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予 感(※同人誌「春の湊」より)

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予 感


 軽く窓の縁を蹴り、池田屋の二階からひらりと飛び下りると、路地の影へと入った。
 池田屋の周囲に新選組の殺気を感じる。千景の実力から見れば大したことのない小物の気配だったが、その全部を相手にするのも面倒な話だ。
 気配を消して音もなく遠ざかりながら、先程飛び下りた窓の奥へと目をやり、そして視線を戻す。
 と、その時、影からひそめた声がする。
「…風間様、ご無事ですか」
 天霧だ。
 褐色の肌を持つ彼は夜になると闇に近づく。隠密行動には千景より適しているだろう。
「…人間ごときにやられる俺ではないぞ天霧」
 苛立ちを含んだ目を声のする方へ向ければ、月明かりがわずかに当たる狭い路地の中、天霧は現れた。
「ちっとも出て来ねぇから死んだかと思ったぜ」
 不愉快なことを言いながら不知火も姿を現す。
「少々遊んでやっていただけだ」
 彼らを通り過ぎながら、より池田屋から遠ざかるように足早に歩くと、その後ろを天霧と不知火が着いた。
「新選組ですが…思わぬ珍客でしたな」
 背後から話し掛けてくる天霧に千景は振り向きもせず鼻を鳴らす。
「ふん…噂に聞くほどの手練揃いでもない。使えそうなやつらは数える程度だ」
 先程相手をした沖田も少しは使えそうだったが、如何せん、人に過ぎない。
「…それより、面白いものを見つけたぞ」
 歩きながら千景はにやりを笑みを浮かべ、顎をしゃくった。
「面白いもの?なんだよ?」
 不知火が怪訝な声音で問いかける。
 千景は肩ごしに一度振り向き口を開いた。
「女鬼が、やつらの中にいた。男のなりをしていたが、間違いない」
 同胞は気配や感覚でわかる。ある種の嗅覚で同胞を嗅ぎ分けることができるのが鬼だ。まして、女鬼ならば男装していようともすぐに見抜ける。
「はぁ?なんであいつらの中に女鬼がいるんだよ?」
 半信半疑な不知火の声に千景はさして動じない。
「知らん。だが、我らにあの女鬼の事情など無関係だ」
 言い切る千景に天霧が呟いた。
「女鬼といっても…どの程度の血の濃さなのか…」
いぶかしむ天霧の言葉に、千景は足をとめて振り返った。
「…喜べ、天霧」
 千景は口元に笑みを浮かべた。
「は、喜べ、とは?」
 戸惑いを見せる天霧に彼は楽しい気持ちで漏す。
「…あの女鬼は、かなり血が濃い。察するに、俺に最も近い血統の女かもしれぬな…」
「純血だったと?」
「ああ。…だが、あの女は俺を鬼と勘付きもせぬようだったが…」
「そうですか」
 天霧は、この手の主人の言葉を疑わない。
 純血の鬼の血を持つ風間千景がそのように確信するということは、それ相応の『におい』がしたのだろう。濃い血を持つ女鬼は男鬼だけがわかる、甘い気配を放っている。その気配が強ければ強いだけ、男鬼を惹き付けることができるのだ。
 千景がそれを感じたのならば…その女鬼は同胞の中でも良血の一族かもしれない。
 しかし天霧は楽し気な千景の口元に、人の悪い笑みを見つけて内心嘆息を漏した。
「何かよくないことをお考えか?」
「…嫁を取れと口煩く俺に意見してきたのは誰だったか」
「…天霧じゃねぇの?」
 横から不知火が口を挟むと「まったくその通りだ」と千景が頷く。
 そこで、天霧は目を開く。
「ツガイの相手ではなく、…その女鬼を嫁にするとおっしゃるのですか?」
「純血ならば、俺の妻にしても問題はあるまい」
「…それは、そうですが」
 同意はするが、歯切れは悪い。すんなり受け入れられない何かを感じる。
だが、すでに千景は楽し気に先程から口元を緩めている。
 まるで、新しいおもちゃでも得たかのように。
「…天霧」
「は」
「あの女鬼について調べろ。どこの家の鬼かは知らぬが……思わぬところで思わぬ拾いものができそうだ。新選組も。もののついでに遊んでやれそうだしな。楽しくなりそうだ」
「………」
 ああ、やはり。
 退屈を嫌う、気紛れな主人に天霧はため息を漏す。
 たしかに、嫁を取れと何度も彼に意見はしてきた。しかし、好みにうるさいのか血統に細かいのか、単に捻くれているのか、こちらがお膳立てした相手はことごとく袖にし、未だ彼には決まった女鬼もおらず、子供もない。やっとその気になった相手が現れたのはいいが、それにしても厄介な場所で、厄介な時期に登場してきた女鬼に興味を示すとは…。
 どうしてこう、面倒を好む男なのか。頭が痛い。
「……わかりました。その女鬼についてすぐに調べましょう」
 唸りたい気持ちだったが、天霧は感情を表には出さず告げた。
「そうしてくれ」
 頷く千景に不知火が口笛を軽く吹く。
「あんたもやっと嫁もらう気になったか。よかったな、天霧」
「………」
 その言葉には素直に喜べず、ため息で答える彼を無視して千景が続ける。
「祝言には呼んでやるぞ、不知火」
「へいへい。精々その女鬼に愛想尽かされねぇようにな」
 不知火は苦笑いを浮かべて答える。
 しかしそんな彼の言動もきれいに無視して、千景は再び歩み始める。
 つまらない恩返しの上京だと思っていたが、案外楽しませてもらえそうではないか。
 足取りが軽くなる。
 こんな愉快な気分は久しぶりだ。



 後日、千景にもたらされた情報は彼をさらに楽しませるものだった。
「…そうか、あの女…雪村か」
 知らず知らず、千景は喉を鳴らして笑う。手にした盃にたたえている酒がその度に揺れた。
「はい。雪村は滅んだかと思われていましたが…」
 座を崩して脇息にもたれる千景とは対照的に天霧は正座をして彼と向かい合っていた。
「生きていたとは、興味深いことだ。…たしか、男鬼は南雲の養子になったと噂を聞いたことはあったが」
 盃の酒を煽って、瞳を細める。
「何者かが逃がしたのでしょうか」
「不戦の誓いを立てた以上、潔く死を選ぶにしても…幼子を道連れにするのはしのびないと思ったのやもしれぬが、その、男鬼の例もある……何者かが別の意図で逃亡に関与したのかもしれぬな」
 しかし養子になることはなく、どこぞの鬼の嫁に貰われることもなかったところを見ると、彼女を御輿にして再興でも目論んでいる者がいるのか。
「どんな目論みが背後にあるにせよ、奪えばよいだけのこと。どちらにせよ、これで本決まりだな」
「…嫁の件、ですか」
「お前が俺に確認する必要などなかろう。血統から見ても、子供を生ませるなら最適な女だ」
 東の雪村、西の風間。
 長く繋がりを絶っていた血が掛け合えば、強い子供がうまれることだろう。
「…それは、そう思いますが…」
 言い淀む天霧に千景は眉を寄せる。少々不機嫌に。
「何が不満だ。お前の望み通り、嫁をもらってやろうというのに」
「…は。…その雪村の姫は、どうも鬼の自覚が足りぬようです。まるで自分を人と思って行動しているとしか思えぬのです」
「ふん……よいではないか」
 空になった盃を眺め、千景はどこか遠い眼差しで呟く。
「長として変に悟った女に、俺は興味がない。悟っているのは、俺だけでよかろう」
「……風間様」
 時々、彼は虚無感を身に纏わせる。それが、天霧を危うい気持ちにさせる。
「近々、我が妻を迎えに行くとしよう」
 誰の承諾も得る気のない声音で独り言のように告げると空になった盃を再び酒で満たす。