千日紅
血がつながった本物の『姉』の出現に早苗は今までになく嬉しかった。
千鶴が美帆にくっついて一日中喜んでいるわけがわかった気がした。
「姉上!」
綺麗な姉に、早苗は飛び込んで行った。
「ちょっと、何しがみつくの!?やめなさい!」
柔術で取っ組みあった時に感じたゴツゴツは一切なく。
柔らかな身体だった。
怒られたがギュッと抱きつき、頼み込んだ。
「姉上。また変わってくださいね」
「ダメ。絶対に変われない様にしてもらうんだから」
「お願いします。姉上が欲しい!」
「わたしは姉じゃないの!優希枝で我慢しなさい」
「わたしも千鶴ちゃんみたいに姉上が二人欲しい!解毒剤なんか使わないで!」
しがみ付いたまま平太郎を放さず、本末転倒な話をしている娘に又兵衛はあきれた。
「おいおい、解毒剤の確認がそれじゃあ出来ないだろ?ふくを男に変えるわけにもいかないし。優希枝はもってのほかだ。腹の子に触る」
この言葉を聞いたふくは冷たく言い放った。
「貴方、私と優希枝を男などに変えたら離縁ですからね」
「……なんで?」
怖い怖いと言いながらも、今だに妻のふくに惚れている又兵衛は、『離縁』の言葉が怖くてたまらなかった。
『実家に帰る』という言葉も大嫌いだった。
「あたりまえでしょう?男だらけで気持ち悪い。大事な嫁と孫がおかしくなっても困る。とにかく、平太郎で型をつけてください。良いですね?」
「……わかっておる」
「ならよろしい。平太郎、出仕に送れますよ。格之進も」
そう言って去っていく妻を見送った後、又兵衛は残った娘たちに懇願した。
「……頼むから、あんな妻になるなよ、早苗、優希枝、美帆」
「はい」
二人は素直に返事をしたが、約一名猛烈に反発した。
「あたしは女じゃありません!」
「あぁ、そうだったそうだった。助三郎は早苗の旦那だ。…ん?待てよ」
突然何かを思いついた様子だった。
「どうしたのです?義父上?」
「いや、なんでもない。…そうか。そうすれば」
又兵衛は、何やら考え始め、どこかへ去って行った。
「早苗さん。辛いかもしれないけど、佐々木さまの代りにお仕事がんばってね」
「はい。姉上も、お身体を大切に」
「美帆ちゃん。またね」
解毒剤は貰えなかったが、二人は心配事が無くなり、すっきりした心持だった。
後は、助三郎が元に戻ってくれれば問題ない。
「姉上綺麗だったね」
うきうきした早苗は、隣の夫に同意を求めようとしたが、帰ってきた返事は違った。
「ううん。早苗の方がいい」
「……本当?」
「本当。早苗が一番」
じっと見つめられ、早苗は恥ずかしくなると同時にうれしくなった。
「ありがと。やっぱり助三郎さまが好き!じゃあ、わたしは仕事に行くね」
「がんばってね。あ、お弁当は?」
「後で届けて!じゃあ!」
その日の昼、助三郎は弁当を作り、早苗に届けた。
しかし、残念な結果になってしまった。
「悪い。今日半日だった」
手を合わせて謝る姿に、怒りは起こらなかったが、不満は少々残った。
「どうするの?このお弁当」
せっかく作った弁当を無駄にはしたくなかった。
「そうだな。ここで食べるか?」
「ここで?」
二人でああだこうだやっていると、職場から帰宅する同僚達が現れ、二人を冷やかして行った。
皆妻子持ちで、そこまで若くはない。早苗と助三郎をからかって面白がった。
「お、渥美。その子お前のなんなんだ?」
「え?いえ、その…」
「へぇ、女嫌いとか言ってたくせに。案外やるなぁ」
「そんなことは…」
「こいつモテるんで捕まえるなら今のうちですよ!」
「え?あ、はい…」
「あの子可愛いなぁ。俺も若かったらなぁ」
「お前、奥さんに怒られるぞ」
「ウソだウソ!」
一団が去った後、二人はとりあえず、職場から離れることに決めた。
「……一緒にどこかで食べよう。ここはいかん。御老公もいらっしゃるし」
光圀は未だに、美帆を傍に置こうと早苗に言い寄っていた。
そんなときに、助三郎が姿を見せたら何かされるに決まっている。
どうしても夫を守りたい早苗は、そそくさと職場を後にした。
二人づれで歩きはじめたが、二人とも美男美女で目立つ。
周囲に冷やかされ、変な噂が立ってもいけないので人目につかない道を選び、人気のない原っぱに到着した。
「ここなら、良いんじゃないか?」
「……ねぇ、格さんのまま?」
なぜか刀を腰から抜き、傍に置いた後も眼の前の格之進は早苗に戻らなかった。
「だって、美帆は俺に弁当作ってくれたんだ。姉貴が食べたらダメだろ?」
「そう?」
妙な屁理屈だと思ったが、深く考えず助三郎は手早く弁当を広げ始めた。
その最中、なぜかずっと自分を見つめている早苗にドキドキした。
「さぁ、食べよ」
「あぁ。ありがとな」
とは言ったものの、早苗はじっと助三郎を見つめたまま、箸を取ろうとしなかった。
「ねぇ、さっきから何見てるの?食べないの?」
「あーんしてくれ」
とんでもない妻の提案に助三郎は氷ついた。
「……なに言ってるの?」
「何時も俺が助三郎にやってたみたいにすればいい。いいだろ?せっかくなんだし」
「……」
助三郎は早苗にちょくちょくあーんしてもらって喜んでいた。
家族や、他人が見ている場ではできない楽しみ。
しかし、自分が格之進にやるのには気が引けた。
無理だ……
ずっと、こいつの顔見てられない。
こんなに、男前だったか?
なんで、こいつにこんなにドキドキする?
やっぱり、欲求不満か?
あぁ!!!
助三郎の葛藤をよそに、早苗は諦めてはいなかった。
「頼む。一回でいいからさ」
「なんで?」
「助三郎が普段どんな気持ちになるのか、知りたい」
「は?」
あまりに不愉快な欲望にイラッとしたが、愛する妻のため、助三郎は腹をくくった。
「一回だけだからね!はい!」
早苗の口に、卵焼きを押し込んだ。
むせればいいと意地悪な心がうずいたが、当の早苗は大喜びしていた。
「おいしい。何時もの倍以上美味い!」
「……」
それから何度も早苗にせがまれたが、助三郎は一度しかしなかった。
ものずごく恥ずかしい所業に、嫌気がさした。
自分で弁当を食べるように言いつけた後、助三郎は一人で昼寝をしていた。
寝顔を眺めてニヤける早苗には気がつかなかった。
「……そろそろ帰るか」
日が沈み始めたころ、早苗は立ち上がった。
「あぁ、よく寝た」
「美帆の寝顔、めちゃくちゃ可愛かったぞ」
ニヤニヤしながら言う早苗に助三郎は怒った。
「……うるさい!」
「怒っても怖くないな。ほら」
「え、なに?」
助三郎の眼の前には、大きな男の手が差し出されていた。
「手繋いで帰ろう」
「………」
意外な展開に、助三郎は恥ずかしくなった。
あーんとさせられた上、寝顔を見られ、しまいには手をつないで歩く。
頭がおかしくなりそうだった。
「あ、赤くなった。可愛いなぁ」
「………」
可愛い可愛い言われ、本気で恥ずかしくなった。
顔がすぐに赤くなるのが、イヤでしょうがない。