千姫の受難(※同人誌「春の湊」より)
そこへお茶をすすりながら、風間が言う。
「案ずるな、千鶴。やつはもうここへは来ぬ。家族共々、出ていくはず。いや、もうすでに他所へ越したかもしれぬな」
「?!そんなこと、ど、どうしてわかるんですか?!」
「知れたこと。…けして敵にまわしてはならぬ、猫より恐ろしい存在がこの世にあることをやつも悟っただろうからな……」
含みのあるいい様に、風間特有の傲慢な黒い微笑で、「こいつ、鼠相手に鬼の殺気使ったわね」とすぐに感付いたけど、千鶴ちゃんはそういう点には疎いからよくわからないと首をかしげているだけだった。
「…だが、俺は不本意だぞ。やつがいれば、またお前にしがみついてもらえただろうに。なぁ?我が妻よ」
「…な?!…」
にやりと笑う風間に千鶴ちゃんは目を見開いて口をぱくぱくさせながら、顔を赤くする。
「それはもう言わない約束です!」
「そうだったか…?」
「も、もう〜〜!どうしてこんな時だけ誤摩化すんですかぁ?!」
耳まで赤くして、風間の肩をぽかぽかとたたき、抗議している。
「………あのー…」
わたしはもはやふたりのやりとりについていけない。いわゆる、蚊帳の外。
何、この浮ついた空気。さっきまでの張りつめたものはどこへ行ったの?
何なの、このふたりの仲睦まじさ。
てっきり、風間が千鶴ちゃんを虐げているんだとばかり思っていたのに、これは……。
わたしがふたりと最後に会ったときとはまるで雰囲気が違うじゃないの。風間に対する怯えはどこへ行ってしまったの、千鶴ちゃん。風間も少し丸くなってるみたいだし…一体どんな心境の変化があったのかしら、ふたりの中で。
長く旅して、雑居して、情が芽生えて今現在は同棲状態。互いを理解するには充分な期間だったのだろうし、一緒に暮らせば、多少相手の色に染まるものでしょうけど。
今日のこの様子を見ると…まあ、なるほど。伊達に夫婦一歩手前の生活してないってわけね…。
今度は違う意味で居たたまれなさを感じ、はっとした。
そうか、先ほど感じた違和感は、これだったんだわ…!
ああ、そうか。そうだったのね!
このふたり、ごくごく自然にのろけてるんだわ!(見せつけられてるってわけね!)
ようやくすっきりしたと思った瞬間、わたしは虚しさと馬鹿らしさを感じてため息を漏らした。深く。
「天霧、あんたよくこの空気に耐えられるわね…」
「…まあ、仙台にいた頃も似たようなものでしたから…」
ぼそっと呟くと、天霧は慣れた口調で答える。
「え?そうなの…?わたし、なんだかとてもお腹いっぱいよ…。鬼の色恋は慣れてないから」
長の家柄の鬼が揃って、ここまで仲良く(?)していることは珍しい。夫婦の観念も薄く、淡白な男女の交わりしか持たないようにしているほとんどの鬼を思うと、このふたりは純血だけに怖いくらいに異端かもしれない。
千鶴ちゃんは鬼の自覚もなく育ったからわたしたちの常識は通用しない。わたし同様、長としての義務で縛られた風間もそんな彼女だからこそ気を許しているんだろうし、欲しいと思ったのかもしれないわね…。
なんだか…うらやましいかも…。
まだ不毛な言い合いをしてるふたりを見やり、我ながら浮かんだ感慨に、苦笑いを漏らしてしまった。
※
その夜、千鶴ちゃんの手料理をいただき、いろいろお話した後、わたしと天霧は彼女の診療所を出た。
「風間との婚礼祝いはちゃんと贈らせてもらうからね」と千鶴ちゃんに言うと、ぎょっとして「な、何言ってるの?!お千ちゃんったら!」とわかりやすく動揺していた。…言動は素直じゃないのにこういう反応はわかりやすいから、風間もついからかいたくなるのね(はっ、いやだ!風間の気持ちがわかっちゃった!)。
天霧は風間と何か話していたみたいだけど、たぶん、いつ風間が里に戻るのかを確かめていたのでしょうね(家老だし)。
千鶴ちゃんは途中まで一緒に出て、わたしたちが見えなくなるまで外で見送ってくれるつもりだったのだろうけど、風間は彼女の手を引いてさっさと連れ帰ってしまった。千鶴ちゃんは何度か振り返っていたけど…。
わたしはそれを見て、また苦笑いを浮かべたものだ。
天霧が手配した宿へ向かう間、わたしは天霧に向かって口を開く。
「…もう…やれやれね…ごく自然にいちゃいちゃしてるんですもの。たまったもんじゃなかったわ」
なんだかんだいいながら、千鶴ちゃんはせっせと風間に尽くしている。しかも無意識で。
「彼女からの手紙には愚痴が延々綴られていたから、てっきり風間が彼女を虐げていると思って心配して来てみたのに…なんて事ないのろけだったんじゃない。…なんだか、わたし、いい面の皮ね」
肩をすくめるわたしに、天霧は微苦笑した。
「ですが、雪村の姫はまったく自覚がないようで…」
「…そうなのよね…。知らぬは本人ばかりっていうか…まあ、まだはっきりと認めたくないんでしょうけど。過去の思い出が最悪すぎて」
「風間は桜の咲く頃に連れ帰ると言っていましたが、どうやって説得するのか」
「説得もなにも、うまいこと千鶴ちゃんに選択を迫って言いくるめるに決まってるわよ。風間だって、腐っても長なんだから」
「…。…姫、風間はあれでも私の主なのですが」
「………あ、ごめん…」
失言、と口を押さえたわたしに「まあ、ここに風間はおりませんから」と笑う。
「ああいうのを見ちゃうと、つがいじゃなくて、夫婦でもいいのかもって思うわね」
「触発されましたか」
天霧の言葉に曖昧に笑う。
「うーん?まあ、子供を残すことがわたしの務めだってことは頭ではわかってるけど、急かされると意地になっちゃうのよねぇ。…女の独り身は複雑だわ」
星がちらほら顔を出しはじめた空を見上げ、ある意味歴史的、そして運命的に結ばれる東と西の鬼たちのことを思う。
経緯から見て大恋愛というわけではないし、千鶴ちゃんは不本意な結果なのかもしれないけど、嫌いから始まる愛情の強さはきっと想像以上。ああ、心配して損した。
わたしはやれやれとばかりに呟く。
「…世間ではああいうのを言うのよねぇ、”喧嘩するほど仲がいい”って」
了
【後書きみたいなもの】
イチャイチャは第三者がいてこそ成立するものです(苦笑)。
作品名:千姫の受難(※同人誌「春の湊」より) 作家名:なこ