二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

凌霄花 《第二章 松帆の浦…》

INDEX|9ページ/31ページ|

次のページ前のページ
 

 それは亡き光圀から託された大きな使命。
 それは早苗と産まれてくるであろう新しい命を守ること。
 早苗に降りかかる火の粉は振り払わなければいけない。
 そう強く己に言い聞かせ、彼は大叔父を追っていた。

 日が沈むころ、大叔父は一軒の屋敷に入った。
クロは気づかれないよう、そっと彼を見張った。 

「ただいま……」

 伊右衛門が帰宅を告げると、玄関に若い女が現れた。
彼女は笑顔を浮かべ、彼を出迎えた。

「お帰りなさいませ。旦那さま」

 伊右衛門のムスッとした顔は見る見るうちに緩んだ。
 
「あぁ、お袖。お前の顔を見ると癒される……」
 
 そう言うと、彼女の手を引き奥へと入っていった。

「今晩もワシの部屋に来なさい。いいね?」

「もう、旦那さまったら……」





 クロは屋敷の床下で粘った。お腹が減って仕方がなかったが、どんなに良い匂いが漂ってきても、我慢した。
床下で必死に聞き耳をたてていると、彼の耳にはとんでもない会話が飛び込んできた。


 伊右衛門は布団の上で、お袖と呼んだ下女に言った。
 
「あの女を、始末する」

「……それを、わたしにやれと?」

 少し驚いた様子の彼女に、彼は動じずに言った。
 
「そうだ、物分りが良い。あの女を殺せ」

 お袖は不気味な笑みを浮かべると、彼に聞いた。
 
「どうやって殺すんですか?」

 伊右衛門はお袖の手をさすり、計画を話し始めた。

「お前の手を血で汚したくはない……。下女としてあの女に近づき、毒を盛るんだ」

「毒?」

 驚いた様子のお袖を安心させるように、伊右衛門は彼女を抱き寄せた。

「徐々に弱らせるんだ。毒殺だと気づかれないようにな……」



 クロはその話をすべて漏らさず聞いていた。
そして、主の危機を感じ彼女の元へと駈け戻った。





 その日の真夜中。屋敷の一角の人気のない蔵で男女が絡み合っていた。
 女は先ほどのお袖。
 男は伊右衛門、ではなかった。
 お袖はその男に、主に使う言葉とは全く違う下品な言葉遣いで毒づいた。

「……ねえ、直介さん。あのクソ爺どうにかならないの?」

 男は下男だった。お袖と同じく、主伊右衛門から命を受け『渥美格之進』を探っている…… はずだった。
「……そんな口聞くな。俺だって我慢してんだ」

 直介は苛立ったお袖を宥めるように、彼女の首筋に口付けした。
しかし、そんなことでお袖の苛立ちは消えなかった。

「……ふん。あんたはいいさ。適当にうろついて適当に報告すればそれで済む。あたしゃ、あのヨボヨボ爺の夜の相手だよ!?」

 怒る彼女を、直介は笑った。
そして、彼はお袖の上に覆いかぶさった。
 
「可愛そうに。でも、俺がこうやって慰めてやってんじゃないか。な?」

 お袖は笑みを浮かべると、直介の身体に腕を回した。
 
「……そうだった」



 朝日が昇るころ、二人は名残惜しげに身体を離した。
この下男下女の密会は主には内緒。
 常に細心の注意を払っていた。

「……お袖。あの爺さんが憎いからって、料理にあれを沢山ぶち込むんじゃないぞ」

 帯を締めなおしながら、直介はお袖に忠告した。
すると、彼女は髪を撫で付けながら薄笑いを浮かべた。

「大丈夫。あんたに言われたとおり、毎回の食事にほんのちょっとしか入れてないからね」

「ならいい」

 身支度も整い、蔵から出ようとする直介の背を見て、なぜかお袖は思い出し笑いをし始めた。
それが気に掛かった直介は、彼女に理由を聞いた。
 
「だって、あの爺さん、あの女に毒盛れってあたしに言ったんだよ。自分が同じことされてることに、気づいてないのにさ!」
 
 この話を聞いた直介も手を打って笑い出した。

「こりゃ傑作だ。気づいたときにゃ、爺さんはあの世ってか?」

「そう! あぁ、早く死ねばいいのに!」

 二人の恐ろしい笑いが蔵の中にこだました。

 大叔父の思惑、二人の思惑それぞれが入り混じる。
この争いの軍配はどちらに上がるのか、それとも他の者なのか……
まだ誰もわからなかった。



 一方、早苗は数日の勤務を終え、江戸へと戻った。
結局、早苗は何も姑に聞かなかった。否、聞けなかった。
 ただ漠然とした将来の恐怖だけが彼女の心に残った。
暗い表情の彼女を心配し、道中クロはしきりに話しかけていた。
 ……勿論、大叔父の家で入手した危険な話は一切隠して。


 鬱々しながら江戸の住処に戻った彼女を出迎えたのは、助三郎だった。
彼は、彼女が玄関で帰宅を告げると家の奥からすっとんで来た。

「お帰り! 疲れてないか?」

「あぁ……」

「飯はまだだよな? あ、それより、風呂か?」

 質問攻めにする夫に、傷心気味の彼女は癒された。
そして、彼に今一番したいことを伝えた。

「……風呂に入りたい」

 助三郎はすぐさま下女に命じた。

「よし、お夏! すぐに風呂を沸かしてくれ!」

「はい!」

 しかし、風呂が沸くまで時間が掛かる。
そこで助三郎はぼんやり佇む早苗を玄関に座らせた。
 そして、水を張った盥を置くと、彼女の前にしゃがみこんだ。

「風呂が沸く前に、足、洗ってやるな」

 すでに彼は早苗の草履を解いていた。
 しかし、己の男の足など触らせたくない早苗は慌てて足を引いた。

「……良い。自分で出来るから」

 そう言って残る足の草履の紐は自分で解いた。
しかし、そこで退く助三郎ではなかった。

「格さんじゃなくて、早苗の足を洗うのもダメか?」

「へ?」
 
「たまには、いいだろ?」

 早苗はその言葉に負けた。
彼に甘えたかった。

 助三郎は妻の許可を取り付けると、優しく包み込むようにその足を洗った。
早苗は夫の手の温もりを感じ、幸せな気もちをかみ締めていた。

「……助三郎さま」

 思わず、彼女は今まで何度呼んだかわからないが彼の名を呼んだ。

「なんだ?」

 足を洗うことに集中していた彼の眼が、早苗に向いた。
その眼は優しさであふれていた。

「……ううん。なんでもない」

 早苗は彼から眼をそらした。
彼の優しさに、なぜだかわからないが小さな恐怖を感じたからだった。

 この世に永遠などない。

 夫を信じないわけではない。妻が信じずに、誰が信じるというのか。
しかし、万が一の覚悟を定めておかねばならない時が確実にやってきていた。
 彼女の脳裏に、大叔父の言葉がよみがえった。
『子を産まない』『新しい嫁』『実家に返す』

また、姫路で会った亡霊の言葉までもが彼女を襲った。

『あなたを必ず捨てる』、


 苦しむ早苗をよそに、いつしか助三郎は早苗の足を洗い終えていた。
彼は彼女の足を、綺麗な手ぬぐいで拭いた。
 そして、その足に目をやったまま、触れたまま彼女の名を呼んだ。

「早苗」

 その言葉で早苗は現実に引き戻された。

「……なに?」

 助三郎は、早苗の足を再び両手で包み込むと小さく言った。

「……今晩、疲れてなかったら、いいか?」

 それは久しぶりの夜のお誘いだった。
その誘いに、早苗が迷うことなどなかった。

「うん!」

 彼女の旅の疲れと将来への不安は吹き飛んだ。