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これもひとつのハッピーエンド

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足早に街角をすり抜ける。
 王都は広く、街の外はそれなりに遠い。まして大通りを避けて街を出ようとするならば、遠回りをする分時間がかかる。生まれた時から慣れ親しんだ街と言えど、いや、むしろ慣れ親しんだ街だからこそ、どのルートを通って出るか慎重に選ぶ必要があるのは分かっていた。何しろここはギルカタール、悪党の国だ。
 早く、一秒でも早く。ここを去らなければいけない。
 砂漠の夜は寒いはずなのに、背中を一筋、汗が流れた。

「プリンセス」

 突然、ロベルトが立ち止まった。

「……ロベルト?」

 怪訝に思って後ろを振り返れば、ロベルトは私に手を差し出している。にこにこと、さも機嫌が良さそうに笑いながら。

「何よ」

 意味が分からず、いつもの白い手袋に覆われたその手を凝視した。

「何って……手ですよ」
「そんなことは見れば分かるわよ」

 通りの喧噪に耳をやる。こんなところで油を売っている場合ではない。今は一刻を争う。

「だから、ほら」

 ロベルトは数歩先にいる私の隣まで歩いてきて、ずいっと手を差し出してきた。

「あのねぇ、ロベルト。急がないと追っ手が」
「分かってますよ。だから、早く手を貸して下さい」

 焦れたのか、ロベルトが手をわきわきさせて催促する。

「……何でよ。疲れたから手を引いてくれなんて言わないでよ?」

 この忙しい時に。

「そんな訳ないでしょう!」
「じゃあ何よ……ああ!」

 思いついて、手を叩く。分かった。理解した。そういうことか。

「分かってもらえました?」

 嬉しそうにロベルトが笑う。

「うん、分かった。気がつかなくて悪かったわ」

 逃げることに頭がいっぱいになっていて、同行者の弱みをすっかり失念していた。これはいけない。なるべく冷静でいるよう努めていたつもりだけど、まだまだ自分は甘いようだ。
 ひとつため息を吐く。

「あんた、暗闇苦手だもんね。怖いんでしょ? ごめんね。でも今緊急時だからもうちょっとだけ頑張って……」
「ちがーーーーーーーーう!!」

 ロベルトが大きい声で叫び、頭を抱えた。

「違います! そうじゃないです! 確かに俺は暗闇が嫌いですけど、こんな場面でそんな我が儘言うほどガキじゃないっす! あんたって本当に酷ぇ!」
「ちょっと! うるさいわよ、ロベルト!」

 今私達は追手から逃げている途中で、さっさとこの街から出ないといけないのだと、こいつは本当に分かっているのだろうか。
 大体、洞窟の中で毎回毎回あんなに怖くてひっついてきたくせに。あれは我が儘じゃなかったとでも言うのか。
 ロベルトは尚もぎゃーぎゃー喚いている。ああ、うるさい。

「はいはい、分かったわよ。ごめんごめん。もう、何でもいいけど、早く行くわよ。こんなところでいつまでも時間食ってる場合じゃないのよ。分かっているでしょう?もし見つかったら……」

 そう。追っ手に見つかったら。そのまま捕まってしまったら。

「あんたと、引き離される」

 そして両親(主に母親)の決めた男と結婚させられてしまう。ロベルトに至っては私を連れて逃げたことでどれだけの罪を負うことなるか。
 考えただけで身震いがした。嫌だ。最初から絶対に嫌だと思って今回の取引に望んだけれど、この二十五日間でそれはもう何があっても揺るがない気持ちとなってしまった。
 ロベルト以外の人と結婚なんて、できない。
 胡散臭くて、引きこもりで、スリル狂。悪どくこの国でのし上がってきた、私の目指す『普通』とはかけ離れた男。
 けれど、悪人のくせにピュアピュアのロマンチストで、少年のように瞳を輝かせたり、甘えてきたり。
 惹かれてしまったのだ。それは誤魔化しようもない事実。

「……離れたくない」

 ぽつりとそう口に出したら、ロベルトが道にひざまずいて私を下からのぞき込んだ。

「俺だって離れたくなんかありません。ていうか、離れるつもりも離すつもりも一切ないっす。どんなに手強い追っ手が来ようと絶対に捕まりません。それだけの手はずも整えてますし」
「それでも、捕まったら?」

 引き離される不安から、我ながら少々弱気な発言をすると、ロベルトが笑った。

「信用ねぇなー! ちょっとは頼りにして下さいよ」
「だって。不安要素はしっかり頭に入れておかないと、闇雲に動くだけはただの馬鹿のすることだわ」

 そうでしょう、とロベルトを見下ろす。

「あんたらしいっすね。……うーん、そうだな……」
 ロベルトは顎に指を当て、芝居がかったような仕草で少し考える様子を見せてから言った。

「まず、さっきも言ったようにそもそも捕まるつもりは一切ありません。どこへ逃げようとも手はずは完璧に整ってます。まぁ実際どこかの街に着いてみれば分かってもらえると思いますが。それから、まず捕まることはあり得ませんが、万が一捕まったとしたら」

 ロベルトが瞳を細めた。ギャンブルに興じている時に見せる、獲物を狙うようにギラリと光る、青い瞳。

「たとえ誰であろうとも、どれだけの追っ手が来ようとも、全員殺してもう一度あんたをさらいます。誰であろうと邪魔はさせない。」

 そう言って、嗤う。まるで本当にそうなっても構わないとでもいうような表情で。
 その顔を見て私は思う。『普通』じゃない。本当に私の目指す『普通』とはほど遠い。ため息が漏れる。けれどロベルトの瞳に、言葉に、私の背中をぞくりと這ったのは、確かに快感だった。
 これはまずい。いつの間にか多少なりともこの男に感化されてしまったようだ。決してこれが私の本質ではない。ロベルトのせいだ。そういうことにしておく。

「ま、物語みたいに 『あんたを殺して俺も死ぬ』 っていうのも有りっすけどね」

 よっ、とロベルトが立ち上がった。

「でも俺、バッドエンドは好きじゃないんで。物語はやっぱりハッピーエンドじゃなくちゃ。ていう訳で、俺は殺される前に殺して、何が何でもあんたを連れて逃げます」
「そうね、私もバッドエンドなんてごめんだわ。そんなの、逃げた意味がない。」

 同意すると、ロベルトは嬉しそうに笑った。

「俺たち、好みが合いますね。プリンセス」

 冗談めかして言ってるように聞こえるけれど、ロベルトの目がうっとりとしている。……このベタベタなロマンス小説好きな男と好みが合うと認識されるのはどうなのか。訂正した方がいいのか。少しの間、本気で考える。

「さて。じゃあハッピーエンドを迎える為に、そろそろ逃げましょうか」
 考えていた私に、ロベルトがにこにこと手を差し出した。
 だから、私は最初から早く逃げようと言っている。こいつに促される筋合いはない。

「誰のせいでこんなところで立ち止まってたと思ってるのよ」
「プリンセスが俺の手を取ってくれないからっすよ」
「だから、この手は何なのかって聞いてるでしょうが!」
「……まだ分からないんすか、プリンセス」