雪割草
〈02〉好機到来?
早苗は助三郎の前から逃げるように走り去ると、家の自分の部屋に閉じこもった。
少し行きすぎた強引な行動を反省する一方、自分の不甲斐無さ、無力さに沈んでいた。
『女』というだけで行動を制限される。その現状に納得が出来なかった。
しばらく後の日が沈むころ、父の又兵衛が深刻そうな面持ちで帰ってきた。
いつもは母が出迎えに行く。しかし、その母は台所に立っていて手が離せなかった。
代わりに早苗が一人で出迎えた。
「おかえりなさいませ」
「早苗か。ふくは?」
母を気にする父のために早苗は声を張り上げた。
「母上! 父上がお呼びです!」
すると身形を整えながら母のふくがやってきた。
名前の柔らかさと裏腹に、彼女はよく怒った。
この時も、早苗を叱責した。
「大声をあげるのではありません。みっともない。
それに、どうして父上の腰の物を受け取らないの? 教えたでしょう? この子はもう…」
小言が多い母にうんざりしながら、早苗はしぶしぶ父に向かって手を伸ばした。
「…父上。お腰の物を」
「すまんな」
又兵衛は刀を腰から抜くと、早苗に手渡した。
彼女の手に乗せたとたん、またも叱責が。
「こら! 素手で触らない! 何度言ったらわかるの!?」
手を着物の袖に入れるのを忘れ、普通に掴んでしまった早苗はハッとした。
父からはなにも言われなかったが、母の眼はつり上がっていた。
「…申し訳ありません」
素直に母に謝った。喧嘩をしても勝ち目は無い。
口うるさい母親に疲れた早苗が溜息をつこうとした途端、別の所から大きな溜息が漏れた。
それは又兵衛の物だった。
気付いたふくは心配そうに窺った。
「心配事ですか?」
「あぁ。…御老公様の供をする筈だった源四郎が怪我をして動けんようになった。代わりの者を急ぎ探さねばならん」
本当に不安げに話す父を見た早苗は、諦めかけていた事を再び考え始めた。
一方のふくは夫に同情した。
「…それは大変なこと」
又兵衛は妻に相談し始めた。
「…うちの平太郎はどうだ? 急で代役が見つからない。柔術は源四郎ほど得意ではないが、剣もそこそこできる」
早苗の兄、橋野家長男の平太郎を代理に立てようとひとまず考えた。
しかし、妻からすぐに否定された。
「無理です。平太郎は仕事があります。それに今は忙しいそうですから」
すると、又兵衛はうろたえた。
「他に心当たりは無いか? 一人者で出仕してて、何かしら得意な物を持った男…」
ふくは叱責を浴びせた。
「何を焦っているのです!? そのようなことは貴方の方が御存じなはず。しっかりしてください!」
怖い妻に、又兵衛は首をすくめた。
そんな哀れな父を見た早苗は、考えていたことを口にした。
「父上、やっぱり男でないといけませんか? わたしはダメですか?」
焦っていた又兵衛も、さすがにこの娘の発言には黙ってはいられなかった。
「…お前はまだそんなこと言っているのか? どうしてそこまでして供をしたい? 助三郎が行くからか?」
「はい。心配なので…」
「あれは強いから心配はいらん。それに、お前がついて行ったどころで何も変わらん。足手纏いになるだけだ」
許婚と同じようなことを並べる父に、早苗はがっかりした。
結局男は同じ考え。
そこで、他の説得方法を考えた。
「父上、他にも理由はあります。嫁ぐ前に世間を知っておきたいのです」
「どういうことだ?」
「話に聞いたり、書物で読んだことをただ知識として入れておくのはイヤです。
一度この目で確かめてみたい。このまま一生、国の外に出ないで過ごすのはつまらない…。だから…」
この発言を又兵衛は真面目に聞いていたが、ふくはすべて聞く前に怒った。
「早苗、それこそ物見遊山同然ですよ! いい加減になさい!」
そのふくに乗じて、又兵衛も早苗を窘めた。
「遊び半分でついて行ってみろ。女目当ての変な男が寄ってくる。助三郎がそれを追い払うのに手間が掛かる」
「自分の身は自分で守ります。護身術は大丈夫です」
柔術の腕に自負がある早苗は自信を持って言った。
しかし、ふくを説得することは出来なかった。
「だめです! 危険すぎます。母は許しません! 貴方、はっきりと言ってやってください。」
怖い女二人に囲まれた又兵衛は、おどおどし始めた。
「まぁ、お前の柔術の腕前はその辺の下手な男達より上手かもしれんが…。しかしな…」
はっきり言えない性格の彼は、結論を導き出せなかった。
そんな姿を見たふくは、呆れ顔で顔でその場から立ち去った。
「もう知りません!」
二人になった玄関では、又兵衛がボーっと暗がりを見て座っていた。
妻に怒られ、娘にしつこくせがまれ、仕事で窮地に追い込まれ、散々だった。
そんな彼を知ってか知らずか、早苗は当てつけのように愚痴った。
「…女ってだけで何の役にも立てない。
結局女は、政治の道具で子を産むからくり。…男だったらよかったのに」
彼女に又兵衛はぼそっと呟いた。
「まぁ、確かにお前を女にしておくのはもったいないと思ったことが何度かあるが…」
「男だったら…」
父娘は二人で溜息をついた。
すると、突然又兵衛の顔色が変わった。
眼に生気が戻り、いきなりち上がった。
「そうだ!」
又兵衛は何かを思いついた。
その隣では早苗もある考えをひねり出していた。
「そうだ! 男装すれば? 上手くやればばれないはず…」
「は? お前、そんなことできると思ってるのか? その形で?」
父のその反応に、早苗は驚いた。
「へ? どうしてですか?」
「その姿と声で男だなどと、どこの誰が信じる?」
「ダメですか? わたし、男っぽいからいいと思ったのに…」
普段から助三郎や兄に、『可愛げがない』『男みたいだ』と言われていた。
『可愛い』『綺麗』『女らしい』の言葉とは無縁だった。
「どこから見ても女だぞ…。いや、そんなことは後だ!」
「良い方法を思いついたんですか?」
「あぁ。お前の願いが叶う。わしの仕事の手間も省ける一石二鳥だ!」
嬉しそうに言う父に、早苗は期待した。
「それって…?」
「助三郎についていけばよい! そのかわり仕事はまじめにするのだぞ。いいな?」
とうとう許可が下りた。
早苗は飛び上らんばかりに喜び、早速旅の為の支度をはじめようとした。
「では、男装の準備をすればよいのですか?」
「まだそれを言うか? 意味の無いことは忘れろ」
父親の真意がわからない早苗は少し不安になった。
「…では、どうするんです?」
彼女とは逆に又兵衛は自信たっぷりの顔で娘に告げた。
「いいか、良く聞け。男の服装をし男の振りをするのではなく、男になるのだ!」
「…へ?」
意味が解らなかった早苗は固まった。
しかし、又兵衛は満足げな表情で一人で悦に入っていた。
「どうだ? すごいだろう? ということで早速来なさい」
仕事帰りの羽織袴姿のまま、又兵衛は庭へ出た。
その後を早苗は追い掛けた。