことが多そうです。ですから……」
――ずっと、そばにいます。
どうしてか言葉にできないこの思いが、せめてこの腕から伝われば良い、と。そんな願いを込めて、張遼は抱きしめる力をそっと強めた。
作品名:ウサギとカメ (Fairy Tales epi.1張遼) 作家名:璃久