温度
「また、後で」
帝人が手を振って、アパートに帰る姿を見送る。
土曜日から日曜日にかけて、帝人のアパートで一緒に宿題を片付けようと約束したのは金曜日の夕方。
一度家に帰ってから、泊りの荷物をまとめて帝人の家に向かいチャイムを押した。すでに聞きなれた軽めの音と、ドアに近づいてくる足早な音。
「結構、早かったね」
ちょっとびっくりされる。
帝人は俺の分も晩御飯を作ってくれていたらしく、今日はカレーにしたんだと笑いかけてくる。
あとは煮込むだけだからと、てきばきと仕度をする帝人の後ろ姿を眺めながら、なんだか顔が緩んでしまってどうしようもなかった。
きっとこの顔を見たら、こいつは呆れるだろうな。
なにその顔。
とか言われそうだ。
まあ、言われてもいいか。
「なにその顔。思い出し笑いするのって、スケベなんだって知ってる?」
……さすが帝人、想像していたよりも上をいっている。
「これでテーブル拭いて。あと、勉強は食べてからにしてもいいよね。もうちょっとだから、紀田くんは適当に遊んでて」
「はいはい。お代官様なんでもやりますだよ」
「うん、よろしく」
布巾を渡すと、帝人は料理の続きに戻る。
はいはい、下僕ですよ俺は。
って、勝手になってるだけか。
しばらく携帯でアプリゲームをしていると軽いハミングが聞こえてくる。
ちょっと高い音。その曲はこないだ俺が貸したアーティストのものだと気付く。
気に入ってくれたなら、他にも貸してみようか。
「おまたせ、出来たよ」
「ああ、さんきゅ。うまそうーっ」
カレー皿とスプーンを受け取る。
「いただきます」
「いっただきまーすっ」
ちゃんと手を合わせる帝人と、すでに食べ始めている俺。
まったくと呆れた声を出しつつも、どこか嬉しそうな顔をする相手に笑みを向ける。
「ごちそうさま」
「満足。ごちそうさま、帝人」
結局お代わりをして、食欲旺盛な所をみせると
「寝ないでよ」
なんて返された。
信用ないですね、正臣くんて。
後片付けをさっさと済ませて、二人で貰ってきたプリントと教科書を広げる。
高校に入って初めての中間テスト。
最初で躓くと、きっと後も躓いてしまうかもしれないと思って始めた勉強は今日で二回目だ。
得意不得意が微妙に被っていなかったので、こうやって足りない部分を補っているわけだが、詰め込まれた知識にも限界があるというわけで。
「なあ、ちょっと休憩しようぜ。もう考えるの限界」
「確かに。ちょっと疲れたかも」
帝人も同じことを思っていたのか、立ち上がると冷蔵庫から二人分のプリンを取り出してきた。
二個買うとお得だったんだと、にっこりと嬉しそうな顔をする。
甘いもの好きだったっけ。
これは帝人情報を更新しなければ。
「まあでも、あと少しだね」
スプーンでプリンをすくうのを眺めて、美味しそうだと口をあける。
ちゃんとあるだろと言いつつ、まだ食べてないそれを運んでくれるので、遠慮なく頂くことにした。
うん、帝人ってやっぱり面倒見がいい。
優しいというよりは、ついついやってしまうといった方が正しいだろう。
貰った方を開けて、今度は俺がプリンを口に運んでやる。
「なんか、恥ずかしいんだけど」
「なんで?」
「分かんないけど、なんか照れるんだよ」
「そう?」
知ってるよ。
帝人は唐突な行動に弱い。でも、それをすぐに受け入れるのも帝人だ。
なんていうんだろうな。
適応能力というか、開き直りというか。
まあ、そういう所が気に入ってる。
「紀田君て、いきなりだよね」
「ビックリ箱みたいで面白いだろ」
「絶対に開けたくない箱だね」
「嘘つくなよ。好きだろ、そういうの」
少しだけ驚いた顔をされたけど、すぐに「どっちでもない」と返されて、さっき俺がしたように口を開いてスプーンに乗ったプリンを口に含んだ。
そのしぐさに、仕掛けたのは自分なのにどきりとする。
なんか、エロいとか思う俺はバカですか。そうですか。
「なあ、もう一口食べる?」
「自分のをね」
「…ですよねー」
食べた後は、また集中して問題を解いていく。
終わったのは夜中の一時を回ったころだった。
「ありがとう、紀田君」
「こっちこそ。帝人って数学得意だから助かる。どうも公式に当てはめるのが苦手なんだよなぁ」
「僕も、文法が弱いから助かってるよ。……英語って難しいんだよね」
甘いものをとったとしても、それ以上に消費したらしい。
二人とも、さっさと寝てしまおうという結論をだして、一つの布団に入って身を寄せる。
もうちょっとしたら、客用の布団を送って貰うからと言われたけど、俺はこのままの方がいいんだけどな。
もっと帝人とくっついていたい。
「…おやすみ」
「おやすみ、帝人」
とろんとした声。
紀田君と言いたかったったんだろうけど、聴こえてきたのは小さな寝息だった。
規則正しいそれに、胸が微かに騒ぐ。
声。
しぐさ。
体温。
文字だと、いくら顔文字を使ってもどこか無機質になる。
だけど、こうやって傍にいて伝えられる言葉にはちゃんと温度があるんだって、改めて気付いてしまって……。
手を伸ばして、帝人の体を自分の腕の中に抱きこんだ。