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赤根ふくろう
赤根ふくろう
novelistID. 36606
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金魚がぽちゃり

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ぽちゃん、と小さな水音がして、ゆらゆらと水面に輪が広がった。けれどその輪はたちまちたくさんの魚の口や鰭やエアポンプで掻き混ぜられ、形のないただの揺らぎとなって散っていく。
その様子はこの夏祭りのざわめきに――友の呼び声とお囃子の笛太鼓が響きあい、立ち並ぶ露店の提灯の灯りがゆらゆらと夜の闇に溶けていく光景に良く似ているような気がして、夏目はふっと手を止めた。
「あーっ! なんでだよ、もう!」
それを待っていたかのように、隣にいた西村が大声を上げた。
「どうした?」
驚いて尋ねると彼は小学生のように頬を膨らませて、ぺろんと大きな穴の開いたポイを振り回した。反対の手が掴んでいる椀には水が半分ほど入っているが、魚の影は何処にもない。事情が分かった夏目は、気の毒に、と目を瞬かせる。
「なるほど……それ、もう三回目だよな」
「そうだよっ! ゲームオーバー。ちぇっ、なんで夏目ばっかり……」
「せっかく多軌さんに良いところ見せようと思ったのになあ」
「ああ。それで大物ばかり狙っていたのか」
「そういうこと」
北本の言葉に田沼が大きく頷き、ちら、と夏目の椀を覗く。こちらには色とりどりの魚が数匹、ひらひらと鰭を翻して優美に泳いでいた。小さいものばかりだがどれも姿形が美しい。選んで掬い取ったのだとしたらなかなかのセンス、そして腕前だ、と感心する。
「坊主、どれだ?」
ほどなく夏目もゲームオーバーとなり、差し出した椀を受け取った金魚すくいの店主は、鷹揚に夏目に促した。ところが夏目はきょとんと店主を見返すばかりで返事をしない。
「どうした、夏目?」
異変に気がついた田沼が尋ねると、夏目は戸惑った顔で振りかえった。
「どれ…って、どういうことだ?」
「え?」
よもやそんな質問が来るとは思っていなかった田沼は言葉が出ない。ハッと気がついたのは北本だった。
「夏目、ひょっとして金魚すくいのシステム、知らないのか?」
聞き質すと夏目は面目無さそうに俯いた。
「いや、その。知らないって言うか。見たことはあったけど。やったのは初めてなんだ」
「そうか……」
改めて彼の辛い生い立ちを知らされた気がして、一瞬友はみな絶句した。
と。
「掬った中から好きなのを持って帰れるの。ただし、いくらたくさん掬っていても一匹だけ」
「その代わり全然掬えなくても最後に一匹くれるけどね。私みたいに」
屈託の無い声が後ろから聞こえて振り向いた。多軌と笹田がかわいらしい浴衣姿で立っている。ちょうど戻ってきたところらしい。
今年はみんなで待ち合わせて六人でやってきた夏祭り。それぞれが好きな露店を順番に回ろうということになり、夏目が選んだのが金魚すくいだった。だがいざ来てみるとなんとなくもじもじと戸惑っていたので、それなら、と先に笹田がトライした。結果は残念ながらすっからかんだったのだが、それを小馬鹿にした西村も僅か三秒でポイが破れ、笹田からこれでもかというほど皮肉の報復を受けることになった。するとそれで火が付いた西村が、なぜか夏目に果たし状を叩きつけた。こうして西村対夏目金魚すくい三本勝負が始まったのだが、西村が一方的にヒートアップする展開に飽きて、ちょっと他所を見てくるわ、と女子たちはしばらく座を外していたのだ。
笹田は金魚の入ったビニール袋と水風船、カルメ焼きの袋をぶら下げ、多軌は焼きイカの串を咥えたニャンコ先生を、綿飴の袋もろとも両腕に抱えている。
そのニャンコ先生は多軌の腕から身を乗り出し、興味津々の視線を笹田が持っている金魚に向けていた。赤い魚はビニールの隅に身を寄せ、怯えたように縮こまっている。無理もない。不気味な猫がすぐ傍らで物欲しそうにしているこの状況。まさに絶体絶命だ。
「睨むなよ、先生。それは食べものじゃないぞ」
夏目がたしなめると先生がニャーニャーと異議ありげな顔で鳴く。すると夏目は。
「金魚すくいは掬う行為そのものを楽しむためのものだ。風流だろう……ああ、下賎なものどもの風流など高貴なものの理解の外だとか言いたいんだな。わかったわかった。下賎で悪かったよ」
あたかも猫が人語を解するかのような受け答え。知らない人が見たらなんだか変な光景だ、と思うだろうが、真実を知っている田沼と多軌はもちろん、今や夏目の奇行にはすっかり慣れてしまった笹田も北本も西村も何も言わない。
心の広い友人たちに囲まれた夏目は、相変わらずマイペースだ。じっくりと考えた後一匹を選んで、呆れ顔の店主にこれを、と頼んだ。ほどなくビニール袋に入った小さな魚が手渡された。
「へえ」
その一匹に、場の全員の目が集まった。
作品名:金魚がぽちゃり 作家名:赤根ふくろう