雪割草
それ故、好きな筈の風呂に入るたびに眼につく男の裸に、早苗は疲れていた。
そんな彼女の労を労い、お銀は元気づけた。
「大変だったわね。でも今日からは安心して入れるわ。任せてちょうだい」
周囲が男ばかりの日々から、女が一人増える。
それが嬉しい早苗は、お銀に礼を述べた。
「ありがとう。でも、その代わりになにか必要な時は仕事手伝うからな」
しかし、お銀は笑って真面目に受け止めなかった。
「期待しておくわ。格さん」
なぜ彼女が笑うのか見当がつかない早苗だった。
「…何かおかしいか?」
すると、お銀は彼女をからかうように話し始めた。
「いいえ。ただね、面白いなって思ったの」
「なにが?」
「だって、元は女の子の早苗さんがこんな良い男になって。恋しい『助三郎さま』について来たのよ。普通の子は真似できないわ」
お銀の言葉は事実だった。
好きでたまらない助三郎が心配で、国で待ってなどいられなくて付いて来た。
こんな事、世間一般の武家の『お嬢様』ならば絶対にしない。
『やっぱり、女らしくない』
助三郎にバレたら、そうからかわれてお仕舞いだと彼女は悲観した。
その考えを知ってか知らずか、お銀が優しく言った。
「…大丈夫。絶対にバレないように助けてあげる」
「ありがとう…」
少しばかり二人で話してると、お銀が気配を察知した。
「…そろそろ戻ってくる。気を引き締めてね。格さん」
その言葉通り、助三郎が風呂から戻ってきた。
寝間着姿の彼は、手拭いを肩に掛けお銀に眼をやった。
「お銀、来てたのか? お疲れさん」
水戸を出て初めて会う彼女の労を労った。
彼はお銀に敬語は使わない。
早苗は知らなかったが、彼もまたお銀に一度脅されていた。
尤も、すぐにふざける癖のある彼は彼女の年齢の事で少し痛いめに合っていた。
怖いお銀も、普段は美しい忍。
「お疲れさま」
助三郎は濡れた手拭いを窓の桟に掛けると、早苗に声を掛けた。
「格さん、風呂開いたぞ。入ってこい」
「わかった。行ってくる」
早苗はそっとお銀に目配せして、風呂場に向かった。
早苗は安心しきって、女に戻り風呂に浸かった。
本来の姿で風呂に入るのは、やはり気持ちよさが違った。
ゆったりと穏やかな気分で風呂を楽しんでいる彼女のところへ、お銀がやって来た。
「どう気持ちいい?」
「はい。久しぶりにいいお風呂に入れました」
「良かったわね」
二人は仲良くおしゃべりし始めた。
「…男の人になってるのって、どんな感覚?」
「えっ?」
早苗は唐突にそう聞かれて戸惑った。
「だって、普通ならそんな事したくてもできないでしょ?」
「そうですけど…」
「で、どうなの?」
引かないお銀に、早苗は困惑した。
しかし、逃げる事は出来ない。無難な話で彼女を満足させようと試みた。
「…背が伸びて、視線が変わっておもしろいですよ。あと、力も強くなります」
「おもしろうそうね」
「はい。まぁ…」
これで話は終わり。一息つこうかと思った矢先、お銀は早苗に聞いた。
「でも、イヤなことも多いでしょう?」
興味津々といった顔だった。
その通り、イヤな事は山ほどあった。
「あの姿で厠や風呂に行くのがイヤです…。それと、女の子から変な目で見られて、キャーキャー叫ばれるのも気分が悪いんです…」
「…元が女の子だもの。見たくないわよね」
「はい…」
「でも、女の子はどうしようもないわね。諦めるのが肝心」
きっぱりと言い切ったお銀に、早苗は食いついた。
「何で諦めないとダメなんです? 」
「だって、格さん良い男だもの」
「…へ?」
再び聞く、『良い男』
納得がいまいち出来ない言葉だった。
早苗の反応にお銀は疑問を抱いた。
「…カッコいいって思わない? 鏡見て、見惚れない?」
「はい」
即答した彼女を笑い、お銀は言った。
「水戸に居る時、友達に連れて行かれなかった? カッコいい男の人見に行こうって」
「あ、あります。何回か!」
「その時の、お友達の反応は覚えてる?」
「えっと…。『こっち見た!』とか『笑った!』とか…。あ…」
早苗は、自身の行動を思い出した。
そして、悟った。
格之進の『男前』を完全に認めはしなかったが…
「…諦めるしかないですか?」
「そう。慣れちゃえば問題ないわ。それに、男の人に変なイヤらしい目で見られるよりは、いいでしょ?」
「そう言われてみれば…」
女として先輩の彼女に、色々教わり有意義な時間を過ごした早苗だった。
二人は十分に湯に浸かった後、風呂から上がった。
早苗は寝巻きに着替えると、格之進の姿に変わった。
眼の前で変身を目撃したお銀は感嘆の声をあげた。
「へえ、そんなに簡単にできるのねぇ」
お銀の視線に少し恥ずかしくなった早苗だったが、気を取り直しお銀に礼を述べた。
「今夜はありがとう。おかげでゆっくり風呂に入れた、明日からもたのむな」
そう言って、彼女はいつもしていたようにお銀に笑い掛けた。
すると、彼女はから一つの提案が出た。
「格さん、一つ良い事教えてあげる」
「へ? なにを?」
「女の子に、キャーキャー言われたくなかったら、むやみに笑顔を見せない事」
「…そんなこと?」
不思議な提案に、早苗はピンとこなかった。
首を傾げている間に、お銀は自分の部屋の方向へと足を向けていた。
「じゃあそういうことで、おやすみ格さん」
「おやすみ」
二人は別々の部屋へと向かった。