雪割草
「良いですね。やりましょう」
又兵衛は酒徳利を、平太郎は酒の肴を持っていた。
居間には早苗が一人、薄暗い中で不満げに座っていた。
特訓で疲れた身体を早く癒したかった彼女は、父と兄の姿を見るなり寝所に戻ろうと立ち上がった。
しかし二人に力ずくで止められ、再び座る羽目になった。
そして、眼の前には酒が注がれた器が一つ。
「格之進。遠慮はいらん、飲め」
「なぜですか?」
彼女はお酒を飲んだ事が無かった。
料理に使ったり、客に酌をするぐらいしか酒と触れあった経験が無い。
それ故、強いか弱いか家族はおろか本人も全く分からない。
そのことを又兵衛は気にしていたようだった。
男三人の酒宴の席の大義名分にそれを持ち出した。
大真面目に、早苗に語った。
「道中、御老公の相手もあるかもしれん。飲めるか、飲めないか確認が必要だ」
「そうですか?」
胡散臭い言い訳に早苗は顔をしかめたが、父と兄は一歩も引かなかった。
二人とも酒が大好きで強い。
しかし、ふくがいちいちうるさいのでめったに飲めない。
元娘に『仕事の為』といって酒を飲ませ、ついでに自分たちも飲むと言う狡賢い魂胆だった。
早苗は『仕事の為』と信じ、しぶしぶ、酒を一口口に含んだ。
「おっ。いけるか?」
父と兄二人の熱い眼差しの中、その酒をごくりと飲み込んだ。
その味と、喉越しに彼女の表情は明るくなった。
「…案外美味しいですね」
すると、眼の前の男二人は喜んだ。
「さすが、わしの息子! 平太郎。弟はいける口だぞ!」
「はい! 弟! 今夜は飲むぞ!」
酒盛りが始まった。
しかし、しばらくすると、強いはずの父も兄も怪しくなり始めた。
平太郎は、苦し紛れに手の皿の酒を飲み干すと、早苗に声を掛けた。
「…お前、まだ、平気なのか?」
早苗は笑顔で一人酒を飲んでいた。
彼女の周りには、空になった酒瓶が数本転がっていた。
「え? 兄上が飲めって言ったんですよ。これくらいなんの」
彼女は手酌で酒を注ぎ、美味そうに飲み干した。
顔が赤らんでいるが、意識ははっきりとしていた。
その文字通り男勝りな娘を見て、父は息子に呟いた。
「…平太郎、忘れておった。こいつ、ふくに似たに違いない」
「…母上ですか?」
平太郎は初めて耳にする言葉に驚いた。
又兵衛は、息子に語り始めた。
「あいつ、めったに飲まないが、わしより強い。昔な…」
寄って羅列が回らない父の話を、意識が怪しくなり始めた息子が聞く。
その傍で、元娘は酒を飲む。
とんでもない光景だった。
「…だから、早苗は、かなり強いということだ。うぇ…」
話し終わった又兵衛は早苗に負けた。
平太郎は、とうの昔に夢の中。
早苗は最後の一滴を飲み干した。
「父上、兄上、情けないですよ! ハッハッハッハ!」
次の朝、早苗は普段通りに起きて朝餉をとった。
しかし、その隣では父と兄が酷い二日酔いに悩まされていた。
食欲などなく、たくさん残してふくに叱られ、激しい頭痛に悶絶した。