二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

坂の向こう、朱の果て(サナダテ+α)

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 


夏の初めに吹く風は、多分の湿り気を含んで独特の香りがする。生温いながらも勢いのあるそれは汗ばんだ肌に心地いい。
河原に沿うように走る車道に佇んで、伊達政宗は街を見下ろす。
元は防波堤だった土手は少し高みになっていて、そのすぐ横に非常階段のように交互になった坂道がジグザグに下へと降りてゆく。
またひときわ強い風が吹き抜けた。乱れた髪が一つしかない視界をちらちらと遮るのが煩わしい。それでも彼は黙りこくっていた。
彼の背後に立つ人物も、それを咎める気配はない。
焦げ茶色の、ひとすじだけ伸びた尻尾のような長髪を風に揺らしながら、真田幸村はただ黙って政宗と彼の視線の先にあるものを見つめていた。
「何か見えるか?」
振り返ることなく唐突に尋ねた。相手は何を、とは訊いてこない。勉強は出来ないくせに頭は悪くない。幸村のそんな素朴な賢しさが、政宗は好きだった。
「夕暮れの街。他は何も。」
簡潔な答えに政宗は首肯する。
そのはずだ。何の変哲もない郊外の町の一角。そこに意味を見出すことが出来るのは、僅かでもそこで時を刻んだことのあるものだけだ。
この街でほんの一時暮らして、掛け替えのないものを失った政宗には見えても、何も知らぬ彼には見えるはずもないのだ、あれは。
土手を這う坂の道、その中ほどに佇む小さな影。
政宗の目にしか映らないその少年は、あの日と寸分変わらぬ姿で薄暮の街を見つめていた。




*******************************



夏の日没は足が速い。慣れない土地を歩く12歳の少年の足など直ぐに追い抜かれてしまう。
目的の場所はまだ見えない。疲れた。
少女が好みそうなうさぎを象ったリュックの背を丸め、少年は息を整えた。教えてもらった住所に合致するのはまだ半分。ピンク色のウサギの耳がしょぼんと垂れた。
(だいじょうぶ、きっと着けるよ。)
普段は一人で外出することさえ滅多にないうえ、こんな遠出は初めてだ。
不安がゆらゆらと陽炎のように立ち上ってくるのを打ち消すように、会いたい人の顔を思い出して、少年は自分を励ました。
「あっ!」
再び歩き出そうと顔を上げた時、視界に入った土手の道に沿うように交互に走る坂道。下の電柱にとめつけられたプレートに刻印された文字は「タイナカ イッチョウメ」。
少年が握りしめていた紙切れに記された住所の次の一節だ。見えてきた希望の道筋に、少年は元気よく坂の降り口へと歩き出した。



***************


ガードレールに隔てられた坂の中腹には、夏になると潤沢な陽を浴びた草が生い茂り、丈の高い草むらが出来ていた。
三角形に区切られた狭い場所に、さらに小さく、草を押しのけて横たわる身体が見える。
幸村は怪訝そうな顔で、政宗と目の前の草むらを交互に見ている。当然だ。彼には見えない。けれど政宗の眼にはちゃんと映っている。
遺体の少年は静かに、眠るように横たわっていた。

政宗が覚えている弟の姿と言えば、いつもにこにこと笑っては母にまつわりついている印象しかない。
事実、年に片手の指に収まる程度にしか戻ることのない実家で顔を合わせても、弟の小次郎は母・義姫の傍らを離れていた例がないほどにいつも母と一緒だった。
滅多に会えぬ兄を見るなり、似つかない大きな瞳を輝かせ、「にいさま」と舌っ足らずに呼んでは花開くように笑う。
母と兄との不和を感じ取れぬ年でもあるまいに。自分は誰からも愛されているのだと疑いもしない。そんな弟の態度が政宗は大嫌いだった。
 だからあの日、彼は自宅から一歩も外出することがなかった。
その夜、実家から弟が返ってこないと一報があった時にも、自分に会いに来ようとしたのかもしれないとは考えもしなかった。
父と世話役の片倉以外にはわざと誰にも教えなかった住所を弟がこっそり聞き出していたなんて知らなかった。


いなくなった日の翌日、伊達政道は遺体で発見された。
政宗の自宅から500メートルと離れていない土手の中腹で。
剣呑な黄色いテープで仕切られた現場では15人以上の警官が捜査にあたっていて、政宗は野次馬にまぎれてそれを見た。
朝、河原へ散歩に出ようとした老人が発見したらしい。
小さく軽い身体は、まるでゴミのように打ち捨てられ、細い手足を投げ出して横たわっていた。
息が止まるほどにきつく締め上げられたためにできた、無残な痣に覆われた首。巻かれていたのは有名な子供服メーカーのスポーツタオル。母が好んで着せていた女児向けのブランドだった。
死体の顔は見ていない。捜査官と野次馬の体に阻まれて見えなかった。ただ、のちに担当刑事から伝え聞いた様子では、両の目は閉じられていたらしい。
(最初は眠っているんじゃないかと思ったそうです。)
もともと気難しげな顔をさらに顰めて片倉が告げたのは第一発見者の老人の証言だった。眠っているかのように穏やかなお顔でした、と。
そのように繕ったのは犯人の後悔の情だったのかどうかついぞは知ることはできなかった。
のちに逮捕された男はその当時近隣で相次いで起こった若い女性の絞殺事件の被疑者で、少年の殺害については最後まで否認し関係することすべてを知らぬ存ぜぬで通したからだ。
しかし結局、容疑者は三件の連続絞殺事件で起訴され、弟はその三番目の被害者となった。

 最愛の息子を失った母は今度こそ正気を失ってしまったらしかった。弟の葬儀の場ですらついに姿を見せなかった。
代わりに政宗をなき弟の部屋へと案内したのは弟の傅役を務めた青年だった。子どもには広すぎるベッドの上には、プレゼント用に包装された贈答品が未開封のまま並べられていた。
プレゼントの数は12。明らかに母の字で記されたメッセージカードのあて名はすべて弟の名ではなく___
「弟君はすべて知っておられたのだと思います。奥様の狂気の理由も。本当に愛されていたのが誰だったのかも。」
だからあの日、少年は兄に会いに来ようとしたのだ。18になった政宗に、歪んでしまった母の愛をあるべき場所へと返すために。
弟に政宗の居所を漏らしたのは、従弟だった。どうしても母親には内緒で会いたいからと懇願されたらしい。
母に知られればきっと止められるか同伴を免れない。そうなれば、不仲の兄は聞く耳を持たぬだろうから、と。

「小次郎様はずっと、あなたに謝りたかったのだと思います。」
青い服も優しい手も、自分のものじゃないと知っていた。ずっとずっとわかっていたのに。
黙っていてごめんね。手を離せなくてごめんね。
中学生になったら、遠くの学校へ通いたいと言っていた。料理もできるようになりたい。友達も自分で作りたい。
そういって微笑ったという。
手にしたプレゼントの包みは柔らかなパステルの青。幼い政宗が好んだ色だ。すべらかな面に水滴が小さく落ちた。ひとつふたつ、みっつ。
「小次郎」と小さく呼んでみた。
応える声はもういない。誰も予想しなかった形でこの家からいなくなってしまった。
かつて自室だった場所で、政宗は久方ぶりに一人泣いた。弟が死んでから初めて流す涙だった。


**************


ふいに、生ぬるい風がぶわりと吹き寄せた。