いばらの森
「…こうして王子様は見事にお姫様を百年の眠りから救い出し、ふたりは、王子様の国へ行って幸せに暮らしました」
「うーん…」
「えーと…」
「どした?我が家の王子様とお姫様?」
「あのね、おかあさん。おもうんだけど、おひめさまはほんとにそれで『しあわせ』だったのかな?」
「は?」
「だってね、だってね、へんじゃない?」
「なにが?」
「だって、いきなりめがさめたらしらないひとがいて、けっこんしよ!なんて。へんなひとだとおもうの!」
「………。おまえはほんとにお母さんの子供だな…」
「あ、王様のお帰りだ」
「おとうさんおかえりなさい!」
「おとうさんがはやくかえってきた!あしたはあめかも…」
「夕飯は?食べてないならなんか作るけど」
「…君、最近エスニックに凝ってるだろう。胃もたれするから、他のものにしてくれるか…だがそれしかないなら自分で作るからいい」
「なんだそれ。かわいげねぇな!」
「おとうさん、おかあさんにごほんよんでもらってたの!」
「でもへんなの!」
「変って…いばら姫のどこが変なんだ…、君、また妙な解釈加えて読んでやったんじゃないだろうな」
「オレは一字一句たがえず読みました。人聞きの悪いこと言うな」
「…じゃあやっぱり感性の問題か。遺伝だな…」
「半分はあんたじゃん。人のせいにすんなよ」
「…頼むから子供の前で夫のことをあんたとか呼ばないでくれ…。教育上よろしくないだろう」
「教育って。…ああまあそれはいいとして。なぁ、なんでいばら姫が変なんだよ」
「だってぇ。へんなひとじゃない?おひめさま、だまされてるんじゃない?おこしてくれたひとだけど、しらないひとだよ?」
「…。なるほどね。…でも、それを言うなら王子様こそ罠にはめられていたのかもしれないぞ?」
「わな?」
「おとうさん、わなってなぁに」
「だからね。王子様は、知らず知らずにお姫様に会いに行ったけれど、本当は初めからそういう運命だったのかもしれないという話」
「うんめい?」
「うんめいって、わたししってる!あのね、おんなのこは、こゆびにあかいいとがむすんであって、けっこんするひととつながってるの!」
「…。おまえは父親似だな…その過度にロマンチストなところが…」
「…女の子なんだからいいじゃないか。君に似てエキセントリックな解釈をするよりは」
「そのエキセントリックな女を選んだのはあんただからな、言っとくけど」
「誰も悪いなんて言ってないじゃないか。愛してるよ」
「おとうさん、おとうさんわたしもちゅってするー」
「ぼくもー」
「ああ。こっちにおいで。…いばら姫と王子様も、きっと、おまえたちみたいな可愛い子供がそのうち生まれて、それで幸せに暮らしたんだと思うよ。だって、運命だったんだから。初めから、神様がふたりが出会うように、決めていたんだよ。きっとね?」
自分に身を寄せて眠る妻と、それから子供達(普段はもう別の部屋で寝ているのだが、ちょくちょくこうやって両親のベッドにもぐりこみに来る。父親の帰りが遅い日が多いのも原因だろう)の寝顔を、そっと暗がりの中見つめ、男は薄く微笑んだ。
信じられない幸せ。
今、それを自分が手にしていることが、まるで夢のようだ。
「…『お姫様は、王子様と幸せに暮らしました』…、か」
彼は大きな手で、そっと妻の白い額を撫でる。元々童顔の妻でもあるが、そもそも年の差があるから、子供を生んだ今でさえ少女めいている。
「まあ、…君は嘘がつけないから。幸せだということで、いいよな?」
男は、撫でた額に今度は唇を落とし、そして囁いた。
「…おやすみ、良い夢を。そしてどうか、目覚めても私の傍に―――」
御伽噺の結末は、誰も知らない。
そもそも、幸せな結末以外にありえないから、それで充分なのだ。