星空サンシャイン
セルティに友だちがまた増えた。首がないこと、首を探していることを知っている友だちだ。
仕事が少し減った。収入はむしろ少し増えた。効率的な仕事を新しい友人たちがまわしてくれるようになったためだ。その分、休日が増えた。仕事以外で外に行く機会も増えた。
「去年閉館したと思ったら、またすぐ開館か。世の中ってのはまったくもって多事多端だね」
彼女手製の、ブランチというにはボリューミーな麻婆豆腐(市販の具使用なので、それなりに美味しい)を食しながら、チャンネルをまわした。カニ玉と同じシリーズなので、予想可能な味である。
眉毛の太い女子大生が、ワックスで頭髪を固めまくった男と腕を組んで歩く映像を、『懐かしのプラネタリウム』として流した画面が変わる。あの髪型、今頃、薄毛の原因になっている可能性が高そうだ。
僕たちが住んでいるこのマンションの不動産価格は半分以下になったけど、転売目的ではなかったし、却って住民の多くが引き払ってしまって住み心地は良くなった。上の階も下の階も空き部屋だ。新婚夫婦(に限りなく近い僕たち)にとっては好都合だ。まあ、そうでなくても静雄がテーブルを壊したり、襖を壊したり、キッチンを壊したり、洗濯機を壊したりするので騒音によるご近所トラブルは少ないに越したことはない。
「まあ、条件のいい物件だから借り手はいなくもないんだよ。君んちのご近所」
いつか鎖骨骨折を治した治療代を請求した際に、包帯だらけの情報屋は、やりにくそうならがも肩ひじついて返してきた。口だけで『交換条件』と動かす。何だそれは、80年代のアイドルか。うざい。
「でも、首なしライダーが出勤時にゴミ出ししたりしているところが都市伝説で広まったら面白くないでしょ。だから、不動産屋にちょっとね?」
あの変人の父さん相手でも物件契約を結ぶ不動産屋のことだ。後ろめたい部分があるに決まっているけれど、敵に回すべきでない男に目を付けられた、このマンションの管理業者に、僕は心底同情した。道理でほとんど通報がなかったわけだ。反吐もたまには都合がよいことをしてくれる。
『プラネタリウムか』
「夏休みだからまだまだ混んでいるだろうね。人気が落ち着いたらデートに行こうよ」
『いや、今夜行かないか』
珍しい誘いに興奮して抱きついたら、三秒で蹴られた。前は一秒もなかったのに、大した進歩だと思う。
仕事がひと段落した後、セルティの作ったサイドカーに乗り込んだ。直接ライダースーツに抱きつくという方法もあって、その方が密着率は高いが、これはこれで彼女の身体の一部だ。包まれているって感じがして気分はよろしいことこの上ない。
『飛ばすぞ。捕まっておけ』
そんなのいつもの通り、と思ったら、自宅を出てすぐの交差点を曲がって、通行人数人に指を差された後、すぐに意外な方向にバイクは向いた。
バイクの先には何もなかった。正確に言えば、街がなかった。
ビルの側面はそのまま道になり。たくさんのガラス窓の間を、タイヤが這う。ビルも登れるのは知ってたけど、プラネタリウムまではちゃんとエレベーターが通っている。こんなやり方をしなくても……!
ああ、それともエレベーターの中さえも、二人以外の客がいるのが許せなかったのかい?それならそれで。
しかし、振動はかなりのもので三回舌を噛んだ。しばらくは、手料理も食べられそうもない。目が回ったのが、作ってもらったヘルメットのおかげで気付かれていないのが幸いである。
高層ビルの屋上は、このあたりで一番高く、街全体が見渡せた。駅ビルもはるか下、電器街もはるか下。
目的地のプラネタリウム施設はすぐ先にあったが、そちらの方にセルティは行こうとはしない。
『さて、上映しようかな』
「上映って……え?」
黒が屋上から伸びていった。
そのまま、池袋の街をその身が伸びていく。正確に言えば、彼女から伸びる影が。僕たちがいるこの高度200m超だけを残し、ヨドバシカメラのネオンサインも、東武西武の広告も。
下を歩く人たちからは、単に黒雲が急に現れたぐらいにしか思わないだろう。いや、それどころかこの人工灯に溢れた街では、ろくに夜空なんか見上げやしないに違いない。
バックライトで照らされた液晶画面が光る。
『昔、プラネタリウムに行きたがってたな』
「ああ、覚えててくれたんだね」
『代わりになるか? ヘリや鳥が引っ掛かってしまうかもしれないから、これ以上広げられないが。こないだの旅行は結局デートらしいデートにはならなかったし』
「代わりどころか……」
いつもよりずっとくっきり星座がわかる。この眼鏡ごしでのあまり良くない視力でも。
天の川て東京でも見られるものだということを初めて知った。四等星と同じ明るさと言われる大都会の空は、地面からの光の反射をなくすだけでも、これだけの星が隠れ場所から出てきてくれる。
輝かしい科学主義で消された、古の妖精たちと少し似ている状況かもしれない。
写真のフラッシュをたいたら彼女たちを撮影できないのと理屈は同じだ。
大三角形を頭の中で作りながら、次々と星座を見つけて、一等星の色まで確認して、その度にため息をついて。
そう言えば、セルティと初めて出会った船でも、娯楽設備はあまりなくて星を見ていた気がする。子どもに慣れてなくて、僕に触れるを怖がっていたのも、今となっては笑い話だ。
「セルティは好きな星座あるかい。俺のオススメは、こと座で、織姫伝説の星・一等星のベガが……」
『普段はほとんど見えないから、へびつかい座だな』
三番目に地球に近い恒星があったり、肉眼で見られる明るさが変化する不思議な星があったりする、蘊蓄好きには人気があるが、一番明るい星でも二等星ほどしかなく地味な星座だ。セルティ向きではないような?と考えて、ふとその星座の職業を思い出した。
嬉しすぎて抱きつこうとして、避けられて200m超から転落しかけたり、ロープなしバンジーをする羽目になったり、すんでのところで少年漫画の主人公のような恋人に助けられたり、それでやっぱり惚れなおしたりするところは、いいデートだったと思うので、俺の心の中の日記に機密事項並みの厳重さでもって、鍵をかけておくことにする。
Fin