金銀花
《06》江戸で仲直り?
三日ほどで、一行は江戸に到着した。
すぐさま、屋敷に向い早苗と助三郎は一室を与えられ、光圀だけ、別室で過ごすことに。
せっかくの夫婦水入らずだったが、相変わらず男同士。
互いにあまりしゃべらず食事を取り、早々に床についた。
次の日から、光圀の用事が本格的に始まったが、場所はほとんど屋敷の表か、江戸城。
その間、一藩士でしかない早苗と助三郎は仕事がなく、暇を持て余していた。
庭で剣術の鍛錬、柔術の鍛練、槍術もやったがおもしろくない。
互いに奥底に残った鬱憤は晴れなかった。
そして二日目の夕方、助三郎はこっそりと屋敷を抜け出し友達のもとへ走った。
それは、町人の新助だった。彼にどうしても相談したいことがあったからだ。
家を訪ねると、彼の将来の妻であるお考が出迎えた。
「助さん。また旅ですか?」
「今回は江戸だけなんだ。すぐにまた水戸に帰る」
そう言うと、お孝は助三郎のほかに人影がないことに少し残念そうな顔をした。
「あの、早苗さんは?」
女同士、積もる話でもしたかったに違いない。しかし、早苗はいない。
「……一緒に来たには来たんだが、格さんのままで屋敷で帳簿と睨めっこしてる」
『ちょっと出てくる』と声をかけたが、そろばんをはじきながら生返事しか返って来なかった。
なぜあれだけ柔術が強い男が、細かな金勘定も得意なのかがいまいちわからなかった。
逞しい男らしい姿ではなく、そろそろ可愛い小柄な妻の姿に戻ってほしかった。
「そうですか。残念。新助さんは、じきに帰ってきますのでどうぞお上がり下さい」
彼女に促され、部屋で待たせてもらうことにした。
新助の母も出て来て、世間話をして時間をつぶした。
新助が帰宅すると、彼の母とお考は席をはずし、二人だけの酒の席になった。
しばらく近況報告で楽しんだが、助三郎は彼に相談を持ちかけた。
「……俺、早苗に嫌われたかな?」
「……どうしてですか?」
「……あいつ、ずっと格さんのままなんだ」
不安げな助三郎の顔を見た新助ははっとした。
「まさか、また……」
「怖い…… 代わりにあいつに聞いてくれないか? この間本当に我慢できなくなって、無理やり戻ってくれって詰め寄っちまった。後で気づいたが、やりすぎた。またあんなことになったら……」
水戸藩一強い男の最大の弱点は、妻の早苗だということに、新助は前々から気付いていた。
早苗が味方に、傍にいれば普段の倍以上の力を助三郎は発揮する。
逆に、早苗がおかしくなると助三郎自身もおかしくなる。
それだけ深く妻を愛していることに尊敬の念を覚えてはいた。しかし、極度に脆い助三郎の心を新助は心配していた。
あの時のようになったらと思うと、新助は怖くなった。
早苗は自害寸前まで陥り、助三郎は酒と刀が怖くなった。
いまだにくすぶる後遺症に悩まされる友を救いたい、そう思い快く助三郎の申し出を受け入れた。
「わかりました。明日どうにかします」
「恩に切る」
少し表情が明るくなった助三郎に安心した新助だったが、彼もまた助三郎に頼みごとがあった。
「助さん、代わりと言っちゃあれですが。頼みごと聞いてくれませんか?」
「なんだ?」
「堀部安兵衛ってお侍、知ってますか?」
「あぁ。高田馬場の仇打ちで活躍した男だろ?」
「はい」
「一度剣を交えてみたい男だ。浪人中だったらよかったが、今はもう赤穂藩お抱えだろ?」
「そうです。江戸でお仕事してますよ」
「まさか、知り合いか?」
「はい。お考ちゃんが、奥さまのほりさんと仲良くなって、その縁で」
「そうか」
助三郎は部屋を見渡し、安全を確認すると新助と額を寄せて密談に入った。
「……藩がらみか?」
「……なっちゃったら困るんですが。お宅の藩なら強いので大丈夫かと」
「……なら、アレが要るか?」
「……要るかもしれません。格さんと御隠居にお願いして」
「わかった。ひとまず下調べをしたい。明後日、会わせてくれるか?」
「わかりました。では、おいらも明日格さんと会わせてください」
「あぁ、よろしく頼むな」
こうして男二人は互いに約束を取り決めた後、再び飲み始めた。
次の日の昼前、町人の男に姿をやつした早苗が待ち合わせの茶屋に来た。
相手は、新助だった。
早苗にとって彼は、女の時は夫の友達で、自身の女友達お孝の良い人。
男の時は自分の友達だった。
「格さん、こんにちは」
「おっ。新助、久しぶりだな、どうした? 助さんに言われたんだが」
「……まぁ、立ち話もなんですから」
二人で、茶屋の奥で話すことになった。
新助は単刀直入に、助三郎のことを早苗に告げた。
「あの、助さんが心配してます」
「なんて?」
「……格さんが、また戻れなくなったんじゃないかって」
「だから?」
興味なさそうに早苗が言ったのを見た新助は、助三郎に聞いた事をそのまま伝えた。
「助さん、戻ってくれって格さんに強く言ったそうですが、そのことを物凄く後悔してました」
すると、早苗も少し表情が曇った。
すかさず新助はあの時の話を持ち出した。早苗を傷つけない程度の内容で。
「……あの時、早苗さんもでしたけど、助さんもすごかったんですよ。ですから、少しだけでも、安心させて上げて下さい」
すると、目の前の格之進が突然消え、代りに女が座っていた。
それはまぎれもなく、早苗だった。
「……ありがとう、新助さん」
「あ、戻れるんですね? 良かった……」
「お仕置きしてるだけなの。新助さんは心配しなくても大丈夫」
相談役が上手い彼の手を、つまらない夫婦げんかで煩わせてしまった事を詫びた。
「そうですか?」
そして、こう告げた。
「今日、あの人の前で戻ることにする」
「助さん、喜びますよ」
「そう? あ、でも内緒よ。驚かせたいから」
いたずらっぽく笑う早苗に安心した新助も、ほほ笑み返した。
「はい。お二人でごゆっくり」
「新助さんも、お考ちゃん泣かせたらダメよ」
「わかってます」
話がついた二人は、帰宅することに決めた。
来た時は男だったので、早苗は男に変わった。
「……よし。ここは俺が払っておく。今日はありがとな」
「いいえ、お役に立てて良かったです。……でも、いつ見てもすごい変身ですね」
「そうか?」
「だって、さっきまで町人だったのに、今はお侍さまだ。すごい」
この言葉にはっとした早苗は自身の姿を見た。
町人の着流しではなく、羽織袴の武士姿だった。
「あ、いかん。丸腰なのにこんな恰好したらおかしいな。こっちじゃないと」
不都合を感じすぐさま町人に姿を変えた。
すると、新助がおかしなことを言った。
「あ、渥美様から格さんになった」
「なんだそれ?」
「お武家は渥美様で、町人は格さんですから」
冗談を言い合いながら、二人は別れた。
新助はお孝の待つ自宅へ、早苗は助三郎が待つ屋敷へ。
その晩、静かな夕餉を終えた後、早苗は相変わらず暗い表情の夫に別れを告げた。
もちろん、格之進としてだったが。