死が二人を分かつまで -情炎-
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「ギル、ここで少し待っていてくれ」
「ん、分かった」
こくりと頷くとルートヴィッヒは俺の頭を撫でて店の中に入っていった。
ルートヴィッヒは色々なところに俺をつれていってくれる。今日も一緒に行かないかと訊いてくれたから、元気に返事をした訳である。時間が余ったりするとおやつとか食べさせてくれるんだよなー。
今日の狙いはこの前テレビで紹介されていたワッフルだ。店はこの辺りにある筈だし、何よりすっげえ美味しそうだった。この頃メイプルにハマっている俺としては行かないといけないと思う、とても。言ってみようかな、聞いた予定ではこの後に用事は特になかった…と思う。とすると言ってみるだけの価値はあるか。本当に美味しそうだった映像を思い返しながら、俺はぽすりと建物の壁に背中を預けた。そうして行き交う人々を観察する。
マフィアが牛耳る格好になっているとはいえ、ルカーニアだって普通の街だ。マフィアと何らかの繋がりを持っているにしても、堅気の連中っていうのはそれなりにいる。じゃないと店とかやっていけないしな。でも彼らがたまに獣人を連れているのは、やっぱり土地柄なんだろう。
ルカーニアじゃ獣人は多少値が張るってだけのペットだっていう認識が大半だ。他の街みたいに特別貴重って訳じゃなく、それこそ金さえ出せば手に入る。だから金持ち連中は飽きたり何たりすると、簡単に獣人を捨てるのだ。殺されないだけマシかもしれない。
そういう事情から、ルカーニアには所謂「野良」みたいなのが常に一定数存在する。堅気が飼っている獣人はほぼ、そういう野良だった奴らだ。
アントーニョも買われたんじゃなく、ロヴィーノに拾われたんだと言っていた。あいつの場合は生まれつき野良だったらしいけど。
そんなことをつらつらと考えながら人の流れを見つめる。人間も獣人も、俺なんかには目もくれなかった。その余所余所しさ、逆に言えば見えなかったように意識の外へ追い出せる俺の普通さに、何だか安堵する。変な目で見られるのに慣れていたせいか、視線に過剰に反応してしまうのが最近の俺の悩みだ。ルートヴィッヒの側にいれば怯える必要なんてないって、頭では分かってるつもりなんだけどな。
染み付いてしまった間隔はなかなか抜けない。記憶は脳裏に張り付いて消えることがない。嫌な感覚を思い出しかけてぞわりと背筋が震えた。それを何とか振り払い、俺は通りの向こう側に目を向ける。気分を変える為の何気ない行動だったそれは、とても興味を引くものを見付けるきっかけになった。
丁度向かいにあったのは綺麗に磨き上げられたショーウィンドウで、マネキンが服を着て立っている。その服が…何というか、ちょっと特殊な感じだったのだ。拘束衣みたいなカットソーとか、鋲が一杯ついたジャケットとか。ズボンとスカートが一体になったみたいなのもある。自分が着ている服とはかけ離れたデザインに、俺の好奇心はびしばし刺激された。
車が通らないのを見計らって道を渡って、近くで眺めてみる。おお、何か格好いいかも。ルートヴィッヒがくれる服に不満があるんじゃ決してないんだけど、こう、シンプル過ぎるんだよなぁ。こういう装飾があった方が面白いというか、貧相な体型をちょっとはカバーしてくれるんじゃないかとか。そういうことを考えてしまう。
「ギルベルト」
「、ふぁ…?!」
いきなり掛けられた声に俺はびくりと飛び上がってしまう。慌てて振り返るとそこにはルートヴィッヒがいた。
あーびっくりした。近付いてくるの、全然気付かなかったぜ。
お帰りと言おうとして、俺はルートヴィッヒが自分ではなく後ろを見ているのに気付く。俺の後ろ、というと、ショーウィンドウか。何でそんなとこ見てるんだろう。しかもそんな、顔で。
前者への答えはちょっと突飛な形で、だけど明確に与えられた。
「…欲しいのか」
「え、や、そういう訳じゃ」
「遠慮するなといつも言っているだろう」
そう言ったかと思うと、ルートヴィッヒは俺を半ば引き摺るようにして店の中に入ってしまう。ああああ何だってこいつはこう時たま人の話を聞かなくなるんだ。普段はすごくいい奴なのに。
頭を抱えるも最早遅い。小さくドアベルが鳴り、いらっしゃいませと声が掛かる。うう、興味なんて示すんじゃあなかった。そうしたらこんなことにはならなかったのに。慣れない状況に早くも俺は及び腰だ。
ルートヴィッヒと買い物に出たことは数あれど、こういうのは滅多にない。勝手分かんないしルートヴィッヒは強引だし、もう帰りたい。服よりワッフルの方がいい。遥かにいい。すんすん鼻を鳴らしていると、不意に声が耳に飛び込んできた。
「相変わらず趣味悪いなぁ、坊ちゃんは」
「煩ぇよ! ケチつける為についてきたんなら帰れ髭っ」
それは茶化す声とそれに返す声だった。仲の悪そうな、けれど確かな絆の上に成り立っている感じのするやり取り。どんな奴らがそんな会話をしているんだろう。気になってついそっちに歩いていってしまう。ひょこりと棚の向こうを覗いてみると、金髪の男が2人立っていた。
随分とタイプが違う。1人は棚に置いてある商品と同じ系統の服を着ていて、ちょっと刺々しい雰囲気を出している。もう1人は高級そうなスーツをラフに着崩していて、によによと形のいい唇に笑みを乗せている。状況から見ると、茶化したのがスーツの男でそれに返したのが刺々した男なんだろう。面白い組み合わせだ。
ぱたぱた尻尾を振ると、2対の目が俺を捉えた。碧い瞳がゆっくりと瞬かれ、翠の瞳がすっと細まる。
「あ? 何で犬がこんなとこにいんだよ」
「よく見なよ坊ちゃん、首輪つけてるじゃない。ご主人についてきたんでしょ」
「だとしても…ゴシュジンサマから離れてふらふらすんのは感心出来ねぇなぁ」
言いながら男が1歩踏み出してくる。ぞくりと肌が粟立った。理由なんて感じる間も考える間もなく、嫌な感覚が背筋を舐めていく。我知らず体が震えていた。自重を支えていられなくなる。
がくんとその場に座り込みそうになった時、厚い手に肩を掴まれた。思わず体が跳ねるが、背後に現れたのはルートヴィッヒだった。ほっと息を吐く。だがそう出来たのも束の間、俺は再び体を強張らせることになった。
「……アーサー、」
翠瞳の男──アーサーというらしい──が如何にも重たそうなジャケットの内に手を突っ込んでいた。ちらりと見えたのはホルスターと銀色の、銃。4、5メートル離れていても尚鮮烈に漂ってくる血と硝煙の臭いに眩暈がした。スーツの男はアーサーを制止しようとしている。
けど、よくよく観察してみればそいつも同じようなものだった。前にも感じたことがある感覚だ。どこでだろう、考えるとぼんやり過去が蘇ってくる。あぁ、そうだ、確かルートヴィッヒに初めて会った時に似たような。
そこまでで俺の回想は無理矢理に中断させられた。肩を掴むルートヴィッヒの指に、痛いくらいに力が入っている。視線だけを動かして見れば、そこには見知らない顔があった。ルートヴィッヒのものであるのに、まるでそうは見えない。いつもの表情からは想像も出来ないような、心の奥底から湧き上がってくる憤怒を並々と湛えた顔。
作品名:死が二人を分かつまで -情炎- 作家名:久住@ついった厨