いばらの森
「おねえちゃん、こっち、こっち!」
「わっ…行くから、ちょっと待てって…ったく、おねえちゃんは足を挫いてるんだぞー?」
きゃあきゃあと歓声を上げて、本当にすっかりエドワードに懐いてしまった子供達が少女の手を引く。引かれる方はといえば、片手で器用に松葉杖を動かしながら、笑いながら子供達につれていかれる。ひとりはエドワードの背中を押し、ひとりは松葉杖を使っていない方の手を引き、ひとりはエドワードに並んで小走りに歩きながら…。
―――あの後、つまり、エドワードが保護された後だが。
コリンも無事に保護され、ふたりは、再びこの田舎町に帰ってきた。そこからすぐに旅立たなかったのは、…実は、エドワードが足を手ひどく捻っていたからである。どうしてそんなことになっていたかといえば、眠らされる前、彼女が、コリンを引き離そうとするゲイルの執事以下私兵と乱闘を繰り広げたからであり、…普段しないような格好をさせられていたエドワードは、その際にどうもけつまづいて足を捻り、コリンは引き離され自分は足を捻挫した上に麻酔をかがされ気を失い、さんざんだったらしい。ちなみにロイも足を銃弾が掠めていたらしいが、どうってことはない、と休暇も特に取らずに仕事に戻っていた。ゲイルの逮捕は、監査官として立ち会っただけで責任は西方司令部に、とうまいこと押し付けてきた彼だが、一応監査官であっただけに、調書の提出には付き合わなければならないらしい。当たり前と言えば当たり前だ。…そんなわけで、保護された日以来、実はエドワードはロイと一度も会っていない。
気がついたら車らしきところに横になっていて、かなり真上、すごく近い距離にロイの顔があって驚いたのだが、…それが恥ずかしくてその時はあまり話も出来ず、なんとなくその後も気恥ずかしくて電話も出来ないでいる。大体、怒るだろうと思ったロイが欠片も怒らないので、逆に怖くて何も話せないのだ。…婚約のこととか、そういったことを含めて。
「気をつけてね〜」
今日はボク留守番してるよ、と言い出したアルフォンスに首を傾げつつ、それでも特にこだわることもなく、エドワードは子供達とほとんど車の通ることの無い舗装道路を歩く。通りの両脇にはこぢんまりした家々が軒を連ねており、秋もそろそろ終わり頃にさしかかるというのに、プランターには秋の植物などが植えられそれぞれの家の庭を彩っていた。意外に強い陽射しが、紅葉した葉を透かせて美しい。
そうして歩いていると、時折、庭の手入れをしていた老人などが、子供達が集まって楽しそうに歩くのに目を細め、持ってお行きと飴を差し出してくれたりする。鉢植えや地植えの、柿や金柑をお食べとくれる老人もいた。それらには皆で元気よくお礼を言って。
持ち切れないほどの金柑はひとつずつ軽く拭いて食べて、その意外な甘さに皆で喜んで。だがやはり食べ切れないから、帰ったら皆で金柑のケーキを作ってみよう、胡桃も入れて、とエドワードが機嫌よく提案すれば、子供達は歓声を上げた。そうして、子供達は通りを抜け、川の近く、公園のように開けている空き地へと辿りつく。歌を歌ったりなぞなぞをしたり、…嘘のように平和で幸せな時間に泣きたくなったのは、エドワードの秘密である。
秋であり、また川傍ということもあって、風は少し冷たいが、陽射しは充分に暖かかった。
「おねぇちゃん、どんぐりってたべれるんだよ!しってる?!」
木の実を拾ってはエドワードに得意げに見せる子供、われもこうを摘んで、首飾りにしてくれとせがむ子供、エドワードに纏わりついて離れない子もいるし、すすきを持って走る子供もいる。
何が楽しいのかわからないといえばそうかもしれないが、エドワードだって、ほんの数年前まではこうだった気がする。とても昔のことのように思えるが、勿論錬金術も好きだったけれど、こうやって山野を駆け回っていた時間の方が長かったのだ。
「おねぇちゃん、こっちきて!」
「はいはい」
我知らず微笑んで見ていたら、不意に呼ばれ、そちらへと歩く。
「こっち。すわって」
「…?」
よくよく見れば、そこには、人がひとり座れるくらいの大きさに、ストールらしき物が広げられていた。場所は大きな木の下である。オレンジの小さな花からは秋らしいよい匂いがしていて、それが金木犀の木であることに少女は気付く。
「すわって!」
「すわってー!」
―――どうやら何か企んでいるらしい。
子供達は目をきらきらさせて、エドワードを強引にそこへ座らせた。苦笑しつつ腰を降ろしたエドワードから、留める間もなく松葉杖が奪われ、呆気に取られていると二人がかりで何か白い大きな物をかぶせられた。
「はい!」
「ゎ…?!」
驚きつつも甘受すれば、それは、レースのテーブルクロスだった。
…一体どこに隠し持っていたのだろうか。小さな子供というのは、かなり頻繁に大人の(エドワードもまだ大人とは言い難かったが)隙を突く行動を取るから油断ならない。
「…もー…なんなんだ、一体…」
髪にもつれるレースに四苦八苦しながら頭を動かせば、そんなエドワードなど素知らぬ風情で、「せーの」と声掛け合い、さらに子供達が何かを画策している。
「いっくよー!」
わさわさわさわさ
「ぅゎぁっ…!」
ばさばさと上から花が散ってきて、エドワードは思わず声を上げた。…可愛らしい悲鳴、とはいかないのがエドワードらしい。
「ちょ…おまえたち!」
さすがに何の真似だと気色ばむと、おねえちゃんが怒ったー、と欠片も怖がっていない様子で蜘蛛の子を散らすようにあちこちに駆け出して行くのだ。
「ったく…! …って、こら!松葉杖!もってくな!」
そして、追いかけようとしたところで、彼女は自分の松葉杖が持って行かれていることに気付いた。別に根性で立ち上がることも走ることも出来るが、それをやると治りが遅れる。さすがに今はそんな根性を発揮するタイミングではないだろう。
…それに子供達も、別に物凄く悪意があってやっていることではないのだ。・・・きっと。恐らく。
「…懐かれんのも大変だな…」
というか、子供の相手をしていると、本当に体力がもたないと思う。純粋な体力ならそれは勿論エドワードの方があるわけだが、…なんだろう、それでもあの、爆弾のような威力はすごい。まったく、母親達には頭が下がる思いだ。そして自分もそうだったのかな、母さんてすごいや、とも、思う。
「…おーい。怒らないから返せって」
赤を基調にしたチェックのストールの上にちょこんと座りこみ、やたらに広い、まるでヴェールのようなレースのテーブルクロスをかぶせられ、上から金木犀の小さな花を散らされたエドワードは、困ったように首を傾げ、両手を口の脇に添えて呼びかける。
平和な、絵本のような光景だった。
そしてこれが絵本であるのなら、次の展開も決まっていて―――
「わかった、わかったから。そんなに急ぐと転ぶぞ?」
エドワード達が来た道とは別の方向から、人の声が聞こえてきた。大きい声というわけでもなかったのだが、それが知っている人間の声だったから、エドワードは思わず驚いてそちらを振り向く。
…いや。