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Bizarre Morning

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 なぁん。
「ん?」
 日課の早朝ジョギングから戻ってきた勝呂竜士は、あちこちを見回した。ヘッドフォンをはずした瞬間を狙い澄ましたように聞こえてきた猫の鳴き声の出所を求めてのことだ。
 寮の塀の上に見たことのある猫が座り込んで、勝呂を見つめる。
「なんや、クロやないか。散歩か」
 ふと、京都で巨大化したクロの体に捕まって、飛んだり跳ねたりした記憶が脳裏をよぎる。しっぽで守られていたとはいえ、あの時の速度、浮遊感と落下する勢いと体が揺さぶられる激しい衝撃を味わった後では、どんな激しいジェットコースターも目ではないと思えた。一瞬その時の感覚が甦って、体がぶるりと震える。だがそれだけだ。別にクロが怖いとか、そう言うことではない。あれは凄かった。そう言う感慨だ。
 呼ばれたような気がして塀へ近寄っていくと、クロがこっちに来い、と言うように立ち上がって、にゃーと鳴いた。更に引っ張られるように近づいていく。
「なしたんや?」
 クロはもう一声鳴くと、すっと後ろ足を高くして軽く身構えて、とん、と飛んで勝呂の肩に乗った。
「おっと」
 猫が肩の上を歩くと言う体験など滅多になく、どうにもくすぐったい。クロはしばらくウロウロして、後ろ足で肩に踏ん張る。
「落ち着いたか」
 前足を勝呂の頭にぽすんと乗せると、出発、と言わんばかりににゃぁ、と鳴いた。
「坊《ぼん》、お早うございます」
「早う。子猫早いな」
 挨拶を返しながら、眠そうな目を擦っている三輪子猫丸のベッドにクロを降ろす。クロも子猫丸が存分に構ってくれるのは判っている。あちこちを興味深そうに匂いをかいで、子猫丸に向かって嬉しそうに鳴いた。
「クロやないですか、どないしはったんです?」
 慌ててメガネを掛けた子猫丸が、自分の部屋に現れた小さな生き物に驚いたような、嬉しいような声を出す。
「塀の上におったんや」
 シャワー浴びてくる、と言うのに、行ってらっしゃい、と半分上の空で送り出し、子猫丸は着替えもそこそこに猫じゃらしを取り出して、早速遊び始めている。
 もう一人同室の志摩廉造はまだ寝こけていた。どんな夢を見ているのか幸せな顔をして、寝息を漏らしている。
 着替えとタオルを持った勝呂は横目で遅刻しなや、と苦笑いして部屋を出た。

 正十字学園の高等部男子寮の部屋には、それぞれ小さな冷蔵庫が備え付けてある。名目上は飲み物や軽食など、本来寮で用意される食事に影響のない程度のものをしまっておいて良いことになっている。
 名目上というのには理由がある。生活をしている生徒たちが育ち盛りと言うこともあり、特に運動部の男子生徒などは、寮で用意する朝食、夕食の量では到底足りない。数年前に、腹を空かせた生徒たちが夜中に厨房に入り込んで、冷蔵庫の中の食材をすっかり平らげてしまうと言う事件が起こった。その後、男子寮では希望者に夜食と言う名の定食を提供するようになり、万が一それでも足りない場合、あるいはもう一食食べるほどではない量の飲食物をしまうために、各部屋に冷蔵庫が設置された。
 そんないきさつある冷蔵庫から、子猫丸が買い置きしておいた牛乳を取り出す。
「坊、クロの朝ご飯どないしましょ」
 入寮するときに自分たちで用意した小皿に取り分けて、クロに飲ませながら尋ねた。
「朝メシからなんぞ見繕うてくるか」
 子猫丸が同意を表して頷いた。
 牛乳に飽きたのか、クロが廉造に近寄って、ふんふんと匂いを嗅ぐ。
「まったく志摩さんは、全然起きまへんなぁ」
 廉造は変わらず、幸せそうな顔をして寝ている。
「あかんよぉ~。えへへ」
 いきなり聞こえてきた寝言に、クロがびくっと身を震わせた。
「ほならクロ、ご飯持ってくるさかい、待っとってな」
 判った、と言わんばかりにクロが鳴いて、勝呂と子猫丸を見送った。

「それにしても、僕ら早う出なあきませんね」
「そやな」
 子猫丸の言葉に、勝呂はバツが悪そうに頭を掻く。
 寮で生き物を飼育することは禁止されている。行きがかりだったとは言え、うっかり寮に連れ込んでしまったのは、勝呂のミスだ。早い時間で誰にも見られなかったのは運が良かったとしか言いようがない。この上は、誰にも見られないように早く連れ出さなければならない。
「なしたんや」
 スウェットの下にクロが食べられそうなものを隠して部屋まで戻ってくると、なんだか人だかりがしている。
「おう、お前らの部屋からすごい叫び声が聞こえてきてさ」
 勝呂と子猫丸が青ざめる。廉造とクロが中に残っていた。何となく中の状況が想像できた。
「ちょ、悪い。通したって」
 二人が慌てて人だかりを掻き分けて、扉の前にたどり着く。扉を開けようとしたところで、一際大きな悲鳴が聞こえるのと一緒に、どすん、がたん、と大きな音が響いた。勝呂と子猫丸が顔を見合わせて、覚悟を決めるように頷きあうと、そぉ、と扉を開けて中を伺う。
「あ…、坊《ぼん》、子猫さ~ん…」
 巨大化したクロの足元に、廉造が押さえつけられて情けない声で助けを求める。二人は思わず扉を閉めた。
「おい、大丈夫か?」
 部屋の前に集まっていた寮生の一人が、心配したように声をかける。
「あ…、ああ、大丈夫や。寝ぼけて落ちたみたいや」
「志摩さん、寝相悪うて…」
 勝呂と子猫丸が取り繕う。
「なんや面倒かけたな。堪忍や」
 安堵と同時に驚かすなよ、とわずかな非難の声を残して、寮生たちがバラバラと散っていく。溜め息を吐いた二人はそそくさと部屋に入って戸を素早く閉める。
「…お前、なにしたんや」
 子猫丸が食べ物で、クロの意識を惹きつけて何とか小さな姿に戻す。
「なんもしてませんよぉ…」
「なんもしてへんで済むかい。見とぉみぃ」
 苛立たしげに勝呂が示した部屋の中は、ベッドがひっくり返り、机もどうやったのだか倒れて、引き出しや棚の上の本が散らばっている。
「ホンマですて。気がついたら大きゅうなったクロに押さえつけられとったんですて」
 言い募る廉造にウソはついていないようだ。
「ああ…。ムチムチ悩殺ボディのお姉サマたちにぎゅうぎゅう囲まれて、もう少しでパフパフして貰えるとこやったのに…」
「どんな夢みとるんや、この罰あたり!」
 ごすん、と廉造の脳天に拳を叩き込む。寝惚けて運悪くクロを抱き締めてしまったに違いない。
「オイ、志摩。とにかくベッドと机直すで」
 最低限でも直しておかないと、学校のカバンも取り出せないし、制服に着替えることも出来ない。
「えぇ~…、俺遅刻してまいますやん」
「いつまでもダラダラ寝とるからや。自業自得やろ」
「帰ってきてからやりましょや~」
「あほぅ、帰ってきて力仕事したいんか」
 通常の授業に、祓魔塾の講義。今日は運悪く、学校では体育の時間に柔道が、そして祓魔塾では魔剣の講義がある。終わる頃にはきっとクタクタだろう。
 うはぁ、と情けないような声を洩らして、廉造がベッドに手を掛けた。

「なんや、もう出掛けたんか」
「のようですなぁ」
 人の目を盗むように寮を出てきた三人は、奥村兄弟の暮らす旧男子寮の前に居た。携帯をかけても反応がない。扉が開いているだろうかと手を掛けてみたが、鍵が掛かっていた。
「若センセのことや、早う出はったんと違いますか?」
作品名:Bizarre Morning 作家名:せんり