雪割草
「わかった。そうだ、出立はいつだ? 早めに手配せんといかんからな」
「父上。わたしは…」
早苗が口を挟んだが無視をされた。
「十日後が今のところの予定です。」
「ちょっと! なんで無視するの!?」
許婚にも放っておかれた早苗は、不満だった。
「わかった。後は任せておけ。…それと、佐々木家に挨拶にうかがわないとな」
「はい。お願い致します。」
如何にも不満な表情で座っていた早苗に、又兵衛がやっと声をかけた。
「早苗、助三郎が帰る。膨れてないで、見送れ」
「はい…」
早苗はしぶしぶ助三郎を玄関まで見送った。
草鞋を履き、玄関を出る直前、彼は早苗に言った。
「早苗、明後日いいか?」
「良いけど。」
ぶっきらぼうな口調に、助三郎は優しく声を掛けた。
「…そう膨れるな。お前の為だ」
「でも…。わたし…」
再び主張しようとした矢先、助三郎は逃げるように歩き始めた。
「でもは無しだ。じゃあな。またな」
二日後、早苗は助三郎と歩いていた。
彼女は今だ諦めてはいなかった。
「わたしもお供させて! ご老公さまにお願いして…」
助三郎は頑固で意志の強い彼女に少し疲れていた。
「まだ言ってるのか? ダメだと言ったろ?」
すると、彼女は噛みついてきた。
曖昧な返事では納得しない。
「どうして? 理由をはっきり言って! なんで、わたしが付いて行ったらダメなの?」
彼女の攻撃に、助三郎は溜息をついて何度目かになる理由を述べた。
「今度の旅は物見遊山じゃない。わかるだろ? 女のお前が付いて来たら、もしものとき足手まといになる」
「足手まといになんか、ならないもん!」
少し理不尽になり始めた彼女に、助三郎はイラッとした。
「お前なぁ。考えて物言ってるか?」
この発言に早苗は反撃した。
「考えてます! 助三郎さまみたいに適当なこと言わないから!」
カチンと来た助三郎は彼女に言い返した。
「言ったな!? 余計ダメだ!」
「なんでよ!?」
このままでは無益な口喧嘩になる。
そう考えた助三郎は少し頭を冷やし、ゆっくり早苗に説明した。
「たとえば、道中敵に襲われたらどうする?」
「ご老公さまをお守りする」
当たり前の答えに、助三郎は次の質問を投げかけた。
「お前もそうするのか?」
「当たり前でしょ? 柔術なら得意よ! 敵の一人や二人…」
自信ありげにそう言う彼女に助三郎は溜息をついた。
「確かに、並のやつ等よりは強いかも知れん…。だがな…」
「なによ?」
「お前は女だ」
「…だから?」
「力がなくて、『兄上を投げ飛ばせなかった!』 って悔しがってたの誰だ?」
「…あれは」
本当の話だった。
力さえあれば、男にも通用すると師匠である兄に言われていた。
勢いが弱まった彼女を見た助三郎は二人の言い合いを収めようとし始めた。
「な? 大人しく家で待っててくれ。」
「イヤ! ただ待ってるなんてイヤ!」
どこまででも頑固な彼女に助三郎は頭を抱えた。
「なぁ、本当に諦めてくれ。…俺はお前が心配なんだ」
疲労のあまり、普段言わないような事を言った助三郎だったが、
早苗は気付かなかった。
そして、主張を続けた。
「わたしだって助三郎さまが心配なの! 怪我するかもしれないし、風邪ひくかもしれないでしょ?
心配なの!」
「俺はそんなに弱くない。」
「そうかもしれないけど、残ってただ待つなんてイヤ!」
イヤイヤと駄々をこねる会話に、とうとう助三郎の堪忍袋の緒が切れた。
早苗に向かってとうとう声を荒げた。
「いい加減にするんだ!」
しまった、少しきつすぎた。
と彼が思った時すでに遅し。
早苗の眼には光るものが見えた。
「もう知らない! 助三郎さまのバカ!」
そう言うや否や早苗は身を翻し、駆け出して行った。
慌てた助三郎は彼女の後を追った。
「早苗! 悪かった。ちょっと待て! 早苗!」
しかし、その姿は見えなくなっていた。