金銀花
「そうですか。では、機会があれば。……それより、助さん、新助さんちょっといいですか?」
軽く話をはぐらかした安兵衛だった。
それ以上踏み込んでもしょうがないと思った助三郎は、別の機会を見つけることにした。
「なんです?」
「……女をあっちに置いといて、飲みに行きませんか?」
「おっ。良いですね」
早速新たな機会がやってきたと感じた助三郎は、すぐに相手の誘いに乗った。
出がけに、女たちの中の早苗に向い、ほりからなるべく情報を入手するようにと目で話した。
それから互いに、いざこざの問題を何となくつかんだが、ほとんど他の事をして過ごした。
女たちは相手との馴れ初めを面白おかしくお茶しながら語り合い、男たちは、酒を飲みながら騒いだ。
互いに仲良くなり、またの再会を約束し別れた。
その日の夕刻、屋敷でくつろいでいた主光圀の所へ助三郎は訪ねて行った。
ちょうど主はつまらなかったと見え、将棋の相手をさせられた。
もちろん助三郎は弱いので惨敗したが、光圀の機嫌は良くなった。そこで頼みごとをすることにした。
「……御老公、お願いがございます」
「なんじゃ? 面白いことか?」
「はい」
好奇心旺盛な光圀は、助三郎の話に食いついた。
次の日の昼前、光圀は隠居姿に姿を変えて町人姿の早苗と助三郎について行った。
こっそりと弥七とお銀も影で見守っていた。
光圀は剣豪、堀部安兵衛に会いたいということと、自身とほぼ同年の父、弥兵衛と話がして見たいと思っていた。もちろん、藩同士のいざこざを解決するのが一番の目的だったが。
三人が屋敷に着いた頃、安兵衛はちょうど出仕で留守だった。
問題を隠したがり、他人に迷惑をかけたくないと拒む本人が居ない方がやりやすい。
ほりとその父、弥兵衛が屋敷に残っていた。
「ほりさんの父上ですか?」
「はい。何用かな?」
「息子の嫁がほりさんと仲良くなったそうで。御挨拶に」
助三郎を光圀の息子に仕立てあげた。
弥兵衛は同年代の者が現れたのが嬉しかったようで、さっそく将棋の誘いをした。
弥兵衛はなかなか強く、将棋の勝負はなかなかつかなかった。
その間、世間話をするついでに光圀は安兵衛と弥兵衛の関係を聞いていた。
世間では有名な話だったが、本人の口から聞けるまたとない機会。
興味津々だった。
高田馬場の決闘の世間での噂は本当だった。
堀部親子がまだ中山姓だった安兵衛の仇打ち助太刀の場を見ていた。
たすきがなくて困っていた彼に気づき、機転を利かせたほりが代わりのひもを差し出した。
その縁で安兵衛を婿に迎えた。
この話をまるで昨日のことのように嬉しそうに話す弥兵衛だった。
「婿が本当に可愛くて仕方ないのです。こんなじじいを父上と呼んで慕ってくれる。頼み込んだ甲斐
が有りました」
「それは良かったですな。立派な婿殿で」
すると一層嬉しそうな顔になったがふと顔が曇った。
すかさず光圀は、助三郎からの情報を持ち出した。
「……息子から聞いたのですが、安兵衛殿は嫌がらせを受けているとか」
「そうなのです。あれは名だたる藩から誘いを受けておりました。紀州さまや水戸さまからも」
これを聞いた光圀ははっと思いだした。
「……そう言えば、指示を出した気がするの」
「……え? そうなのですか?」
傍で聞いていた助三郎も驚いた。
「お前と張り合わせてみたくてな。興味本位でちょっとな……」
二人の話は運よく弥兵衛には聞こえなかったようだ。
話の続きを始めた。
「そのような立派な藩の方はすんなりと諦めて下さったのですが、我が藩を快く思われない方々が、嫌がらせを……」
そこへ、屋敷の外から妙な音と声が聞こえた。
それは屋敷に向って何か物を投げつける音。暴言を吐く声だった。
「おい! 出て来い!」
「出てこいや!」
立ち上がった弥兵衛はそれに反撃した。
「なんだ!? 堀部家に何ようだ!?」
一瞬、相手はひるんだようだが、すぐに暴言が再開した。
「赤穂の田舎侍。出て来い!」
「腰ぬけ。出て来い!」
この言葉に、弥兵衛は槍を持ち出しすごい剣幕で光圀一行に眼をやった。
「皆さん。危ないのでここから動かぬように。もう我慢ならん!」
しかし、武士の光圀はそんなことをする気は毛頭なかった。
すぐに助太刀を部下に命じた。
「助さん」
「はっ」
飛び出て行こうとした老体を止めようと助三郎は走った。
「弥兵衛殿、おやめ……」
しかし、彼が追いつくより先に男が弥兵衛を止めていた。
「父上、私が行きます。あれは父上への暴言ではありませんよ」
「安兵衛!?」
ちょうどいい所へ帰ってきていた安兵衛はすでにたすきがけし、戦闘態勢に入っていた。
「相手は刀を持っています。人数も大勢。父上はほりと客人とお逃げください。助さん、皆を頼む」
かっこいい姿に助三郎は感心したが、『はい』という返事はしなかった。
隠し持っていた小刀の鞘を抜き、安兵衛に笑いかけた。
「いいえ、お手伝いしますよ」
「え?」
意外な返事に安兵衛は驚いた。
助三郎はすぐさま味方に指示を出した。
「早苗! ほりさんと御隠居頼む! お銀そっちは任せたぞ。弥七、手伝ってくれ!」
「わかったわ」
「へい!」
なぜか除け者にされた早苗は焦った。『格さん』への指示がなかったからだ。
印籠はすでに懐に入れてある。男に変わればすぐに戦闘態勢に入れるようにしてあった。
そこで夫にどうすべきかうかがった。
「ねぇ、わたし……」
すると、彼は笑顔で格之進の参戦を拒んだ。
「たまには、女で俺に守られてくれたって良いだろ? いつも格さんに頼ってばかりはちょっとな」
男として、女を守りたいと訴えた夫に早苗はドキッとした。
あまりにさわやかな笑顔に早苗は負けた。
「わかったわ。はい印籠」
ずっと自分の役目だった印籠を夫に手渡した。
決心した様子で、印籠を感慨深げに見た後、懐の奥にしまった。
そして安兵衛のもとへ近寄り、声をかけた。
「安兵衛さん、行きましょうか?」
「あぁ。助太刀かたじけない」
二人は抜き払った刀を目の前で構え、刃を自分の方に向けた。
「行くぞ!」
「はい!」
すでに嫌がらせに来ていた侍たちは庭にあふれていた。
水戸藩と赤穂藩の二人の剣豪は圧倒的な強さで、見事にその男どもを倒していった。
安兵衛の立ち回りもさることながら、助三郎の太刀裁きは見ごたえ十分だった。
この普段とくと見られない夫が闘う姿に、早苗は安全な場所で惚れ惚れと眺めていた。
たまに格好つけて早苗に視線を送るのがいけなかったが。
余裕が出てきたときには、声まで掛けていた。
「早苗! 見てるか!?」
そんな彼に早苗も答えた。
「見てる! かっこいいわ!」
「よし! もっと見てろ!」
助三郎の攻撃は激しくなった。
それを横目で見ていた安兵衛は感心しながらこう言った。
「助さん、かなり出来るな」
「いえ、安兵衛さんにはかないませんよ」
そう言いながら、また一人男を倒した。