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火と水

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「せっかくですけど、あまり人の居るところには、行きたくないんです。落ち着かない」
 彼はこういう誘いに飽きない。返事が同じだと知っているくせに、飽きもせず、どこそこのハンバーガーショップが、ダイナーが、と誘う。あまりに飽きないので、むげに断ってそれきりにするのも、こちらが飽きそうになって来ていた。そこで、こう返した。
「何ていう、お店なんですか?」
「シンプルなもんさ。『バル・ロペス』、自分の名前を付けただけなんだが、これが様になっててな」
 目を輝かせて答える様子に、ただ頷いた。
「保護司として、元模範囚に酒を勧めますか?」
「友達として、飲みに誘いたいんだよ」
 紅茶に目を落とした。そろそろ温んでいるだろうか。
「ぼくはあなたの友人じゃありません」

 明くる夕方に、グリーン・アベニューを通りかかった。そこは、ささやかな給料を約束してくれる職場であるところの古書店が面している通りであり、また町の誰もが一日に一度は通る、小さなメインストリートだった。あまり視力が良いとは言えないぼくの目にも、その派手な看板の電飾は鮮やかだった。店先に大きなウイスキー樽が置かれていて、それをテーブル代わりに、二三人の男が立ち飲みをしていた。開店したばかりのスペイン風酒場は繁盛している様子だった。ぼくは近づくまいと思い、にも関わらず、思わず足を止めた。店の戸口からふらふらと、自分の担当保護司が出て来るのを見たからだった。俄に興味がわき起こり、ぼくにとってはあまりに大きな感情の波となって押し寄せ、吐き気を堪えるように口を手で覆った。彼の姿が、ぼくらの住む貧乏長屋のある住宅街の方へと通りを曲がって消えるのを待って、息を整えた。そうして、ゆっくりと酒場へと足を進めた。

 カウンターにコインを置き、ワインを注文した。適当な赤を、と言うと、ワインについての講釈など垂れたことも今後垂れることも一切なさそうな、大柄な男が、似つかわしくないほどこなれた仕草でグラスを出してくれた。この男のことは少しなら知っている。あの保護司の親しい友人で、ここで店を開くまで、別の場所で自動車の小さな修理工場を経営していた。男の方も、ぼくを知っている。一度だけ、誘いに乗って保護司と食事に出掛けた際に店で鉢合わせ、保護司はぼくを『いま預かっている坊や』だと紹介した。少なからず困惑する出来事だった。ぼくは出来る限り新しい関係を作るのを避けたかった。特に、知人、というひどくあやふやな関係には、まず、縁がなかった。最初に両親があり、仇があり、それ以外のものが存在しない時間を長く過ごしたあとに、刑務所の同房者というものを知り、顔見知りの看守がいて、けれどもそれきりだった。このスペイン系の大男に顔と身分とを知られて、街中で擦れ違うときに挨拶する仲になるというのは、想像を絶していた。今もって、自分の知人としての振る舞いが正しいものなのかどうか、自信がない。酒場のカウンター越しのやり取りなど、映画の真似をするばかりだ。
「おい、珍しいな」
 覚束ない仕草でカウンターに着くと、大男は愛想良く声を掛けて来た。ええ、とだけ返事をしてワインを一口飲み込んだ。ひどい渋みだけが舌を痺れさせた。匂いも味もしない。不味いわけではない。感じ取れないだけだと分かった。恐ろしく緊張しているせいで。
「さっきまで虎徹がいたのに」
「知ってます、出て行くのを見ました」
「なんだ。上手くいってないのか?」
 気味の悪い言い回しだと思ったが、口には出さなかった。
「いえ。先日、いっしょに来ようと誘われたのに断ってしまったので、気まずくて」
「なんだ水臭え」
「苦手なんですよ。ひとといっしょに飲んだり、食事をしたりするのが」
 大男は、ふん、と鼻を鳴らした。
「話しかけない方がいいか?」
「できれば」
「おれはてっきり、何かあいつの秘密でも聞き出そうとしに来たのかと思ったぜ」
 手の中で行儀悪くグラスの足を回した。くるくると何度も。そしてふと思った。保護司に対して、保護観察中の自分には、何ら秘密がない。このグラスのように、ぼくの人生は彼の手の中に丸く収まっている。くるくると回るグラスの中で赤い液体が不規則な波を作りながら、また回る。グラスの中のワインのように、ぼくの人生は彼の手の中で不自由に回っている。
「あの人に何か秘密なんてあるんですか。秘密が守れる人間には見えない」
「仮にも元警官がそんな訳ないだろ」
「そういえば、そうでした。怪我をして退職したんですよね。まだ働き盛りなのに」
「怪我なんて、大したことじゃない」
 ぼくは目を上げて、大男の顔を真正面から見た。彼は小さく首を振りながら、新しいトマトジュースのビンを開けようとしていた。
「人殺しに耐えられなくなったんだよ」

 また湯を沸かしてくれと頼まれた。ひとの嫌がることをそう何度も頼まないで下さい、と返す。返しながらも薬缶に水を汲む。
「あなたは、ぼくがどれほど、煮立った湯が苦手なのか分かっていない」
 そう言いながらガス台に火を入れる。深呼吸が必要だ。あるいは息を止めるか。
「これをひっくり返すんじゃないかって、心配で、項の毛が逆立つくらいなんです」
「だけど、ほれ、おれの手はこの通りだし」
「あなた、どこでそんな怪我したんですか?」
 ぼくは振り向かずに燃えるガスの青い炎を見詰めている。燃え上がる木のイメージ。火は橙色に輝いていた。いつの火事の思い出だろう。いや、火事ではない。薪ストーブの炎だ。薬缶を沸かしていた薪ストーブの横で、ぼくは両親を自殺に追いやった男に胸にナイフを突き立てた。何度も何度も。血のぬるつきでナイフの柄を握っていられなくなるまで。
「この町は、そんなに物騒だったんですか。銀行強盗を何人も撃ち殺さなければならないくらい?」
 素っ気ない溜息が聞こえた。
「物騒な都会で仕事をしてたんだ」
「成る程」
 ひゅんひゅんと薬缶が音を立て始めるまで、じっと黙っていた。彼も、話しかけては来なかった。
 火を止めて、薬缶を持ち上げた。用意していたティーポットに注ぎ口を向ける。ふと、薬缶を傾けようとしていた手を止めて、注ぎ口をそっと手前へ向けてみた。自分の足の上へと。度を超した緊張が、不快感を通り越して、興奮に変わるのが分かった。冷静になろうと努めた。深呼吸でもして、またティーポットの方へ、薬缶を戻そうとした。だができなかった。ぞっとするほど強い誘惑が、足に熱湯をかけたいという異常な欲求が、頭の中で風船のように膨れ上がって行くのを感じた。
「虎徹さん」
 悪いんですが、助けてもらえませんか。そう言おうとしたとき、手から薬缶が離れて、落ちた。

 バスタブの縁に座って、シャワーで冷水を足にかけられながら、何度も、自分でできます、と言った。彼は平謝りするばかりで、いっこうにシャワーヘッドを手放そうとしなかった。
「いいんです。すっきりしました。いつかこういうことをするんじゃないかって、怖かったもので」
「お前、きれいな足してるのになあ」
「ひとの話、聞いてるんですか。さっきから」
 ため息をつき、足をばたつかせて、わざと水飛沫を上げた。おい、と声を上げて彼は顔を拭った。
「農薬を飲んで死んだ指導役の話、覚えてますか」
作品名:火と水 作家名:Julusmole