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黎明録/if

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黎明録/if

 会津が占拠していた白河城が新政府軍に奪われ、奪還のため、幾度目かの戦いの際、新選組に紛れ込んでいた龍之介は退却時につまずき、運悪く斎藤一に顔を見られてしまった。驚き戸惑う斎藤をそのまま振り切るようにして龍之介はその場から逃げ出した。
それ以降、彼らと行動をともにする事ができなくなり、距離を置いて、彼らの動向を探ることになる。
 夢の中で芹沢と再会したことを発端に、惑うばかりの日々を払拭するため、危険な戦場にとどまっている。新選組の行く末を見届けることが、今の彼の生きる理由となっていた。
離れてみると、存在の大きさを思い知らされる。毎日のように、嫌だ嫌だと思い続け、好んで新選組の傍にいたわけではなかったはずが、もはや、自分の一部になっているかのかと思うと、妙に可笑しくもなった。
 新選組の後を追い、母成峠へ向かうと、相変わらずどこもかしこも戦場で、大砲の砲撃音と、銃声がひっきりなしに響き、轟いている。少しはなれた場所にいる自分ですら、命の危機を覚えるというのに、その直中で戦う新選組は無謀としか思えない。この戦いで、また多くの隊士を失うことになるだろう…。
 しかし、今の龍之介は彼らの心配ばかりはしていられない。まずは自分がこの場を無事切り抜けることを優先すべきだ。
 母成峠、ここをひとりで抜け出すのは困難に思われたが、進まないわけにはいかなかった。茂みに身を潜めて、隙を見てくぐり抜ける機会を伺う。先ほど新政府軍の兵隊からかすめ取った銃を握り、息を殺す。
 しかし、そううまく事は運ばず、足下の石が崩れ、音を立てて転がった。
途端、心臓が跳ね、緊張が走る。
「……何だ…?そこに、誰かいるのか…?」
 新政府軍の兵士がはっとしたように、こちらに銃口を向けた。
 龍之介も必死だが、兵士も同じだ。油断すれば、時と場所を選ばず、命を落とすのだから。
「…いるんだろう?さっさと出て来い。撃ち殺されたいのか」
 命じるように龍之介のいる茂みに投げかけた。
 こなっては、見つかるのは時間の問題。引きずり出され、射殺される前に、自ら仕掛けた方がいい。奇襲に驚けば、あるいは龍之介に勝機が向くかもしれない。
 決死の思いで、左手を刀にかけ、そして。
「うわぁぁぁぁーーー!!」
 叫び声と共に、茂みから飛び出し、銃を持つ兵士へと向かっていく。
 兵士は驚き、はずみで発砲したものの、狙いが定まっていないそれは龍之介に被弾することなく、何処かへ消える。
 そのまま龍之介は怯むことなく、その兵士へと切りかかった。だが寸で、何か固い衝撃を受けて、刀を落としてしまう。まだ使い慣れていない左手は、本来利き手であったはずの右手ほどの力を有していない。
 慌てて拾い上げようと、身を屈ませ、地面に転がった刀に手を伸ばすと、それより早く、刀身を踏みつけられた。相手は龍之介ほど焦る様子もない足取りでそれを済ますと、声を発する。
「……やめておけ。無駄な抵抗はするな」
 この場には不釣り合いなほど、静かで悠然とし、そしてどこか物憂い言い回しで彼を見下ろしている男へ、ゆっくりと顔を上げる。
「…この者は、幕兵ではないようだ。それどころか、刀もまともに扱えぬように見受けられる。射殺するほどの値打ちもない。…弾の無駄遣いだぞ」
 冷静な口調で、彼の傍に控えている兵士たちに告げる、この男に龍之介は微かに見覚えがあった。
 どこか浮世離れした雰囲気と、それとは裏腹に、向き合うものに油断を許さない、鋭利で冷ややかな気配と眼差し。そして、無表情ながら繊細な容姿を持つ、この色素の薄い男を。
記憶を巡らせ、彼を思い出そうとする龍之介に、芹沢の顔が浮かぶ。
 ああ、そうだ。『あの時』の男。
 …こいつは、確か、島原で芹沢さんに”先は長くない”と言った浪士だ。
 誰もが気圧される芹沢に対し、一切怯む姿勢を見せず、余裕に満ちた物言いで去っていたあの男がここにいる…。名前は知らないが、この男もまた、芹沢とは種類こそ違えども、ある種の風格を身につけているように思えた。
 どうやら彼の方は、龍之介をまるで覚えていないようだったが。
 龍之介の視線に気を留めることもない彼。傍にいた兵士が戸惑う声をあげた。
「…幕兵ではない、だと…?ならば、どうしてこんなところにいるんだ?」
 怪訝な顔をする兵士。
 …無理もない。幕兵でもなく、新政府軍の兵士でもない龍之介が戦場に紛れていることなど理解しがたいに決まっている。もし、いるとしたら、ただの物好きか、馬鹿かのどちらかだ。
おそらく、俺はそのどちらともかもしれないが。
 そんな皮肉なことを考えていると、それまで黙っていた、この独特の雰囲気を持つ男が口を開く。
「…おそらく、貴様の本来の利き手は右だろう。なぜ、左手で刀を握っている?」
 はじめ、その問いには答えないつもりでいたが、「この場で切り殺されても文句は言えぬぞ」と冷ややかに告げられてしまうと、説明しないわけにはいかなかった。ここで、死んでしまうわけにはいかない。
「…昔つけられた傷のせいでな、右手はまともに動かないんだ」
 傷そのものを見せ、告げると、男はわずかに表情を動かし、怪訝に眉を寄せる。
「…刀が持てぬのに、何故ここへ来た?戦えぬ者が戦場に出てくればどうなるか、わからぬわけではあるまい」
「ああ、わかってる。自分でも馬鹿だって思うさ。だけど、しょうがないだろ。あいつらの行く末を見届けてくれって頼まれちまったんだから」
「あいつら、だと…?一体、誰のことを言っているのだ」
 これには、答えるべきか迷った。
 この男は身なりや雰囲気から、ただの一平卒ではないはず。
 何より、新政府軍に位置ということは、この男は薩摩か長州と繋がりのある者だろう。その男を前に、新選組の名前を出すことは、危険にも思えた。今や、新政府軍にとって、新選組は目の上のこぶと同じで、疎まれ、憎まれているのだから。
 しかし、彼がただちに龍之介の命を処さず、話に耳を傾けているということは、返答の如何によっては見逃すつもりがあるのかもしれない。この男の行動理念は、他の兵士とは違うようにも思え、意を決する。
「壬生浪士組だよ。今は新選組って呼んだ方が、通りがいいのかな」
 新選組の名前を出すと予想通りの緊張が走り、周囲の兵士たちはざわめく。
「…新選組だと…?!」
 互いに顔を見合わせ、龍之介を始末すべきかと思案しかかった彼らをその男が、手で制した。
「………待て」
 龍之介を見下ろし、彼は続ける。
「…新選組といったな。貴様、奴らと関わりがあるのか」
「……関わりってほどじゃないさ。ただ、浪士組ができた時、たまたまあいつらの近くにいたってだけの話だ」
 龍之介の返答に、彼は妙な表情を浮かべ、そしてしばらく黙った後、言った。
「…連中の終焉を見届けるつもりは、あるか?」
 不意に問われたそれに、龍之介が今度は妙な表情になる。眉を寄せ、不可解に黙る龍之介にさらに彼は言う。
「その腕で戦場をうろついても、無駄に命を落とすだけだ。連中の終焉を見届け、断末魔の叫びを聞く覚悟があるなら、俺と共に来い。…お前が見たいと思っているものを見せてやることが出来るかもしれぬ」
作品名:黎明録/if 作家名:なこ