黎明録/if
突然何を言いだすのかと龍之介は惚け、瞬きを繰り返して男を見返す。
何の意図があって、ほぼ初対面の彼に突飛な提案をするのか、龍之介にはわからない。しかし、彼の表情や声音は真剣で、龍之介をからかっている様子はない。それに、新選組の名前を出しても彼は他の兵士とは違い殺気立つことはなく、今でも平然としている。彼なりに思うところがあるように視線は注がれ…。
顔色こそかえはしなかったが、もしかしたら、彼も、新選組と浅からぬ仲なのだろうか……?
龍之介は表情を正す。
その関係性はわからないが、それでもいい。
彼の言葉は、龍之介にとって、まさに渡りに船だからだ。
「…わかった。見せてくれよ。新選組の、壬生浪士組の終焉とやらを」
大きく頷き、その提案に乗ることにした。
男は風間千景と名乗り、龍之介の居所を聞くと彼を見逃し、そのまま去っていった。
その風間千景から連絡が来たのは、あの出来事から九ヶ月も過ぎた頃だった。途中、その長い期間故に、龍之介への提案を忘れているのではないだろうかと焦り半分、疑う気持ちを抱いた龍之介だったが、彼は約束を違えず、連絡を寄越してくれたのだった。
蝦夷へ渡った新選組の足跡を辿るための渡航の手はずが整ったのだという。
出港の七月にあわせて龍之介は再び旅立ち、仙台に屋敷を借りているという風間千景の元へ向かった。
おおよその位置は連絡先に記してあったものの、如何せん仙台ははじめての土地である。大型船の発着場になっている港町近くらしいのだが、それらしい町にやってきても地理に疎く、要領を得ない。とりあえず、行き交う人にその屋敷のありそうな土地を尋ねてみるべきかと思案し、港近くを歩いていた時、龍之介は運良く彼を見つけた。邂逅したのは一度二度だが、その姿を見間違えることはない。
大型帆船を横目に、官軍の指揮官と覚しき男と話をしていた。それもわずか、すぐにその場を離れると、兵士たちをすり抜け、町へと足を向ける。
「……あっ」
追いかけなければと足早に歩を進め、港から町へと入る。
と、彼の傍を往来する人間たちは、千景を避けるように道を譲る。その顔には、言葉にならない警戒と、怯えのようなものを浮かべて。こういった港町にはよくいる気性の荒そうなごろつきでさえ、蛇蝎とでも遭遇したかのように、彼とは顔を合わせないようにして避けていく。
彼は、風間千景は異質な存在に見えた。
はじめて遭遇した時、龍之介も彼への異質感を抱いたが、しかし、戦場や花街ではなく町中にあると、それは顕著になっているように思えた。彼が無言で放っている一種独特な雰囲気の所為だろうか。
これといって何をしているわけではなく、ただ歩いているだけだが、往来する人間は感覚で千景の異質さを感じ取るようだ。
ああいう男は質の悪いヤツに絡まれることもねぇだろうな。絡んだ方がきっと哀れな目に合う気がする…。…俺も、あんな状況じゃなかったら、あいつに怯えたのかな…。
そんなことをぼんやりと考えていたが、見失っては意味が無いと我に返り、土を蹴って駆け出す。
「……おい…っ!…おい、あんた…!」
千景の背後に駆け寄りながら、その背に声をかけるも、相手は振り返らない。
焦れてそのまま追い越し、前へと回り込む。
「……おい、あんた…呼んでるんだから、無視するなよ…」
軽く息を弾ませて、千景の顔を見ると、ジロリと睨む眼差しに不快感を滲ませていた。
「……俺は”おい”でも、”あんた”でもないのでな」
彼自身、龍之介が突然現れても、驚いている様子はこれといってはないものの、表情は非常に不愉快そうではあった。
「…ああ、いや、すまなかった。なんて呼んでいいのかわからなくてさ」
素直に告げると、千景は龍之介を避けて再び歩き出すと言う。
「…風間様で構わぬぞ」
「………いや、風間って呼ばせてもらう」
このあたり、龍之介は相手の顔色を伺うことはしない。誰かにおもねることは苦手であるし、そもそも生来、世渡りが下手なのである。それに加え、長く芹沢の下で、おためごかしを言う新見を目にし、辟易して来ただけに、賢く立ち回ることがさらに下手になった。自分がそれをやるのかと思うと嫌悪感しかない。
ともすれば、相手を怒らせかねない返しだったが、千景は龍之介を一瞥し、あっさりと言った。
「…ふん…お前はどうやら世上を上手く渡れぬ男らしいな」
「……ああ、それは認める」
複雑に呟いた龍之介は、思い出したように尋ねる。
「そういえば、さっき官軍の指揮官っぽいやつと話してただろ。あの船に乗せてもえらえるのか?」
彼の問いかけに、千景はわずかな間を置いて答えた。
「いや、あれではない。この港の隣…ひとつ山を越えた場所にある港から出港する船に乗る。そちらならば、兵士ではなく、民間人も乗船可能らしいのでな。まぁ、先ほどの者の口利きだが」
「…へぇ。あんた、案外顔が利くのか」
「案外、とは一言多いが、俺は薩摩と繋がりがあってな…といっても、もう切れているも同然だが、時にはそのよしみで話が通ることもあるのだ」
「まあ、あんたが下級士官じゃないってのは、なんとなく見て取れてはいたけどさ」
龍之介が呟くと、千景は足を止め彼を見た。
「…お前は、武家の出か」
唐突な問いかけに、一瞬目を丸くしたものの、取り繕う気も、嘘をつく気にもなれず、嘆息混じりに頷いた。
「…ああ、俺がガキの頃はな。そんな身分ではあったけど、親父を亡くして、どうにも暮らしていけなくなっちまったから、御家人株を売ったんだ。母親は、それでも武家の自尊心が捨てられず、俺に立派な武士になれってそればっかりだった。だが、実際はそんなの無理な話だ。毎日、生きて食うのに精一杯で、俺が働かなきゃ生きてなんていけないのに、お袋は金切り声でそんな俺が恥ずかしいと責めるんだ。その恥ずかしい息子の稼ぎで食いつないでたくせにな。病であっさり死んじまったけど…あの女には、それでよかったのさ。武家の誇りとやらを抱えたままで逝けて。そんなこともあって、俺は武士にはならない、侍には関わらないと決めて里を出たんだがな…」
「……そのお前が、新選組とは…異なものよな」
嘲笑するでもなく言った千景に、龍之介は苦笑いを浮かべた。
「……ああ、何の因果か。俺もどうしてこんなことになってんのか、よくわからねぇよ。ただ、ある人と約束しちまったし、俺も突然新選組を飛び出すことになっちまったから……ケリをつけたいんだろうな…」
最後は独り言のようにして言いよどみ、口を閉ざす。そして、ふと今まで疑問に感じていたことを尋ねた。
「…なあ、なんであんたは俺を蝦夷まで連れて行ってやってもいいと思ったんだ…?」
不思議でならなかった。彼のような男が龍之介に関わったことに。
すると、千景は少々難儀な顔つきをする。表情の薄い彼にして、珍しいように思い見つめていると。
「…これといって自覚はなかったが、俺はどうやら、行く先々で”拾い物”をする質らしい」
「……はぁ?」
拾い物?
意味が分からず間抜けな声を上げたときだった。
「……風間さん……っ!」
ふたりの間に、涼やかな女性の声音が降った。