金銀花
「助さん。じゃあな」
その言葉に助三郎は青ざめた。
「……おい、どこ行く気だ?」
「明日一日居ないからよろしく」
「明日お前と調べたいことあったのに。なんでだ?」
なぜか深刻すぎる夫を笑いたくなったが、こらえた。
「いまさら言っても遅い。俺にも都合がある。つべこべ言うな。じゃあな」
しかし、助三郎は真剣だった。
形振り構わず、早苗の足にしがみついて必死に説得し始めた。
「……変なこと言ったけど、お前が嫌いなわけじゃない! 絶対に違う!」
「ふぅん」
足に夫をくっつけたまま、風呂の支度をしていたが、どうやら荷造りをしているものと勘違いしたらしく、さらに強い力でしがみ付いた。
「……一人にしないでくれ! イヤだ! 行かないでくれ!」
一人必死な彼がおかしかった。笑いをこらえ、重い足を引きずりながら部屋の外へ向かった。
「離せよ、風呂に行くだけだ」
「ダメだ! 言うならはっきり言ってくれ、俺がイヤなら、はっきり言ってくれ。そうしたら離してやる! 早苗もお前もあきらめるから!」
あまりに必死の彼に半ば呆れ、一言こう言った。
「しつこいやつは嫌いだ」
そう言った途端、助三郎は早苗の足を離した。
その機を逃さず、早苗は風呂へ向かった。
「……行かないでくれ。悪かった、謝るから」
「知らん」
「格さん……」
しくしく泣きはじめた助三郎を残し、風呂場へ早苗は向かった。
女に戻り、身を清めた後綺麗な浴衣を着て、そのままの姿でそっと部屋に戻った。
薄暗い部屋では、さっきと変わらない場所で助三郎が泣いていた。
あまりにもかわいそうな姿に早苗は少し罪悪感を感じた。
そして、優しく声をかけた。
「なんで泣いてるの?」
「早苗に、嫌われた。捨てられた」
「イヤなの?」
「……当たり前だ。早苗がこの世で一番好きだ。だけど束縛だけはしたくない。なのに、あいつが居なくなるのが寂しい。怖い」
嬉しい言葉を聞いた早苗は、もっと彼の心のうちが知りたくなった。
「なんでそんなに寂しいの?」
「あいつが俺の心の支えだ。居ないと、心が空っぽになる。寒い。凍える……」
「じゃあ、一緒に寝て温めてあげようか?」
そう言いながら、夫を助け起こした。
泣いているせいで、早苗が帰ってきたことに全く気づいてはいなかった。
「ダメだ。早苗以外はダメだ。早……」
助け起こされ、その相手を見た瞬間、助三郎は固まっていた。
ちょっと間抜けな顔にクスッと笑った後、彼に聞いた。
「貴方の前のわたしは誰?」
「……早苗?」
「そう」
言った途端、助三郎は早苗を抱きしめた。
嬉しさのあまりか、力加減が上手くできず少し早苗は苦しんだが、久しぶりの抱擁。
されるがままになっていた。
「早苗! 逢いたかった!」
「大袈裟ね」
「ずっと逢いたかった。……寂しかった」
「わたしも」
何度も力を入れて抱きしめ直す夫に少し疲れたが、愛してくれている証拠だとうれしくなった。
しっかり抱き返し、彼に答えた。
しばらくすると、少し不安げな声で早苗に耳打ちをした。
「……明日も居るか?」
「うん。もう、一日中男はやめることにする」
「よかった」
再びギュッと抱きしめる夫に、早苗は嬉しくなり遠回しなお誘いをした。
「寝る?」
「あぁ。布団は、二枚か?」
「ううん。一枚だけ」
意味を汲み取った助三郎は身体を離し、早苗をじっと見つめた。
「……良いのか?」
「うん。……明日の朝は起こしてあげない。遅いから」
「明日の朝、俺もお前も起きられない」
そういうと、二人で布団の中に潜り込んだ。
久しぶりの夫婦の時間が過ぎていった。