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火と水

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刑務所を出ると、最初に墓参りを済ませた。両親の墓に参り、彼らが天国にいることを祈り、ぼくが代わりに地獄へゆきます、と誓った。地獄へ行かなければならない理由は殺人で、それはおおよそ六年ほど前に、かつて両親を自殺に追いやった男をこの手で殺めたことによるものだった。名誉を汚され、四つ辻に埋められようとした両親のために、人生を費やした。六年を刑務所で過ごしたことには何の価値もなかった。六年間は空虚で、退屈で、静かで、恐らく自由の身となったあとに残された日々も、同じように退屈に過ごすのだろうと思った。出所するにあたり、模範囚であったからか、所長は最後の面接で長広舌を垂れることもなく一言、自分の人生を生きなさい、と言った。十分です、と答えた。もう十分です。ぼくの人生はもう、終わりました。
 故郷の墓を参ると、次にこの土地を永遠に離れる決意をした。決意というほど大したものではない。決意といえば、次に住む土地を探す方にむしろ神経が要った。穏やかな土地が良いと思った。穏やかで、けれどあまり田舎ではない方が良い。隣人の餓死にひとが気付く程度、隣人が飢えていることにひとが気付かない程度、そのような町が良いと思った。また、景観の美しい場所が良い、とも思った。刑務所で暮らす間、最も飢えたのは、景色だった。一人、地図をめくっては湖や山脈や海岸線を指で辿り、想像を巡らせた。国境を越えることは出来ないと知っていた。地図がすり切れて鉛筆の書き込みで黒くなる頃、東海岸の北を夢見た。湖と森のある町だ。学問の府が多く、学生で騒がしいかも知れないが、観光地ではない。場所を選べば穏やかに暮らせるだろう。監獄を出ようとする頃、その旨を裁判所に申し出て、故郷に戻らないことが認められた。両親の仇に殺した男は、閉鎖的な田舎町を牛耳り続けた大地主で、議員を勤め、私腹を肥やしつつも土地に多くをもたらしたことも事実だった。そのような男を殺した場所に戻れば、更正に困難を来す可能性を役所は考慮した。
 更正、とは六年間で最も多く耳にした言葉の一つだった。また、六年間のうちに語りかけられた中で、最も無意味な言葉の一つでもあった。ぼくは未だかつて、正しく在らなかったことなど、ないのだ。

 保護観察官とは別に、保護司、というものが存在する。刑務所から出た者の更正を手助けするという名目のボランティアで、生活上の問題について助言を行ったり、保護観察中の遵守事項の指導を行うなどする役目を持つ。先に挨拶へ出向いた保護観察官は役人然としたつまらない人物だったが、保護司は違った。何せ、終の住処と決めた古い貧乏長屋の、隣の部屋に住む日系の中年男で、しかも妙な職に就いていた。保護司がボランティアである以上、彼が本職を持つのは当然だったが、元が警官で任務中に撃たれて不自由にした利き手をものともせず、私立探偵をしているなどとは、まったく奇妙だった。
「何か面白いことはありましたか」
 そう始めに聞くのは、ぼくの方になった。最初は、過去の連続殺人の被害者に依頼されて再捜査を行っているとか、今このとき世を賑わしている憎むべき犯罪を警察とはまったく別の方向から追っているとか、そういった意味で面白い話があるのだろうと思っていた。私立探偵ものの小説の読み過ぎだとすぐに分かった。
「離婚を切望する美しい細君から、亭主の浮気をでっち上げる依頼を貰った」
「良いですね」
「良いわけないだろう。私立探偵の沽券に関わる」
「私立探偵の沽券ってのは、一体なんなんです?」
 そんな会話を交わす頃には、とっくにこの日系人のけちな仕事ぶりについて大体分かりかけていたので、そんな揶揄をした。浮気調査、婚約者の身辺調査、行方不明人の捜索、果ては行方不明の猫の捜索。
「元模範囚の沽券と似たようなもんだ」
「ぼくのことですか」
 そういうつもりではないと、慌てて手を振る。ぼくはその手が気になる。どの程度不自由なのか。茶を淹れるのに苦労しているのを手伝ったことがある。今日もそうだ。ぼくはまず抗う。湯を沸かすのが苦手だと、抗弁する。
「そいつは、ちょっとした神経症だな」
 知った風に、彼は顎をさすって見せる。自分では洒落ていると思っているらしい顎髭。きざったらしい角度の頬杖。映画に出て来る場末のバーでもあるまいし、ここはひどい貧乏アパートの一室で、ベッドルームと居間の二つきりの間取り、いま彼が座っているのはキッチンの安っぽい木製の小さなテーブルだった。
 湯を沸かすのが苦手なのは本当だった。薬缶ならまだいい。ぐつぐつと煮立つ鍋などを見たら、呼吸の仕方を忘れてしまう。鍋をひっくり返して熱湯を足にかけてしまうのではないかという想像が頭から離れない。一度、本当に湯をぶちまけてみたらいいのではないか、という囁きが時折襲って来る。その話を他人にしたことはまだない。
 そういえば、あの男を刺し殺したとき、すぐ傍の薪ストーブの上で薬缶が沸騰して音を立てていた。とても寒い冬の夜だった。ぼくは落ち着いて警察に電話をかけ、自分が殺人を犯したことを告げた。あのときのぼくがもしひどく動揺していたとするなら、その動揺を沸騰する薬缶の湯が吸い込んでしまっていたかのように思う。これは、利き手の不自由な保護司のために最初に茶を淹れたときに、考えたことだ。薬缶が沸騰するたびに、その動揺が少しずつ吹き出して、ぼくの神経を参らせる、という想像。
「女房の浮気をでっち上げる手伝いなら、しますよ」
「お前にそんなことさせるか」
 顔を上げた。熱い茶も苦手なので、目の前のティーカップは手つかずのままでいる。彼の頬杖もそのままで、表情には何のてらいもない。目が合うと、ほんの少しの隙間を空けてから、にこりとする。そういう表情には馴染みがない。ぼくはもう随分と長い間、笑ったことがないように思う。毎朝見る鏡の中で、ぼくは無垢な表情をしている。四歳の子供の表情だ。両親の死体が天井からぶら下がっているのを見た瞬間の顔だ。もう二十代の半ばも過ぎようとしているのに、よくよくひどく若く見られるのは、この顔のせいかも知れない。そういえば、初めに顔を合わせたとき、彼は馴れ馴れしくも、バーニー、と呼びかけて来た。未成年に見られたのだと思って、訂正した。ぼくはそんな風に呼ばれる歳ではありません。それから、辛辣な言葉をかけた。
 あなたみたいな指導役が施設にも居ました。ぼくが出て行くより前にどこかへ行ってしまいましたが。行き先?知りません。天国だといいんですけどね。作業場で農薬を飲んだんです。あなたより若かった。気の毒に。
 それからひとしきり、なぜ故郷の町に戻ろうとしなかったのかを話した。
ぼくが殺したのは、地元の名士でしたから。ひどい田舎町ですよ。両親は自殺に追い込まれましたが、直接何をされたということはない。戻った所で、冷たくでも迎えてもらえるのなら、それは奇跡でしょう。皆、ぼくが死ねばいいと思っている。昔からそうでした。ぼくらが皆死ねばいいと、彼らはいつも思っていたのですから。
「ああそうだ」
 彼は紅茶のカップから口を離す間も惜しいように、言う。
「親友が、グリーン・アベニューの端にスパニッシュ・バルを開いたんだ。良かったら飲みに行かないか」
 ぼくは肩を竦める。
作品名:火と水 作家名:Julusmole