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IS  バニシングトルーパー 041

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stage-41 Dancing Blue 後編





 「うむ、ボートを漕ぐのが意外と上手かったではないか。それでこそ私の嫁だ」
 「何言ってんだ。オールをテンポ良く動かしてればいいだけじゃねえか」

 騒がしい海岸から少し離れた沖合いにゴムボート一艘が浮んでいた。そのボートの上に、二つの人影が見えた。
 ボートを借りて沖合いに出て、この二人っきりの時間を満喫しているラウラと愉快な嫁だった。
 嫁の足の間に座り、ラウラはその広い胸板に自分の背中を密着させる。
 耳に届いたのは、浮かぶボートの舳先に打ち寄せる、穏やかなさざなみの音と、どこどこと打ち鳴る隆聖の心臓の音だけ。
 ラウラは満足な笑顔をして、ゆっくりと目を瞑った。

 「おいラウラ。この体勢はちょっと動き辛いていうか全然動けねえけど?」
 「それくらい、夫のために我慢しろ。あと、頭のなでなでを所望する」
 「はぁ……はいはい」

 ささやかな抗議が無駄になり、隆聖はあきらめたように小さなため息をついて、片手でラウラの頭を優しくなで始めた。
 すると、ラウラは最高に気持ちいいという笑顔になった。

 日差しの熱さと違って、隆聖の手の温もりがラウラにとっては心地よりものだ。
 嫁といいお母様といい、どうして好きな人に撫でられると、こんなにも気持ちいいのだろう。
 これが幸福の味か。なんて恐ろしいものを教えてくれたんだ、嫁め。

 静かな海の上でボートが穏やかに揺れ、まるで無重力空間にいるみたいでふわふわな気分になる。
 リラックスした全身から力が段々抜けていき、眠気がラウラに襲い掛かり、波の音が遠くなっていく。
 ダメだ。せっかくの二人っきりの時間が、無駄になってしまう……
 意識が朦朧としてく中、ラウラはそんなことだけを考えていた。

 「ったく。子供みてえなやつだな」
 腕の中で静かに寝息を立て始めたラウラを見て、隆聖は家族サービスに疲れたお父さんみたいに苦笑いをした。
 普段から小さいと思っていたが、水着を着たラウラはさらに小さく感じる。
 結構痩せているのに、それでも温かくて柔らかい。
 しかし最初に出会った頃のあの冷酷少女が、こんな昼も夜もこっちを嫁呼ばわりしてべたべたしてくる甘えん坊になるとは、想像もつかなかったな。
 それだけ、人との触れ合いに餓えていたのだろう。
 まあ、それを彼女に教えたのはこっちだし、これくらいは別にかまわない。
 ロボアニメ鑑賞と超合金賞玩とゲーム以外の時間には、いくらでもしてやろう。
 でもあのクラリッサ大尉ってやつは、いつか倒す。

 「りゅう、せい……ここに、じつ、いんと……サインを……」
 早くにも、気持ち良さそうに寝ているラウラはブツブツと寝言を漏らし始めた。
 実印? サイン? 一体どういう夢を見ているんだ。
 わけが分からん。
 でも、ラウラのその無邪気な寝顔は何だか――

 「かわいい……か?」
 「今なんて言った?!」
 「うわあああ!!」
 独り言のつもりで漏らした隆聖の小さな呟きに、なぜか寝ているはずのラウラはいきなり反応して立ち上がり、丸くした目で嫁の顔を見る。
 だがその急な行動にゴムボートは激しく揺れ始め、立ち上がったラウラはすぐにバランスを崩した。
 そしてそのまま海へ落っこちそうになるラウラの体を、隆聖は慌てて捕まえて引き寄せた。

 「ほら、危ねえぞ!」
 「なっ! ききき、貴様! 夫の許可もなく勝手に抱き付くな!!」
 「うわっ! やめろ! 本当に危ねえから!!」
 いままでずっと、ラウラの方から一方的に隆聖にスキンシップを求めてきたが、隆聖の方から抱きついてきたのは初めてだ。
 赤らんだ顔して、照れ隠しにラウラは隆聖の腕の中で暴れまくる。隆聖はそれを押えようとするものの、ただの逆効果になり、ラウラはより激しく暴れ出す。
 そしてついにゴムボートは二人を乗せたまま、大きく横へ回転した。
 土台が回転すれば、その上に乗っていた二人は当然抗う術はない。激しい水しぶきをあげながら、二人の体は見事に海の中へ落っこちた。

 「ぷはっ!!」
 海面を顔を出すと、隆聖はすぐに口を開いて空気を求めながら裏返ったボートに捕まって、もう片方の手でラウラの手を力一杯に引き上げる。

 「けほっ、けほっ」
 「ほら、ボートに捕まってろ」
 ラウラの背中を押して、隆聖は彼女をボートにしがみ付かせた。
 そしてじっとしたまま、二人は呼吸を整えて体力を回復させる。 

 「それで、私が寝ている間に、お前は何て言った」
 なんとか落ち着いた後、ラウラはもう一度隆聖に質問した。

 「またそれかよ……ていうか寝てたんじゃねえのかよ」
 「私は軍人だ。重要な情報を聞き逃すわけにはいかないからな。さっさと白状しろ。何か重要なことを言ったはずだ」
 「……別に。何も言ってねえよ」
 寝顔が可愛いと言ったなんてラウラに言えるわけもなく、隆聖は恥かしそうに彼女から顔を逸らした。
 だがそれは、ラウラが次の行動を起こす原因となった。

 「何故目を逸らす! 貴様、夫に隠し事をするのは浮気の始まりだぞ!!」
 「なぜそうなっ……んぅ、んん!!」
 
 ラウラの言葉に反論しようと振り返ると、視界に映りこんだのは彼女の顔アップだった。
 一瞬にしてまた彼女に、唇を奪われてしまった。 

 同じボートに掴んでいる以上、逃げられることはない。
 空いている手を隆聖の肩に乗せ、ラウラは彼に体重を預けるようにキスを続行する。
 何を言ったかなど、もうどうでもいい。こうして彼と二度目のキスが出来たことで、胸の中は既に幸せで一杯だ。
 口の中一杯に広がった海水の味はやや気になるが。

 ――戦術的勝利です。お母様。あなたと同じ苗字を手に入れるという戦略目標へ、私はまた大きな一歩を邁進できましたぞ。
 心の中で作戦成果を報告しながら、ラウラは隆聖の肩を掴み、彼をさらに引き寄せたのだった。


 * 


 一方、賑やかな砂浜では、大きなパラソルの下で静かに読書に耽っている少女一人が居た。
 黒いセミロングのストレートヘアを潮風に靡かせ、端正で知性的な顔立ちが周囲に物静かな印象を与える。レトロな印象が強いその太い黒縁メガネを押し上げて、彼女は本のページを捲っていく。
 やがて目の疲れを感じ、少女は本を閉じて瞼の上から目を軽く押さえる。
 海に着てから、ずっと本を読んでいたな。
 クラスメイトにビーチバレーに誘われたが、疲れたと言って断った。
 本当は人付き合いが苦手なだけだった。
 容姿も成績も何にかも普通でしかなくて、根暗でネガティブな自分は何か特長があるわけでもなく、強い願望を抱いているわけでもない。そんな自分がみんなと一緒に居てもすぐに周囲の光に埋もれてしまって、結局は孤独の中に戻るだけ。

 「……ぼやいていても仕方がない、か」
 メガネをかけ直して、少女は再び目を開いて波打ち際へ視線を向けた。
 皆は笑っていて、楽しそうだな。

 「こんにちは」
 突如に横から男の子の、柔らかい声がした。
 そこへ目を向けると、こっちに優しく微笑みかけている銀髪の少年の姿を目に入った。
 その少年の名を、彼女は知っていた。