金銀花
《01》出来心
常陸の国、水戸。
佐々木家の台所で、当主佐々木助三郎は朝食用の梅干しを探していた。
女中に頼めば簡単だったが、自分で出来る事をわざわざ頼みたくはなかった。
彼はふんぞり返って、上げ膳据え膳が嫌いな性質だった。
「旦那さま! 何をしていらっしゃるのです!?」
驚いた年配の下女が、声を上げた。
「ん? 梅干しの壺を探してる。気にするな」
「わたくしが致しますので、居間でお待ちください」
以前女になったとき毎日料理を作った台所。
そこへ男に戻ったら入るなと止められる。
「イヤだ。座ってたくない」
助三郎は武家の男としては珍しく料理が好きで、ちょっとしたものならささっと作れる。
女になっている間、毎日のように作って鍛えられた。
その腕で、仕事で旅に出て必要な時は妻の早苗と一緒に作る。
彼の楽しみの一つだった。
「旦那さま、お休みだからといって若奥さまを手伝うおつもりですか?」
「良いだろ? やりたいんだから」
この日はまとまった休みの最終日だった。
数日前、伊勢参りの旅から帰宅した。
道中ほとんど男の姿の早苗とは、夫婦としての付き合いはできなかったが、男同士の付き合い方で楽しんだ。
酒を酌み交わし、鍛練で取っ組み合い、将棋を打った。
しかし、主からの褒美に夫婦二人きりで温泉に入った。初めて男女で入った露天風呂は最高だった。
帰路立ち寄った江戸では、新助とお考を誘い、八嶋家を訪ねた。
文で早苗の親友、由紀の懐妊を知ったからだった。
早苗とお考は、お腹の大きな由紀の見舞いをし、助三郎と新助は彼女の夫の与兵衛と酒を酌み交わした。
早い懐妊に驚いた早苗とお考だったが、親友のお腹を眺め、うらやましそうに様々な事を語り合った。
助三郎は、父親になる男の心の内を聞き、憧れを抱いた。
子どものうちに父を亡くし、早いうちに子ども時代を終えてしまった助三郎は、自分が父親になったら子どもに自分と同じ思いは絶対にさせたくなかった。
たくさん愛情を注いで、幸せな家族を作りたかった。
早く子が欲しい。
その時二人とも強く思った。
由紀の無事の出産を祈って、皆と別れ水戸に帰国した。
助三郎は結局梅干しを発見できず、うるさい下女にではなく妻に壺のありかを聞いた。
「早苗、梅干し何処だ?」
「そこの壺の中にない?」
「どれ? 残念、空だ」
「申し訳ありません、旦那様。気付くのが遅れました」
傍で聞いていた若い下女が申し訳なさそうに謝った。
「気にするな。今から取ってくる。置いてあるのは蔵だな?」
「はい。しかし、わたしが致しますので」
「大丈夫だ。俺がやる。重いから持てんだろ?」
「そうでございますね。お気使いありがとうございます」
さっそく助三郎は庭の蔵に向かおうとした。
しかし、早苗に変なことで釘を刺された。
「助三郎さま、あの秘薬は使ったらダメよ」
「つかうわけないだろ? 格さんに手籠めにされる……」
「そんなことしません! まだあのこと言うの?」
「ハハハ。すまん。あれは怖かったからな」
助三郎が女になっていた時、男に変わっていた早苗が冗談半分で言い寄った。
その時、助三郎は怖さと混乱でおお泣きした。
恥ずかしい思い出だったので、誰にも言わなかった。
しかし、
「兄上、姉上をからかってはいけません! 兄上泣いたくせに」
妹の千鶴は知っていたようだ。
「言うな! 可愛いげがないやつだな。だから嫁のもらい手がないんだ」
千鶴は異常ではないかと思うほど男が嫌いだった。
妹の幸せを早く見つけてやりたい一心で、義父である早苗の父、橋野又兵衛に頼み縁談を持ってきてもらった。
幸い、千鶴は器量が良く賢く、家格も高い佐々木家の長女という事で、相応の相手は山と見つかった。
しかしそれらの見合いはすべて門前払い。
義弟もついでに欲しい助三郎は、残念でならなかった。
今朝も、千鶴は文句を言った。
「結婚なんかしたくありません。男なんか…… 兄上みたいな変な人ばっかり!」
とうとう、自分の悪口を言われた助三郎は妹に食って掛かった。
「なにが変だと? 俺のどこが変か言ってみろ!」
「不真面目で、ふざけ過ぎ。筋肉バカの兄上より、真面目で賢い格之進兄上の方が良いです!」
「くっ…… 言ったな! こっちに来て座れ!」
国でいちばん強いと公に称された剣の腕を落とさないようにと、常日頃鍛錬で身体を鍛えていることを馬鹿にされた助三郎は、本気で怒った。
「ベーッ。イヤです!」
千鶴は馬鹿にした様子で逃げてしまった。
むしゃくしゃした助三郎は、庭の隅の蔵に向かった。
飼い犬のクロは食事中だったが主の姿を目ざとく見つけ、後に付いてきた。
「おぅ。飯の途中じゃなかったのか?」
「ワン!」
「付いてきても良いが。面白くないぞ」
忠実なクロはそう言われたが、助三郎に付いていった。
蔵を開け、少し探すと梅干しの壺は難なく見つかった。
しかし、その傍に早苗の秘薬の壺も見つかった。
その壺は、『持ち出し厳禁、猛毒』と書かれてある以外はほとんど梅干しの壺と変わらなかった。
一かけら食べただけで二月近く女になるのはもう御免だと、無視しかけた。
解毒剤もまだ完成しない状態での服用は、明日から出仕の身では危険極まりない。
しかし、助三郎の悪戯心が疼いた。
自分が美帆になる。早苗が格之進に変わる。
その原理が誰にでも当てはまるなら、一服妹に盛れば弟を作り出せる。
妹は、習い事をするだけなので、自分のように世間様に影響は出ないはず。
そう閃いた助三郎は秘薬の中から欠片になっている物を取り出し、懐紙に包んだ。
主の怪しげな様子が気になったクロは、小さくないた。
「クゥン……」
「食べたいか? 雌犬になっても知らないぞ」
「キャン!」
言葉がわかったのか、怖い物を見たときのようにクロは叫び、走り去ってしまった。
「動物も変わるのかな? まぁいい。千鶴が先だ」
梅干しの壺を台所に届けると、助三郎は自室に一度引き籠った。
先ほど取り出した秘薬を剃刀で削り、慎重に分量を決めた。
自分がつまみ食いした欠片よりもさらに小さな欠片を切り取り、潰して粉状にした。
それでも少し分量が多かったので、減らした所、とうとうほんの一つまみの秘薬が出来上がった。
その粉末を紙に包み、皆で食事を取る居間へ向かった。
ちょうど支度が出来たようで、人数分の膳が並べられていた。
何時も妹が座る席に向かい、そっと妹の味噌汁に粉末を降り注いだ。
秘薬はさっと味噌汁に溶け、違和感は一切無かった。
これで半月くらい本当の弟が出来る。
半月なら、誰も文句は言わないだろう。
そう思った助三郎のほんの出来心だった。
食事中、助三郎はこっそりと様子を伺っていた。
ついに、妹が味噌汁に口をつけた。
とたんに、彼女は驚いた顔をした。
「あれ? この味噌汁……」
「どうかしたか?」
助三郎は、動揺を抑えさりげなく様子を伺った。
「いえ、なんでもありません。気のせいでした」
ほっと胸をなでおろす兄の目の前で、千鶴は味噌汁をすべて飲み干した。
秘薬は、夜寝ている間に効果が出る。