金銀花
と同時に父又兵衛の間抜けな顔が目に入った。どうやら、仕事が一段落して居眠りしていたようだった。
「んぁ? どうした? お前戻ってたのか?」
「話があります!」
「お前はどうしてそう声が大きい? それになんで男なんだ?」
「そんなことはどうでもいいです!」
早苗は助三郎とともに又兵衛の前に座り、今まで黙っていた千鶴の話をすべて打ち明けた。
そして、どうしても聞きたかった内容に触れた。
「秘薬には、心まで異性に変える働きは無いはずでしたよね?」
「そうだ。お前が証人だ。そのままでも助三郎が一番好きなんだろ?」
「はい。こいつが一番です。こいつ以外はイヤです」
そういうと、助三郎はうなだれた。
「いくらなんでも、こいつって言わないでくれよ…… もうそろそろ早苗に戻ってもいいだろ?」
「わかった。……もう戻る」
女に戻った後、又兵衛にどうすべきか助言を請うた所、あっさりとした返事が返ってきた。
「ひとまず女に戻せ。そうすれば水野殿の娘御の熱も下がるだろう」
「では、解毒剤は?」
「いや、まだだ。この前失敗してから手を出してなかった」
「は?」
「ハハハ。助三郎が戻ったからまぁよしと思ってな……」
「父上……」
「なんだ? 早苗」
あまりにいい加減な父に早苗はブチぎれていた。
「この、クソ親父! 昼寝してる暇があるなら早く作れ!」
思わず男に変わり、父親の胸倉をつかんでいた。
突然の出来事に、又兵衛は腰を抜かしていた。
小柄な娘が突然大きな男に変わりヤクザのように怒声を上げて自分を睨むのが怖くて堪らなかった。
助三郎でさえ、いつも優しい格之進のそんな姿を見て震えていた。
「ひぃぃ……離せ。格之進。わかったから離せ」
「きちんと資料を調べたのですか? まだ未見の物があるのでは?」
低い声で脅しながら睨み続ける格之進に圧倒され、又兵衛は頭を働かせた。
「蔵の書物は一通り…… あ、そういえばお前が以前受け取った巻物があったな」
それは結婚前に紀州へ行った旅の道中、伊賀越えをした時託された巻物だった。
「……あれは、読んだのですか?」
「いや。まったく読んでない。はははは。どこ置いたかなぁ?」
再び早苗は父親に食ってかかった。
「ふざけるんじゃない! とっとと探して読むんだ!」
「ひぃぃ…… わかったから!」
そういうと、早苗の前から逃げ出し、部屋から走り出した。
残された助三郎は少し怯えながら早苗に声をかけた。
「……格さん、本当にヤクザっぽくて怖いからやめろ。お前、女だろ?」
「……すまん」
そろそろ日が暮れるという時刻になった。
女に戻った早苗と、助三郎が部屋で待っていると又兵衛がこそこそしながらやってきた。
それに気付いた助三郎は声をかけた。
「義父上? どうされました?」
「しっ。格之進は?」
「もう、早苗に戻っております。心配なさらず」
そう言って又兵衛を部屋に連れ込んだ。
そんな父親の前で早苗は手をつき、無礼を謝った。
「父上、申し訳ございませんでした。取り乱し過ぎて、ご迷惑をおかけしました」
「もう良い。可愛い義妹の為だ。……だから、これを使って早く女の子に戻してやれ」
そう言って差し出されたのは、小さな壺だった。
そこには『解毒剤』と大きく書かれていた。
「出来たのですか!?」
「そうだ。お前が持ち帰った巻物に事細かに書いてあった」
「ありがとうございます。助三郎さま、これで大丈夫よ」
「あぁ。よかった」
夫婦が喜ぶ様子を前に、又兵衛は妙なことを言い出した。
「二人とも、本当の男や女になれる秘術もみつけたぞ」
「本当の?」
「そうだ。格之進は美帆を抱けるようになる。美帆は子を産める」
とんでもない言葉に、二人は真っ赤になって怒った。
「結構です。そんなことしたくありません!」
「そうか。まぁいい。気が向いたら教えてやろう」
早苗と助三郎は父又兵衛に一応感謝し、橋野家を後にした。
帰り道、早苗は助三郎に頼みごとをされた。
「格さんに言っておいてくれるか?」
「なんて?」
「その解毒剤は使わないでくれって」
「えっ?」
「……格之進が居なくなるなんて俺は耐えられない」
「わかったわ。言っておく」
そう返事を返すと、助三郎は安心した表情を浮かべた。
しかし、すぐに真剣な表情になった。
「今晩の千鶴の膳にこれを混ぜる。いいか?」
「はい」
「その後、千鶴と話をする。早苗もつきあってくれ」
「わかった」
その打ち合わせ通り、千鶴の膳に解毒剤を混ぜた。
しっかりとすべての食事を取り終えたことを確認すると、助三郎は千鶴を呼び出した。
「話がある。今から俺の部屋に来い」
「……はい」
薄暗い部屋の中で、助三郎は早苗を隣に、千鶴を自分の正面に座らせた。
なぜか落ち着きがない妹を見やった後、単刀直入にこう聞いた。
「今日一日どこに行ってた?」
「……香代と会ってました」
「その香代さんと何してた?」
「……普段の付き合いです」
「手を握って、抱き締める事が普段の付き合いなのか?」
千鶴は、その言葉に視線を泳がせた。
「……悪いが全て見させてもらった。明日から五日間外出禁止だ」
「そんな……」
「まぁ、明日には女に戻るはずだ。それで落ち着いたら解いてやるから心配するな」
「えっ? ……女に戻るとは?」
兄の言葉に千鶴が過剰に反応したことに、傍で黙って見ていた早苗は驚いていた。
しかし助三郎は気付かず、続けた。
「解毒剤を飯に盛った。……これでやっと元の妹に戻してやれる。本当に悪かった、侘びに早苗と江戸で……」
助三郎が謝ろうとしていたのにもかかわらず、千鶴はその言葉を聞かず、兄を睨みながら言った。
「……余計な事を」
意外な言葉に早苗も助三郎も息を呑んだ。
「……香代の為にもう一度秘薬を使ったのに、何してくれたんですか?」
「……お前、秘薬を使ったのか?」
予想外の展開に、助三郎は驚いていた。
「……香代を守る為に、男になったのに。外出禁止の上、女なんかに戻るなんて!」
その言葉に助三郎は耳を疑った。
男嫌いの妹の口からそんな言葉が出てくるとは思いもよらなかった。
「……女なんかって、お前、女だろう?」
「……男の方がいい」
「なんだと?」
「……女の子が好いてくれる。香代が好いてくれる。香代を守れる」
この言葉に助三郎は思わず立ち上がり、千鶴の腕をつかみ顔を覗き込んだ。
「おい、千鶴。大丈夫か?」
「……なぜ女に戻らなければいけないのですか!?」
「……お前は、俺の妹だからだ」
言葉を強調し、諭すように言った。
すると、千鶴は少し落ち着いたようだった。
「……ですよね。佐々木助三郎の妹」
「そうだ。わかったか?」
「……だから、利用価値が高い。佐々木家の長女だから」
「なにを言ってる?」
「どうせ女は政治の道具。子どもを産むカラクリ。そうなんでしょう?」