金銀花
助三郎はもう男に抱きつかれることには慣れた。しかし、職場でやっては変な噂が立つ。
互いに気をつけてはいた。しかし、今は家族誰の目もない。
とうとう早苗は千鶴に抱きついた。
「助三郎をもっと若くして、賢く真面目にした感じだ。いいな!」
「格之進義兄、苦しい……」
「あ、すまん。やり過ぎた。やっぱりまだ調整が狂うな」
格之進の時は力が強い。
柔術で鍛えた腕で、男一人余裕で投げ飛ばせる。
そんな力を考えず、女の時の感覚で抱きしめたら、つぶされそうになるのは当たり前だった。
可哀想な千鶴を解放して詫びた。
無駄な事をやっている間に、千鶴は根本的なことに気がついた。
なぜ自分が男になっているのか。
「あの、なんで私は男になっているんですか?」
その言葉に早苗もハッとなった。
「そうだ。原因だ。すっかり忘れてた」
「なんでですか?」
「秘薬しか考えられんな。助三郎に聞いてみよう」
早苗と千鶴は寝室へ向かった。
呑気な助三郎は出仕日だと言うのに、布団をかぶったまままだ寝ていた。
あれだけ家族が騒いだのに寝ていられる根性はあっぱれだった。
「寝てるな。昨日なにもしてないから寝不足じゃないはずだが……」
昨晩、早苗と助三郎は酒も、将棋も、夫婦の睦事も何もせずに就寝した。
起きれるはずなのに起きない。助三郎の悪い癖、寝坊だった。
呆れている早苗の隣で千鶴は兄を起こそうと試みた。
兄の身体をゆすって声をかけた。
「兄上。兄上!」
「うるさい…… まだ寝たい……」
そう言うと掛け布団の奥へ丸まって再び眠ってしまった。
途方に暮れた千鶴を早苗は優しく布団から離れた場所に追いやった。
「千鶴ちゃん。ちょっと退いてろ。危ないからな」
「え? 何するんですか?」
早苗は助三郎が入って膨らんでいる布団をじろっと一瞥した後、千鶴に向ってこう言った。
その眼は、イヤミを含んでいた。
「こいつは早苗の声でならすぐに起きるくせに、男の俺の声だと生半可じゃ起きない。こうやるんだ。見てろ」
「はい」
「おい!起きろ!助三郎!」
早苗は力任せに布団を敷布団ごと引っぺがした。
中からは助三郎が転がり出てきた。
「格さん!? なんでお前が居る? 早苗は?」
「姉貴はどうでもいい。大事な妹を奪った犯人の取り調べだ。早く居間に来い」
「……朝から男に変わるなよ。声がでかすぎる。……ん? 誰だお前?」
怒っている格之進の隣で、これまた不満そうに自分を睨む若い男を助三郎は見つけた。
あまりに睨む姿が怖いので、助三郎は立ち上がれなかった。
千鶴は、兄のだらしのない姿に怒鳴り声をあげた。
「千鶴だ! 可愛い妹の一大事に、何で寝てられるんですか!?」
しかし、呑気な助三郎は妹だった者を眺め、ニヤニヤし始めた。
立ち上がりながら、品定めをするようにおもしろそうに千鶴を見た。
「お前、千鶴なのか? ……ふぅん。そうだ。……ちょっといいか?」
「え? なんですか?」
突然、助三郎はあらぬ所を触り、男かどうか確認した。
女にやったら、間違いなく引っ叩かれ、ひどければ役人に突き出されるに違いない。
「……ほう、本当に男だな。ハハハ!」
「スケベ! どこ触っているんですか!?……ちょっとなに笑ってるんですか? 」
笑い始めた兄が気味悪く、離れようとした千鶴だったが、助三郎に捕まってしまった。
突然千鶴を抱きしめ、歓声を上げた。
「弟だ!」
「げっ。抱きつかないでください! 離して!」
そんな妹の拒否を無視し、助三郎は千鶴をひしと抱き締めたまま早苗に向って笑顔で言った。
いつの間にか、抱きぐせが早苗からうつっていたようだ。
「格さん! 俺の弟だ! ちゃんとした弟ができた!」
喜んでいる助三郎の言葉に早苗は感づいた。
「……ということは、お前が秘薬盛ったのか?」
「あぁ。弟が欲しかったからちょこっとな」
この言葉に千鶴は怒り、兄の腕の中から抜け出た。
しかし、うれしくて舞い上がっている助三郎はまたも千鶴を捕まえた。
「何してくれるんですか!? どうしてくれるんですか!?」
怒鳴り散らす元妹の弟を抱きしめ幸せそうな顔の夫を目の前に、早苗はあきれ果てていた。
女にようやく戻り、男兄弟の妙なじゃれあいを眺めていた。
兄は弟にベッタリ。対する弟は兄に拒絶反応を示している。本当に妙な光景だった。
「やっぱり秘薬なんか実家に置いとくべきだった……」
ひとまずこれ以上の被害を出さないよう、秘薬の壺を隔離することにした。
しかし、そこで突然変な音が聞こえた。
「ん? 千鶴、腹が減ったか?」
抱きしめていた助三郎がいち早く気づき、体をようやく離した。
変な音は、千鶴のお腹がなった音だった。
「はい。昨晩なにも食べてないので……」
「さてと、朝御飯冷めるから、兄弟の仲良しごっこはそこまでにして。食べましょ!」
大変機嫌の悪い美佳を前に、お通夜のような朝餉の席だった。
そのお通夜の参列者の一人、元佐々木家のお嬢様、千鶴を下男下女は気の毒そうに眺めていた。
黙っていた美佳は食べ終わった後、茶をすすっていた。
それが空になった頃、突然助三郎を睨んだ。
「助三郎、千鶴は嫁入り前ですよ?一体何を考えているんですか!?」
「……特には」
「これだからふざけた性格は! 父上にどうしようもないところばかり似て!」
珍しく先代当主であった亡き夫、佐々木龍之助の話を持ち出す美佳に、皆は驚いた。
自分から一切話そうとしない。家族が聞いても絶対に答えない。それが佐々木家では当たり前になっていた。
それ故、助三郎は興味津々で母に問うた。
「父上はどんなおふざけをやられたのですか?」
しかし、既に美佳は元に戻り、父の話はしてくれなかった。
「なんでもよろしい。それより、どうするんですか!? 見合いが明日あったのに!」
その言葉を聞くや否や千鶴は母に向って抗議した。
男嫌いな千鶴、見合いなどしたくもなかった。
「母上、また見合いですか!? 私は結婚したくありません。二度と持ってこないでください!」
この言葉に美佳はうなだれた。娘の為を思って早苗の父、橋野又兵衛に頼んだ見合いを毎回反故にする娘が情けなくなった。
また、美佳は焦っていた。なぜなら、早く見合いを決めないと千鶴の身が危ない事情が背後にあった。
これを息子にも娘にももちろん嫁にも隠し、どうにかしようと躍起になっていることなど、誰も知る由もなかった。
しかし、何も知らない助三郎はニヤリとするととんでもないことを言ってのけた。
「ほら、千鶴だって男と結婚が嫌だって言ってます。だから逆転の発想で、男に変えてみたんです。女の子が好きなんだから、友達と結婚すればいい」
いくらなんでもふざけすぎの夫にイラッとした早苗は男に再び変わり、助三郎を睨んだ。
突然現れた親友の機嫌がすこぶる悪いので、ちょっと助三郎は悲しくなった。
「……なんだ?格さん」
怒鳴り声でも返ってくるかと、助三郎は身構えたが、代わりにもっと恐ろしい言葉が返ってきた。