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IS  バニシング・トルーパー 009-010

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stage-9 星から落ちる影



クリス達の入学から一ヶ月以上が経ち、時は既に四月に入っていた。暖かい春風が吹く日本と比べて、今頃のチベット高原の気温はまだ低い。
 そんなやや肌寒いチベットの透明感あふれる青空の下で、果てなく続く草原と山に囲まれている道に、一台の車が走っていた。
 高速で疾走しているそのオフロード車の中には、ハンドルを握っている二十代男と、助手席に座っている若い女の二人だけだった。車載のCDプレイヤーから流れているロックのリズムに合わせて、嬉しそうな表情で男は指でハンドルを叩きながら車をさらに加速させ、女の方はただ静かにノートPCのキーボードを叩いていた。

 「いや~休日にそんな辺鄙な地までに出張と聞いた時は嫌がらせかと思ったが、国外旅行だと思えば中々美しい風景だな」
 先に会話を始めたのは、運転している男の方だった。青く見えるその逆立ちの前髪と、腰まで届けそうな長い後ろ髪を組み合わせた髪型は少々個性すぎる気もするが、その男前の顔立ちと自信溢れた爽やかな笑顔で、十分美青年の部類に入れる。
 「もっとも、この澄み透った蒼空よりも、白く染まったな山よりも、そして見果てない緑の大地よりも――リンの方が遥かに美しいと、俺は思うがな」
 正気かと疑うほどの臭い口説き文句を臆面もなく口にしながら、男は白歯を光らせて、隣席に座っている女性に爽やかな笑顔と熱い視線を向けた。
 「前を見て運転しろ、イルム」
 自分を口説いている相手に見向きもせず、リンと呼ばれた女性は隣の男に注意した。男の情熱的な雰囲気と対照的に、女性の方はあくまで平常心を保っている様子。
 ショートシャギーなピンク髪、シャープな顎、そして長細い眉毛の下にある大きな瞳に宿る鋭い視線。やや眉を寄せて軽快にキーボードを叩いている彼女には、クールビューティーという単語こそ相応しいのだろう。
 
 「やれやれ。折角のデートなのにつれない事を言わないでくれよ。リン」
リンに相手をして貰えず、イルムと呼ばれた男は肩を竦めて、視線を前方に戻す。
 「デートではない。これはれきっとした仕事だ」
 キーボードを叩きながら、リンは無表情のままイルムに返事をした。
 「どうしたのさ。まだこの間の事で怒っているのか? 何度も説明しただろう? あれはあの娘の方から俺に……」
 「関係ない。自惚れるな」
 「リンのことを誰よりも分かっている俺は誤魔化されないぞ。そうかそうか、まだヤキモチ焼いているのか。仕方ないな~リンは。よしっ、取り合えずその辺で車を泊めて、甘~いスキンシップタイムと洒落込もうか」
 リンがキーボードを叩く音が僅かに大きくなったことから確信を得たイルムは、にやけた顔をして調子に乗ってきた。しかしそんなイルムの言葉に対して、リンは凄く嫌そうな顔を見せた。
 「……旅行気分なら今すぐ帰れ」
 「俺が悪う御座いました」
 これ以上はただのヤブヘビだということを理解したイルムは、黙って運転することにした。

 イルムガルド・カザハラ、そしてリン・マオ。それが二人のフルネーム。 
 多くの国から中立な立場を取るハースタル機関には、独自の機密部門が存在していて、二人はそこに所属している。イングラムの指示で動き、裏工作を主な仕事をする彼らは今回、とあるものを調査するために、フランスの本社からチベット高原まで来ている。

 しばらく車を走らせると、前方に大きなキャンプとその側に並んでいるジープ数台が見えた。
 イルム達の車の音を聞こえたのか、キャンプの中から数名の男が出てきて、イルム達に手を振った。
 「着いたぜ、リン」
 男達に返すように手を振った後、イルムは自分の車をジープの横に泊めた。
 「ああ、分かっている」
 ノートPCを閉じたリンは後ろ席にあるコートを手に取って、イルムと一緒に車から降りた。

 「思ったより遅かったね。イルム、リン」
 車から降りたイルム達に最初に声をかけたのは、やや長い金髪を後ろに束ねている、メガネをかけた男だった。
 「ウィンか。遅れてすまない。こいつがまた空港でナンパしてたのでな」
 コートの袖を通しながら、リンはイルムの方を一瞥して、自分達を出迎の男に返事をした。
 「誤解だって」
 「あはは……変らないね、君たち」
 イルムとリンの軽い口喧嘩を見て、ウィンと呼ばれた男は笑声を漏らした。
 二人の恋人関係は周囲公知の事だが、よく知らない人なら、イルムが一方的にリンに付き纏っているようにしか見えない。
 もっとも、そういう風に見える大体の理由は、イルムの絶えない女絡みのトラブルでリンを怒らせているからである。

 「早速だが、仕事の話をさせてもらうぞ」
 他の人を各自の持ち場に戻らせた後、ウィンはイルム達をキャンプの中へ案内した。
 「知っての通り。今回の仕事は、先日でここに墜落した隕石の調査だ」
 三人はテーブルの周りにあるパイプ椅子に座った後、ウィンは脇に挟んでいたクリップボードをリンに渡して、状況報告を始めた。
 それを受け取ったリンはすぐその上に挟んでいる書類を読み始めた。
 「墜落したのは二日前の夜。ここは見ての通り人気ないから、目撃者も居ない。捜査するには骨が折れたよ」
 「そんな状況で、よく発見できたな」
 イルムが意外そうな顔をしているのも無理は無い。話を聞く限り、捜査する手掛りが殆どないのに、ウィン達は短時間で隕石の位置を突き止めた。
 「まあ、イングラム社長からかなり具体的な情報が渡されたのでな」
 「うちの社長様のどこまで万能だよ。まったく」
 気に入らないって顔をして、イルムは背を椅子に預けた。そしてイルムの言葉を聞いたウィンも苦笑した。

 「それで、処理班の私達を呼んだってことは……“当り”ってことか?」
 資料を読み終わったリンは、クリップボードをテーブルに置いて、低い声でウィンに問いた。
 「……多分な。正直初めてだから、俺も判断に困っている」
 そう言って、ウィンは難儀そうな顔して両手を挙げた。
 「標的はここから二キロメートル先にある小さなの谷の底にある。一応監視はしているが、それ以上は流石に俺たちだけじゃリスクが高すぎる」
 「そこで私の出番か」
 そう言って、リンは自分の首に飾ってあるチョーカーをそっと触れた。その仕草を見たウィンは、僅かに微笑んだ。
 「その通り」

 「しかし、ウィンはなぜ“当り”だと思ったんだ?」
 リンが読み終わった資料を手に取ってめくりながら、イルムはウィンに質問した。
 「……不自然な点が幾つかあったからな」
 「不自然?」
 「ああ。まず判明したのは、あの隕石になんらかのステルス特性があって、電磁波などの類を吸収できることだ」
 「お前達はよく気付いたな」
 「持ってきた簡単機材を使って試しにスキャンしてみたが、何も出てこないからな。まあ、ISのハイパーセンサーの場合は違うかもしれんが」
 「なるほど」
 「次に、あの隕石はそれなりに大きいから、地面に衝突したらかなりの痕跡が残っているはずだが……上から見た限り、そんな痕跡はまったくない」
 イルムの質問に答えた後、ウィンは話を続ける。
 「……それは確かに変だな」