いばらの森
知っている人間ということもあるが、…それだけでもないだろう。もっと違う意味で、特別な、と思っている相手の声だったからに違いない。
振り向いた先では、黒い頭の男が、笑いながらやはりエドワードのように手を引かれていた。近所の子供達に。
そういえばいつも襲撃してくるやんちゃギャングどもの人数が、今日に限って若干少なめだったことに今になってエドワードは気付いた。そしてその、見なかった顔ぶれがイコールで今ロイの手を引いている子供達なのだから、…どうやら、彼等は最初から何かたくらんでいたらしい。
「こっちになにがあるんだ?そろそろ教えてくれないか」
エドワードは何となく声をかけそびれて、ロイと子供達とを見ていた。
…意外なことこの上ないのだ。
あの男が、あそこまで子供に慣れるとは思わなかった。
勿論、ものすごく面倒見がいいという程ではないが(それはどちらかというとアルフォンスである)、といって別に子供自体が嫌いなわけでもないらしく、適度な距離の取り方をしている。脇で何くれなく手を出すわけではないが、見るべきところは見ていて、危ないことはさせない。今も、走ると転ぶとか、怪我をさせてはいけないとか、そういうことを気にしているのだろう。だが頭から抑えつけるようなやり方ではなくて、見守る姿勢で。
子供達の父親の中には、ロイとそう年の変わらない人もあるだろう。だが、ロイのような人はそうそういないはずだ。エドワードはそう思う。
知らず鼓動が速くなっていて、エドワードは焦る。なぜこんなにもどきどきするのか―――その理由を、もうわからないとは思えなかった。
もう知っている。
…どうしてここまで緊張するのか、どうして、ロイから目が反らせないのか。エドワードはもう、その理由を知っていた。
「…? …は、…エディ?」
と、ようやくロイは、大きな金木犀の下、何やら白い布のようなものに埋もれた少女に気付き、目を丸くした。
「ロイおにいちゃん、おそーい!」
「おねえちゃん」のだんなさん(予定)なのに「おじちゃん」だと「おねえちゃんが」可哀想! …というお子さん達の決定に従い、ロイは、「おじちゃん」から「おにいちゃん」へ昇格(?)を果たしていた。…喜んでいいのかどうか、・・・微妙なところである。
「…た、…ロイ…」
やはりまだ名前を呼ぶ態度はぎこちない。それでも、無意識に嬉しそうな、心預けたような表情を見せるエドワードに、ロイも目を細めて微笑み返す。
「…来てたのか?」
何となく照れ臭くて、はにかむ顔を見られたくなくて、微妙に目線を反らしながらエドワードは尋ねた。するとロイは笑って膝をつくと、手を伸ばし、ヴェールに見立てられたのだろうテーブルクロスを軽く跳ね上げた。木綿レースのそれは手に素朴な触感を伝え、随分と長閑な空気と調和して感じられた。
「…なるほど。白いネクタイを渡された理由はこれか…」
「……?」
よくよく見遣れば、どうもロイはあまり衣装持ちではないのかこの前も見た気がする黒いジャケットに同じ色のスラックス、それから白いワイシャツ―――とそこまでは面白みの無い服装だったのだが、なぜか白いネクタイを締めていた。
「たいてい参列者が白ネクタイなんだがね。…彼等から見たら一緒かもしれないが」
「…???」
わけがわからず首を捻れば、ロイは目を細め、喉奥で笑った。
「…っせーの!」
と、さきほどあちこちに散っていた子供達がまた集まってきて、なんだと思う間もなく、やはりどこに用意していたのか謎だが、ライスシャワーならぬ紙吹雪をぱっと散らした。季節柄他に花という花もないせいだろう、金銀の木犀の小さな花やポプリらしき花びらも申し訳程度に混ぜられている。
「……?!」
ぽかんとした顔をして呆然と紙吹雪を受けとめるエドワードの肩に、ロイは笑いながら腕を回した。そして彼女が呆然としている間に、さっさと膝裏に腕を差し入れ、抱き上げてしまう。
「え、あ、ちょ、あ、…あの?!」
気が動転してまともに喋れないエドワードに、ロイは何がおかしいのかくすくす笑い続ける。
―――そして。
「はなよめさんにはちゅーするのー!」
「およめちゃんにはちゅー!」
…はなよめさん…?
わいわい囃し立てる子供達の高い声に、エドワードの頭は完全に停まった。
「そうだけどそうじゃないよ!こっちこっち!」
…と、子供達の中では恐らく一番年上の、七、八歳の女の子が言い出し、ロイのジャケットを引っ張る。
「はいはい」
男は子供達に逆らう気もないようで、笑いながら、軽々とエドワードを抱えて川べりを歩いて行く。
エドワードただひとりが、わけがわからず呆然としていた。
「ここ!」
やがて一行が辿りついたのは、流れを見渡せる見晴らしのよい場所だった。もしかしたら何かの遺跡なのか、大きな石が転がっていた。円柱が何本か残された野原の真ん中、ロイの膝よりは少し高いくらいの平たい石が残されている。
と、見ていれば、七歳のジルという女の子が素早く前に抜け、石の前に立つ。さきほど、そうだけどそうじゃない、と主張した子である。
そうしたジルの動きにあわせて、申し合わせてあったのか、他の子が木の枝や秋の草花で作った十字のリーフを石の上に何とか立たせる。
「…こほん」
ジルがもったいぶって咳払い。
ロイは噴き出してしまいそうになりながら、一応は大人しく従う構えを見せた。子供というのは突拍子も無くて面白いな、と思いながら。
「ちかいのぎしきをします」
胸を張ってジルが言うと、残りの子供達が左右に分かれ、石の祭壇とジルを中心に並んだ。と、思ったら、その中からシーナとコリンが進み出る。ふたりは、小さなブーケを持っていた。
冬薔薇の小さな花束は、子供達の家から切ってきてリボンをつけたのだろう。ブーケを形作る白いリボンには、エドワードは見覚えがある。シーナが髪に結んでいたことがあったからだ。刺繍の入った太目のリボンで、何となく印象に残っている。
「おねぇちゃ」
コリンが一所懸命に上に差し出すブーケに、抱えられたエドワードの手は届かない。
ロイはエドワードを差し出すように背を屈め、シーナは弟を両手に抱えて上に持ち上げた。そうすることで、エドワードの手には、コリンが差し出したブーケが渡る。
…あの誘拐劇では、不幸中の幸いというべきだろう、コリンは怪我ひとつしなかった。とはいえ、恐ろしい目に遭った事に違いはない。エドワードは、ジェシカとその娘、つまりコリンの母親であるマーガレットに、真相を話し、謝った。その時後ろでは、心配そうにロイが見ていた。ちょうど、ふたりが保護されたその日のことだ。
当然詰られるだろうと、覚悟していたエドワードに、瞬きした後ジェシカは目を吊り上げ、声を大きくした。
「ロイ君!」
…が、なぜか彼女が名指ししたのはロイだった。そのことにエドワードが呆気にとられていると、彼女は堂々と胸を張って言ったのである。